https://m.khan.co.kr/world/world-general/article/201908011624001#c2b

白い帳幕を集めて入って行って, ‘太平洋戦争責任者’であるヒロヒト(裕仁) 前日王(1901‾1989年)の写真をコラージュした絵画作品を経つと, 右側向こうに ‘その少女’が座っている. 黒スカートと白いチョゴリ, 端整に両手を集めたおかっぱの髪少女. その横の空の椅子ははやく来て座りなさいというようだ. 少女後に映るお婆さんの影. そして “その崇高な精神と歴史を引き継ごうとこの平和費を建てる”と書かれた平和費.

日本軍慰安婦や日王, 平和憲法 9条など日本でタブーの時する内容を扱ったという理由で展示ができなかった作品 17点が設置されたショールームを尋ねた観覧客たちの抜剣音は専ら少女上の前で止めた. 少女像が展示されるということが分からなくて来て行って実物を初めて接した人々も少なくなかった. 名古屋から電車で 1時間位離れた気候 (岐阜)時から来たというダンバだとMiho(65)も同じな場合だ. 彼は “実物を直接見て胸が痛かった”と “少女像が平和に進むイメージで広く広がったらと思う”と言った. 今春沖繩県立芸術台を卒業したYamashita加奈子(23)は友達の二歳排気子供を抱いて少女像 横に座って見た. 彼は “少女像 横に座って見るから私のような大きさの少女, 近い存在で感じられた”と “少女像は残さなければならないと思う”と明らかにした.
少女像がこちらに展示されるまでは遠い道を帰って来なければならなかった. 少女像 縮小模型が 2012年東京都美術館に展示されたが, ‘政治的表現物’という理由で四日ぶりに撤去された. 2015年 1月東京フルト(古藤)ギャラリーで開かれた ‘表現の金持ち遺伝’で今の少女像が展示された. 当時少女像は ‘秘密作戦’ するように日本に持ちこんだ. その後日本市民たちに任せられたが, 受けてくれるという博物館がなくて小劇場公演などでもたまにお目見得した.