
1916年着工、10年後の1926年に完成した地上4階地下1階コンクリート造りの朝鮮総督府。

光復後は「米軍政庁」(1945~48)として、大韓民国成立後は「中央庁」(1948~80)として使われ、大韓民国憲法公布や政府樹立、毎年の光復記念日には国民祝賀式の舞台となった。その後は「国立中央博物館」(1986~92)として使用された。

金泳三政権は「日帝の植民残滓を清算し民族の精気を回復する」として、光復50周年の1995年8月15日、尖塔の切断式を行ない、解体撤去した。その残骸は歴史教育の資料に活用するとして京畿道天安市の独立紀念館の敷地に展示されている。

「旧朝鮮総督府撤去部材展示公園」の日本語案内文には、「朝鮮総督府の残骸を粗末に扱う形で展示した。展示公園を太陽が沈む独立紀念館の西側に配置することで、日本帝国主義の没落と植民残滓の清算を強調した」とある。