李承晩(アメリカのスパイ)
1875年3月26日 - 現在の開城市近郊の黄海道平山郡馬山面大慶里(現:黄海南道峰泉郡)で生まれる。
桃洞書堂で漢学を学ぶ。
1896年 - アメリカ人のキリスト教宣教師アペンセラーが設立した培材学堂で学び始める。
1896年 - 徐載弼の「独立協会」の結成に中心メンバーとして加わる。
1897年 - 培材学堂在学中に高宗退位要求の檄文散布に加わり投獄される。投獄中にプロテスタントの監理教会派に入信。
1904年 - 特赦による出獄後、アメリカ合衆国に渡る。
1907年 - ジョージ・ワシントン大学で学士号取得。
1908年 - ハーバード大学卒で修士号取得。
1910年 - プリンストン大学で政治学博士号取得。博士論文は「アメリカの影響を受けた永世中立論」。この年、帰国する。
1911年 - アメリカに亡命。
1913年 - ハワイに定住。
1919年 - 中華民国の上海で大韓民国臨時政府樹立。李承晩によってワシントンD.C.に欧米委員部設立。
1920年 - 大韓民国臨時政府大統領に推される。しかし派閥抗争から失脚。ハワイに拠点を移す。
1933年 - 満洲事変を討議する国際連盟総会に大韓民国臨時政府全権代表として出席。
1934年 - ユダヤ系オーストリア人のフランチェスカ・ドナーと結婚。
1941年 -『日本の内幕記』を著す。日本の対米宣戦を予告。
1945年 10月 - 日本の降伏と朝鮮解放に伴い、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁直接統治下の朝鮮半島に帰還。
1946年 2月 - 大韓独立促進国民会を結成。総裁に就任。
1948年4月3日 - 済州島四・三事件反乱鎮圧。
1948年8月15日 - 朝鮮半島南部単独で大韓民国政府樹立を宣言。初代大統領に就任。
1948年 10月 - 連合国軍占領下の日本を非公式訪問(ダグラス・マッカーサーGHQ司令官などとの会談のため)。
1948年10月27日 - 麗水・順天事件反乱鎮圧。
1948年12月1日 - 国家保安法を制定。
1949年6月5日 - 国民保導連盟を組織させる。
1949年12月24日 - 聞慶虐殺事件。
1950年6月25日 - 朝鮮戦争勃発。
1950年 6月 - 国民保導連盟の加盟者や収監中の政治犯など、少なくとも20万人あまりを虐殺した(保導連盟事件)。
1951年 1月 - 前線で戦闘中の将兵の物資を転売し着服(国民防衛軍事件)。
1952年1月18日 - 海洋主権宣言。「平和線」、いわゆる李承晩ライン(国際法違反)を設定する。
1952年5月26日 - 戒厳令を施行し、反対派議員を監禁・憲法改正を強行(釜山政治波動)。
1953年7月27日 - 朝鮮戦争休戦。
1956年5月15日 - 大統領に3選。副大統領には野党の張勉が当選。
1958年 - 進歩党党首の曺奉岩をスパイ容疑で逮捕し、1959年7月に処刑。
1959年 - 新潟日赤センター暗殺・爆破テロ未遂事件。
1960年 - 3月15日 大統領選挙。不正選挙が問題となり野党や国民の批判が公然化。
1960年4月19日 - 不正選挙を糾弾するデモ隊と警官隊が衝突。死者186人。4月26日に下野を表明し、5月29日にハワイへ亡命(四月革命)。
1965年7月19日 - 亡命先のハワイにて90歳で客死。


