次第に後退していく国連軍の前線です。
米軍を中心とした国連軍は当初は北を甘く見てすぐ撃退できると考えたのですが・・
ソ連から北に供与された最新の戦車と訓練された軍隊に驚き、各地で苦戦していました。
軍事用語で遅滞行動と称する敵の進撃を遅くして退却する時間稼ぎの作戦しか取れませんでした。
圧倒的な空軍力で制空権は確保していましたが前線はしだいに下がり、8月7日には釜山を中心とした狭い防衛地域になりました。

これは1950年6月30日の釜山日報です。
びっくりするような嘘の塊です。!
こうなったら良いだろうなぁと夢で見た事を韓国の李承晩大統領は広報に命令して新聞に載せたのでしょうw
これを真に受けた釜山市民は災難です。
これ以後の新聞の1面はすべて戦意高揚のための勇ましい文面だけで、読む価値は無くなっていきます。
各地で苦戦している米軍と韓国軍将兵は最後の防衛拠点である釜山橋頭堡まで押されて 後退していくのですが退却のことは触れないで、言葉遊びになるのです。
勇ましい文面で遊びながらも、釜山まで追詰られたと感じた李承晩大統領はソウル市民を捨てたように 今回は釜山市民を捨て済州島への遷都を秘密に検討を始めました。
