「王妃を殺したのは、不貞の私の部下だ」と現場に居た高宗が証言
(1906年 統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告(國分書記官通訳并筆記))
「国母を殺したのは、禹範善だ」と現場に居た息子の純宗が証言。
(往電31号)(後に純宗は刺客を放ち、禹範善を暗殺)
「王妃を直接殺したのは、私です」と実行部隊隊長の禹範善の証言。
(在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件)
「王妃殺害を今回計画したのは、私です」と証言した李周會
(朝鮮での裁判。裁判に関しては官報に記載あり)
「計画の首謀者は、大院君だ」と記したロシアの参謀
(ゲ・デ・チャガイが編集した「朝鮮旅行記」のロシア参謀「カルネイェフ」の発言)
首謀者から実行犯まで、全部朝鮮人でした。
朝鮮人が明成皇后などという名前を使ってさも立派な人物であったかのように騙っていること自体がお笑いだ。
この閔妃という女は当時朝鮮国内でも稀代の悪女として有名だった。
単なる王妃であったにもかかわらず政権を簒奪して一族を高位につけて私利私欲の限りを尽くした。あげくは王の父である大院君を追放したりしている。
これに対して抵抗した金玉均などの多くの朝鮮人は日本に亡命して閔妃の腐敗した体制を打倒すべく戦っていたが、閔妃の姦計によって上海におびき出されて暗殺されてしまった。残虐非道な閔妃は金玉均の遺体を朝鮮に送り届けさせると多くの公衆の面前で遺体を八つ裂きにしたりして辱めた。
また金玉均の両親も死刑にされたほか、妻や娘は奴婢として売り飛ばされた。
当時の朝鮮の民衆は閔妃に対する恨みこそあれ尊敬などはかけらほども抱いてはいなかった。
その証拠には閔妃は死後、王族の称号を剥奪され墓も王族の墓とは別の場所に葬られた。
しかし、いかに悪逆非道を行ったとはいえ死ねば仏、ましてや王妃という身分にあったのだから
秩序を保つためにも正式な埋葬が必要だとして日本政府が明成皇后という名を贈って
王族として埋葬しなおした。 これが真実だ。
実際、閔妃に手を掛けた人物は、禹範善
