ヤフー!知恵袋にあった、質問と答え。
やっぱりそうだったのか!w
日本も朝鮮人なんかを独立させなくてよかったのにな。
まあ、100年ぶりにまたシナの属国になりそうだけどさ。。。
朝鮮もそっちの方が居心地が良さそうだな。
日本は日本海に鉄壁の防衛ラインを引いてシナ朝鮮から離れればヨシ!
↓
解決済みの質問
韓国は中国の属国だったんですか?? 日本のおかげで独立できたんですか?
韓国は中国の属国だったんですか??
日本のおかげで独立できたんですか?
- 質問日時: 2007/9/2 19:47:47
- 解決日時: 2007/9/3 06:35:32
- 回答数: 1
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ベストアンサーに選ばれた回答
千年属国の国です。
独立に際しては、清国からの許可を得ています。
以下に証拠。
日本が下関条約の第一条で初めて朝鮮の中国からの独立を明記するまで、千年の長きに渡り朝鮮は、中国の属国となっていた。
明治28(1895)年4月17日、伊藤博文首相・陸奥宗光外相の日本全権大使と、清国講和全権大使 李鴻章・李経芳が、下関市内の春帆楼(しゅんぱんろう)に於いて開催されていた下関講和会議の結果、調印した日清戦争の戦後処理に関する講和条約。一般には調印地の名を採って「下関条約」あるいは「馬関条約」と呼ばれている。
下関条約締結の結果、「戦勝国」日本は、清朝から、
清朝の朝鮮に対する「宗主権」放棄(朝鮮独立の承認)
遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲
庫平銀(賠償金)、2億両(テール 約3億円)の支払
新通商条約の締結と最恵国待遇条款
沙市・重慶・蘇州・杭州の開市・開港
条約履行の担保として山東半島の威海衛の一時占領
等の戦時賠償を獲得した。
朝鮮と清国の従属関係について、簡単にまとめれば、
● 朝鮮国王は清の皇帝によって任命されること。
● 朝鮮国内で起こった事件の委細については、すべて皇帝に報告しなければならないこと。
● 清の使節に対して、国王はソウル城門の外まで出迎えなければならないこと。
● 朝鮮国王の地位は、清国廷臣の下にあること。
● 朝鮮政府には、貨幣の鋳造権がないこと。
細かく定められた貢品以外に、
毎年、牛三千頭、馬三千頭、各地の美女三千人を選り抜き、清国に朝貢することが義務づけられていた。
牛馬三千頭を手に入れることも、容易なことではないが、
女性三千人を宗主国の清国に送るとなると、両班の娘だけでは間に合わない。
米で農家の娘と物々交換するか、あるいは強制連行の手段しかない。
ここに、今日、問題となっている「強制連行」「慰安婦」の原点がある。
朝鮮の強制連行と慰安婦は、まさに朝鮮痛史であり、
日韓併合を云々するならば、同時に、この朝鮮痛史にも立ち向かわなければならないだろう。
黄文雄著、中国・韓国の歴史歪曲(光文社)より引用
丙子胡乱後の清との和約
「堕落の2000年史」 崔基鎬 著
今日、ソウル市松坡洞に、「三田渡碑」という...堂々とした石碑が立っている。(中略)
これは朝鮮史を浮き彫りにする史蹟である。(中略)
これは清の大宗の頌徳碑で、名前を「大清皇帝功徳碑」というが、韓国では「恥辱碑」として知られてきた。(中略)
仁祖はこの時、それまで軽蔑していた胡服(北方の蛮夷の服)を着て、
坡洞の三田渡に設けられた「受陣壇」において屈辱的な降伏を行った。
「受陣」とは、降伏を受け入れることである。
仁祖王は「受陣壇」に於いて、清の大宗に向かって九回、
地面に頭をつけて叩頭する拝礼を行なったうえで、清からの一方的な和約を結ばされた。
1637年1月30日のことだった。
この和約の内容は次のようなものだった。
一、朝鮮は、清に対し、臣としての礼を尽くすこと。
一、朝鮮は明の元号を廃し、明との交通を禁じ、明から送られた誥命(勅命と冊印)と、明から与えられた朝鮮王の印璽を清へ引き渡すこと。
一、王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること。
一、清が明を征伐する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること。
一、内外(清)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること。
一、城郭の増築や、修繕については、清に事前に許諾を受けること。
一、清に対して黄金100両、白銀1000両と20余種の物品を歳幣(毎年納める金と品物)として上納すること。
一、皇帝の誕生日である聖節、正朔である正月1日、冬至と、慶弔の使臣は、明との旧例に従って送ること。
一、清が鴨緑江の河口にある島(かとう)を攻撃する時に、兵船50隻を送ること。
一、清からの逃亡者をかくしてはいけない。
一、日本との交流を許すこと。
この和約によって、李氏朝鮮は明から清の属国になった。
仁祖王は和約を結んだうえで、皇太子である昭顕(ソヒエン)世子と王子の鳳林大君(ポムリムデグン)らを人質として送るかたわら、欣和派の強硬論者であった三人の党人を逮捕して、斬刑に処した。
李氏朝鮮はその後、19世紀に至るまで、
清に毎年、全国から選ばれた美女である妓生と宦官を貢いだ。
これらの妓女と宦官は、清によって珍重された。
上が『従軍慰安婦』のことである。
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- 回答日時:2007/9/2 22:08:29
質問した人からのコメント
よく分かりました。