
写真は有名な秦の始皇帝の兵馬俑(へいばよう)
威容を誇るが、これだけの兵隊を食べさせていたと考えると、
「軍と官僚制の罠」はなかなか解けない難問でもある。
中国は、北方騎馬民族の襲来を繰り返し受ける中、とりわけ強く「軍と官僚制の罠」に陥いった。そして、帝国と皇帝は栄枯盛衰を繰り返すが、地方軍閥を基盤に持つ官僚たちが、皇帝の専制を阻むという、矛盾にぶつかり、地方軍閥の縁故によらない官僚人事の必要性から、「科挙制度」が作り出された。
他方、ユーラシア大陸の辺境に位置する日本では、縄文の歴史が長く、侵略戦争の歴史が短かったこともあって、豪族たちが生き残り、軍体も、官僚制も、試験制度も左程、発達しなかった。
むしろ、試験制度の持つ弊害の方が問題とされ、江戸時代に至っても、儒学は受け入れても、科挙=試験による官吏登用制度を取り入れることはなかった。それゆえに日本の江戸システムは封建体制と呼んだ方が正解であろう。