実現はせず
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2010081302000189.html
中日新聞 2010.8.13
相対性理論で知られるアインシュタイン博士(1879〜1955年)が、1922年に1度だけ来日した際に出会った4歳の日本人少女について、「養女にしたい」と両親に申し入れていたことが分かった。両親の反対で実現はしなかったが、博士が少女と撮った写真が残っており、天才学者の私生活の一面を知る貴重な資料となりそうだ。

写真は、東京都葛飾区の会社員渡辺峰道(みねみち)さん(60)が所有。少女は渡辺さんの母恭子(やすこ)さんで、90年に72歳で亡くなった。峰道さんが恭子さんの生前、博士からの「養女に迎えたい」との発言を聞いたという。
恭子さんの父知雄さんは元外務官僚で、当時はインド領事。欧州航路の「北野丸」(日本郵船)で英領セイロン(現スリランカ)から一家で帰国の途に就いた際、先にフランスから乗船して講演旅行で日本に向かっていた博士夫妻と知り合い、20日ほど船上で過ごした。博士は恭子さんらとゲームを楽しんだ。
知雄さんがデッキで撮ったとみられる写真には、博士のひざの上で恭子さんがほほ笑み、博士の妻エルザさん、恭子さんの母ていさんも一緒に写っている。戦後、静岡県で家庭を持った恭子さんがたんすにしまっていたが、死後は次男の峰道さんが保管していた。
ほかに峰道さんは、アルゼンチンで25年に撮影された博士の40代の肖像写真も所有。船で出会って4年後の26年に博士から恭子さんに郵送された1枚で、写真の下には「愛するかわいい恭子ちゃんに 北野丸での一緒の思い出に」とドイツ語で添えてある。
峰道さんによると、養女に迎えたいと博士から申し込まれたことについて、恭子さんは「大騒ぎになったが両親は丁寧にお断りした」と話したという。
恭子さんは16歳だった34年、知雄さんの赴任先のキューバで博士と再会した。養子縁組を持ち掛けられた時期について、峰道さんは「母から聞いておらず、キューバでの再会前か後か分からない」としている。
博士は離婚した先妻との間に2人の男児をもうけ、再婚したエルザ夫人は既に2人の女児の母親だった。
この夏、峰道さんは東海大(神奈川県平塚市)で開いたアインシュタイン関連の催しで、写真公開に踏み切った。「私も60歳。今明かさなければ、事実が存在しないことになる」と話している。
アインシュタイン研究の第一人者、金子務・大阪府立大名誉教授の話 博士が養子を迎えようとした話はまったく表に出ていなかった。欧米では養子縁組が日本よりも一般的なので、十分あり得る話だ。当時は船旅をする子どもは珍しく、かわいく思ったのだろう。