"于山(Usan)"は安龍福がDokdoを示して
初めて使った名前で
歴史書物上では
1728年に刊行された粛宗実録に
初めて登場したNIDA!!

三国史記(西暦1145年)
西暦512年
東海にあるUsan国を征服した。
木彫りの獅子像を使った計略で降伏させた。
Usan国はUllungdoの別名。
三国遺事(13世紀)
東海に帆船で二日進んだ所にUllungdoがある。26,730歩の大きさ。
島に野蛮人が住んでいたが、王の命令で征服した。
木彫りの獅子像を使った計略で降伏させた。
太宗実録
西暦1417年
Usandoに使者を送った。大竹、芋、アシカ等を土産にして島民3人を連れて帰った。
15戸の家があり、男女86人が住んでいた。
高麗史地理志(西暦1452年)
Ullungdoについて。
東海にあり、新羅時代はUsan国と呼ばれ、時々Ullungと呼ばれた。
島民は農作物を献上した。Ullungdoの土地が肥沃だと聞いた王は使者を送った。
島の真ん中に山がありそこから東へ10000歩、西へ13000歩、南へ15000歩、北へ8000歩の大きさ。
村落が7つ有った。
一説によると、Usando、Ullungdoは距離が離れていないので、空気の澄んだ日には互いに見る事が出来た。
↑
僅か2年で、内容を写し間違える馬鹿朝鮮人(大福所
↓
世宗実録
西暦1454年
Usan、Ullungの二つの島が東海にある。晴れた日には互いに見る事が出来る。
新羅時代はUsan国と呼ばれ、Ullungdoとも言う。
(以下、高麗地理誌と同じ内容)
八道総図1530年(地図)
Usando、Ullungdoが別の島として描かれる。
流石、保坂先生と言わざるを得ない・・・。
