googleで、 強制徴用 と、検索すると最初にHitするのがこの項目です…
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412676284
強制徴用とは何ですか? と言う質問に対する答えですが、
一般的な日本人は、強制徴用なるものをこのように捉えています。
例として、ベストアンサーに認定された回答を引用します。
(真面目に、この回答はすべて事実で構成されています。)
ベストアンサーに選ばれた回答
当時は「強制徴用」という言葉は存在しませんでした。
後付の印象操作ですね。
これに相当と思われるのは以下の「徴用」と思いますので詳細を見てください。
1939年4月「国民徴用令」という日本国民の義務としての「徴用」が施行されました。
当時の朝鮮は日本であり同じ日本人としての義務がありました。
(この徴用令とは工場や炭鉱などに国民を勤労動員することを可能にした法律でした)
が、しかし!実際には朝鮮半島では施行されていません。
その代わりに1939年9月に企業が朝鮮で労働者を募集できる形になりました。
ところで「強制連行」にかわるキーワードとして奴らは「強制徴用」を使っているとの話しですが、「強制連行」を暗に示すものというのは明らかですね。
で、それは国が強引にやった・・というイメージがありますが「官斡旋」が始まったのは1942年2月からです。
(官斡旋とは、役所が仕事を斡旋するというものです)
しかも「強制」という単語によって「暴力で連れてこられて、かつ、暴力によって労働を強制させられた」かのイメージですが
自由意志の出稼ぎ労働者であったことは朝日新聞の記事で明らかです。
(昭和34年7月13日の朝日新聞にそのことが記事になっています)
又、朝鮮人は斡旋してもらった仕事を勝手に辞めても罰せられることはありませんでした。
で、実際に朝鮮半島で「徴用」が施行されたのはというと・・1944年9月からでした。
それも、翌年3月の下関-釜山間の渡航が止まるまでのわずか「7ヶ月間」です!
ちなみに、工場や炭鉱での勤労動員が目的の徴用ですが、特に炭坑や鉱山での仕事は確かに過酷であったことでしょう。
しかし、労働環境が厳しい分、朝鮮人は給与で厚遇されていたとのことです。
1944年頃の九州の炭坑では、朝鮮人の月収は150~180円とされ、
巡査の月給(45円)のおよそ3~4倍、大卒事務系初任給(75円)の2倍かそれ以上を稼いでいたと言われるのです。
さて、この「国民徴用令」がなければ日本なんかに行くわけが無い!とか言われそうですが実は大間違いです。
この「国民徴用令」以前から沢山の朝鮮人は日本に押し寄せていたのです。
当時、沢山の朝鮮人が日本へやってくることで日本の失業者が増加してしまうと考え、朝鮮総督府は、日本企業の朝鮮人募集に対して「労働者募集取り締」という行政指導を行い規制したほどでした。
しかし、東亜日報(1921年9月9日)は社説で、「朝鮮人全体を無視し侮辱する悪法」と言ってキャンペーンを行ったというのです。
1922年12月5日「府令第153号」を発令して制限を撤廃。
だが、その後も朝鮮人が日本へ殺到したことから朝鮮総督府と日本内務省警備保安局が再協議を行い渡航制限を再実施。
1924年5月17日、釜山港で、5万人程の市民集会があり、渡日制限撤廃を訴え、朝鮮労農総同盟、朝鮮青年同盟が抗議。
在日朝鮮人の数は、1925年には13万人弱、1933年には46万人に増えたのでした。
長文になってしまいましたが是非とも知っておいて欲しいと思いましたので失礼しました。