相撲:春日王「力尽きるまであっと驚かせたい」(上)
日本の相撲は動物的なスポーツだ。下半身まで体の大半を露出したクマのような力士らがちょんまげ姿で土俵に上がって互いを押し出すというこの単純な競技に、日本人たちはプライドを感じる。そんな相撲を揺さぶった韓国人がいる。
金成沢(キム・ソンテク、33)、しこ名は春日王克昌だ。1998年、仁荷大の3年の時に玄海灘を渡ってから5年で、980人の力士のうち最高峰の40人が属する「幕内」、すなわち相撲のメジャーリーグにまでのし上がった。
■金成(仁荷大の3年)ほど強靭(きょうじん)な精神力を持ち合わせたやつはいない
3歳の時、父が他界した。3人兄弟を女手一人で育てることになった母は、ビルの清掃や食堂の皿洗いなどのアルバイトを転々とした。同年代に比べて体が大きかった金成沢が、生き残っていくことのできる道はシルム(韓国相撲)だけだった。仁川プゲ小学校2年の時のことだ。
富平中・高校時代には一度も練習を休まなかった。学校を卒業するころ、プロチームが1億ウォン(約718万円)近い契約金を提示した。「家が貧しかったから、早く金を稼がなければならないといつも思っていました」。しかし、結果は大学進学だった。
「大学に行けば、体育の先生くらいにはなれる。それが嫌なら契約金でももらって、一人で生活しなさい」と母が言ったのだ。1998年の夏、スカウトのために韓国へやって来た春日山親方に当時の仁荷大監督が金成沢を紹介した。
「どんなに悪い条件でも耐え抜いていくことができる精神力を持ち合わせたやつは、あいつしかいない」。金成沢は「日本に行って直接この目で見た相 撲のスケールの大きさに驚いた。こうした力士たちと対戦してみたいと思った。うまくいけば、金も名誉もすべて手に入れることができると思った」。
■「パスポート没収され、外国人労働者として肩身狭し」
なぜかその時は、母も「頑張りなさい」と息子を励ました。日本の神奈川県に到着したが、そこは希望の地どころか、苦労の地そのものだった。21歳の金成沢は当時、相撲部屋にいた7人の中で最も年上だった。
しかし、序列は徹底して実力と弟子入り順で決められていた。すぐ上の15歳の「先輩」に横っ面をひっぱたかれるのは茶飯事だった。毎朝4時30分に起きて洗濯し、掃除もした。その後、数カ月間は米のとぎ方や野菜の刻み方を学んだ。
日本語もまともに聞き取れない中、受けなければならなかった相撲理論教育も、苦痛だった。少しでも居眠りすれば、恐ろしい先輩の竹刀が頭に飛んできた。給料ももらえなかった。あるのは、硬い座敷と納豆、梅干しだけだった。
「こんなことのためにシルムを捨てたのか」と自分を責めてもみたが、そこで負けるわけにはいかなかった。「韓国人にはやっぱり無理だ」という日本 人の偏見を打ち破りたかったのだ。自分勝手に辞めるわけにもいかなかった。入国した初日、「うまくなったら返してやる」と、パスポートを奪われたのだ。
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
相撲:春日王「力尽きるまであっと驚かせたい」(下)
■「力尽きるまで日本をあっと驚かせ続けたい」
いよいよ金成沢は心を磨き始めた。1日2、3時間の睡眠で、買 い出しやけいこを除いたすべての時間をトレーニングに費やした。夜12時を過ぎても金成沢の部屋の明かりは消えなかった。1回の食事で5杯もおかわりし た。負けないためには、太らなければならなかったのだ。こうして苦難の3年半が経った後、金成沢は身長183センチに体重150キロと、立派な力士に成長 し、2軍レベル(十両)にまでのし上がった。2002年のことだった。
その6カ月後には、いよいよメジャー(幕内)進出を果たした。金成沢は「主に相手を押し倒す相撲にシルムの引っ張る技とタイミングを合わせたところ、相手が力なく倒れていった」と話した。番付が上がったことで、世の中が明るくなった。
十両では80万円、幕内になると100万円の月給がもらえるようになった。現在、春日山部屋の力士は計20人。金成沢は「最年少が15歳だが、わ たしがあいさつするだけで堅くなってしまって、何も言えなくなる」と話した。住民たちが近付いてきては、写真を撮ったり、サインをせがんだりする。金もた くさん稼いだ。母のために仁川にあるマンションも購入した。「韓国人はすごい」と、日本のマスコミにも注目された。「大スター」になったのだ。
こうして幕内での生活を8年続けた。一時ひざの靭帯(じんたい)が切れ、選手生命の危機を迎えたこともあった。しかし、まだ相撲を辞めるつもりはない。「力が尽きるまで、日本をあっと驚かせ続ける覚悟」と話した。
■相撲は体重ではなく、実力で階級を分ける
相撲は体重別ではなく、実力別に階級が分けられる。階級別の成績によって上位に昇進したり、下位に降格したりする。韓国の天下壮士に当たる横綱が いる幕内を頂点に、十両、幕下、序二段などに分けられる。十両以上を関取と称し、競技場にしこ名を掲げることができる資格が与えられる。1年に6場所(毎 年隔月1、3、5、7、9、11月)が行われ、1場所で15戦ずつ行う。
チョン・セヨン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版よくもまあ、調べもせずに記事を書けるものだわ(w
あと、最近、春日王なんて、話題にもなってません(w