江戸時代、三代将軍徳川家光は、日本船の海外渡航を禁止、外国からの来航を拒否するなどの政策をとりました。キリスト教を弾圧し、幕府が貿易を統制するためです。今日「鎖国」と呼ばれるこの時代に、日本が通交した外国は、中国とオランダ、琉球と朝鮮に限られました。なかでも、「通商の国」中国・オランダに対し「通信の国」とよばれた琉球と朝鮮とは、貿易と共に外交をも行っていました。
朝鮮からの使節は、秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の後、国交を回復した慶長12年(1607)以来、文化8年(1811)までの約200年間に12回を数えます。その内、第4回-寛永13年(1636)-、第5回-寛永20年(1643)-、そして第6回-明暦元年(1655)-の三回は、この地日光まで参詣しています。
外国の使節が、なぜ日光に来たのでしょうか。天下泰平を成し遂げた徳川家康は、亡くなると東照大権現(東に照り輝く神)として、日光に祀られました。
奈良時代から霊地として開かれていた日光に、新たに、徳川将軍家の祖廟(先祖の魂のよりどころ)として、天下泰平の世の象徴、徳川幕府の宗教的・精神的な要としての役割が付されたのです。国交を回復した朝鮮国からの使節団が日光を訪れることは、幕府にとっての「東照大権現(=日光)」の重要性を国内外に知らしめる絶好のパフォーマンスとなりました。
また、三代家光が大猷院としてこの地に祀られると、東照宮だけでなく大猷院にも、使節団が参詣し、祭儀を執り行いました。この三回の参詣によって、幕藩体制にとっての日光の位置が確実に表明されたのです。
朝鮮国王からの使節である通信使の一行は、日光にすばらしい宝を遺しました。寛永20年の遺宝は残念ながら火災で失われてしまいましたが、明暦元年の通信使が大猷院に奉納した数々の品を、輪王寺が今日まで伝えています。
李朝国王孝宗(在位:1649-59)の筆になる額字をはじめ、燈篭、金襴、釈奠(孔子を祭る儀式)に用いる楽器の数々など、当時の韓国文化を伝える上でも貴重な品ばかりです。これらは一括して栃木県の有形文化財に指定されています。JAPAN-KOREA市民交流フェスティバル関連企画として、この度、これらの遺宝を一堂に展示致します。
再び心を通わせる日本と韓国の関係を築くため、朝鮮通信使が伝えた名宝を、江戸、明治、大正、昭和と大切に守り抜いた先人達の心とともに、ご鑑賞いただけますようお願い申し上げます。

朝鮮国王より奉納された銅燈篭
「大猷院」(たいゆういん)境内
http://www.rinnoji.or.jp/keidai/homotu/past/chosen/chosen.html
朝鮮国王より奉納された銅燈篭
「大猷院」(たいゆういん)境内
神社に奉納してくれて、ありがとう!!

朝鮮国王「孝宗」(ひょじょん)親筆額字


◆日光東照宮
朝鮮鐘(虫食いの鐘)
徳川家光公の長子誕生を祝して朝鮮通信使が献納。

東照宮に参拝に来た朝鮮通信使

参拝のために朝鮮通信使が寝泊りした、唐人小屋跡地

「清道」と書いてあるのがわかるかな?
清道とは、清の皇帝が巡察する際に使われるもの。
これは、通信使が清の皇帝のお使いをしているのだよw
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