昔のコピペより
イ・ヨンス婆さんの1993年当時の証言を暴露する
「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」
1993.10 明石書店 より (→amazon.com)
■(P.133)ある日、私がその子の家に遊びに行くと、おばさんが
「お前は履物ひとつ満足に履けなくてなんというざまだ。
いいかい、お前もうちのプンスンと一緒に、あのなんとかというところに行けば、なんでもあるらしいから。
ご飯もおなか一杯食べられるし、お前の家族の面倒もみてくれるって話だよ」
と言いました。
→ 友達のキムプンスンのおかあさんがイ・ヨンスに娘と一緒に慰安婦になるように諭している様子が克明に描写されています。
この頃は日本人、朝鮮人の売春あっせん業者による月300円の「慰安婦募集募」の新聞広告が出ていましたから、彼女らの両親は娘が売春婦になる事を100%認めていたという事になります。
■(P.133) プンスンと川で貝を採っていたら、向こうの土手の上にみたことのない老人と日本人の男の人が立っているのが見えました。
老人達が私たちの方を指さすと、男の人は私たちの方に降りてきました。
男の人が私達に手真似で行こうという仕種をしましたが、プンスンは知らん振りして反対の方に逃げました。
それから何日かたったある日の明け方、プンスンが私の家の窓をたたきながら「そうっと出ておいで」と小声で言いました。
私は足音をしのばせてそろそろとプンスンが言う通りに出て行きました。
母にも何も言わないで、そのままプンスンの後について行きました。
行ってみると川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。
国民服に戦闘帽をかぶっていました。
赤いワンピースと革靴の入った包みをもらって、幼心にどんなにうれしかったかわかりません。
もう他のことは考えもしないで即座についていくことにしました。
→ イ・ヨンスを呼びに来たのは友達のキムプンスンと言っています。
これは後に、
「軍人と、軍人に首のほうになにかをつきつけられている女性」に変化します。
また、日本人の男=慰安所の経営者の服装も国民服です。
「軍人」「銃剣をつきつけられた」に今は証言が変わっています。
ワンピースと皮靴をもらって嬉しかったと、自分の意思で慰安所の経営者についていく事を決心したと述べていますね。
軍人による強制連行など全くのウソです。
■(P.137)テグから私達を連れてきた男が慰安所の経営者でした。私達はその男を「オヤジ」と呼びました。
娘たちの中で私が一番年下でした。プンスンは私より一歳年上でしたし、他の人は十八歳、十九歳、二十歳といったところでした。
部屋に入れと言われましたが、入るまいと突っぱねたら、経営者が私の束ねた髪の毛をつかんで、ひとつの部屋にひっぱって行きました。
その部屋で電気拷問を受けたのです。
→ テグから台湾まで引率したのは、慰安所の経営者です。
当初はただの売春宿のオヤジとのやりとりだったのですが、今の証言では、軍人に強制連行された事になっています。
また、イ・ヨンスの証言で有名な電気拷問のシーンですが、これも経営者に虐待を受けたといっています。
これも今の証言では軍人に「刀で太ももの肉をえぐられた」事になっています。それも強烈に誇張された内容にすりかえられて。
■(P.142)船が釜山港に降りると、私はDDTをかけられ、三百円をもらいました。
その時帰国したのはプンスンとよくふとった女の子ともう一人と私、全部で四人でしたが、釜山で別れました。
→ 300円は慰安婦としての給料でしょうか?当時の事例から推測すると、慰安婦の親は慰安所業者から前金を貰っているはずです。
それを返済しつつ、働いた金額から生活費や食費を差し引いて後に給料が支払われる事になっております。
理由がなければ300円は支払われる事は無いので、これは慰安婦として売春して稼いだ給与であると考えます。
また、友達のキムプンスンと一緒に帰国したという事で、友達と一緒に稼ぎに出た実態が理解出来ます。
さて、ここで問題です。
・日帝が婦女子を慰安婦として強制連行した。
・日帝が婦女子を挺身隊として強制連行した。
・「女子挺身隊」とは実は慰安婦だった。
・慰安婦には給料があった。
・日帝は慰安婦の局部に焼け火箸を突っ込んだり、慰安婦をヘビで一杯の池に落とした。
・日本軍にはクリスマス休暇があった。←米軍と間違っていますね?
このなかに一つだけ本当のことを言った証言があります。どれでしょう?

ナヌムの家の所長がレイプ事件を起こしていますね。