過去、日本は中国から多くの文化を学んできたが、
年を経るごとに中国文化への依存度も低減していったような気がする。
孔子やらの諸子百家のあたりの中国文化への依存度はかなり強いが、
隋唐あたりから徐々に影響度が低下し、朱子学・陽明学のあたりを最後に
中国文化への依存度が薄れて、
代わりに蘭学やら西洋の文化への依存度がじわりじわり高まっている。
つうか、ま、中国の文化がそれだけ弱くなってきたから、
日本人にも魅力がなくなって、ついに見向きもされなくなったんだろうけど、
なぜ中国文化はそのように衰退していったんだろうか。
思うに、これは、中国が科挙の毒にやられて衰退したんじゃねえのかと、俺は思う。
科挙は隋のあたりから始まって、一時期途絶えはするも、綿々と清の終わりまで続いた。
読書やら勉強するのが偉くて、額に汗して働くのが下種な仕事のような風潮になって、
世間は退廃の一途をたどる。いくら身辺に新しい危険が迫ってきていても、
科挙の合格者には、そのような危険は感じ取れない。ついに欧米列強に食われてしまう。
朝鮮も同じようなもんだろ。
日本でも、中国で科挙ができてから、もちろん科挙はあったが、世襲が優先されて、
流行らなかった。日本で科挙まがいの登用試験が流行り始めたのは明治になってからだ。
役人を高等文官試験で選んだり、軍人も試験で士官を登用したり、
まあ、出自に関わらず試験さえ合格すれば誰でも登用するから公平でいいが、
これが高じると、多様性の欠如や、反対意見の喪失による組織の硬直化や制御不能等、
あるいは世俗の退廃など、毒がまわり始め、ついに滅びる。
太平洋戦争も清廉潔白で頭脳明晰と言われた軍閥連中が起こしただろ。
そして、敗戦を経て、科挙のような一種の規律が緩くなったときに、
抑え込まれていたエネルギーが噴出してそれが活力になって、
日本は繁栄したが、現在、またもや訳のわからん「規律」がはびこってる気がする。
いや、でも、ある意味、人生のすべての局面は試験のようなものだと言えるが、
大学入試の局面とか、公務員試験の局面とか、資格試験の局面とか、
そういう制度でこしらえた擬似的な局面を最大の難所にしてしまうことは
極めて危険じゃないのかと思う。
そんな局面でエネルギーを費やすなら、もっと利益の上がるところで
エネルギーを使ってもらった方が、国益につながると思うんだが。
いや、でも、たかだか、ペーパーテスト程度も しのげないヤツが、
その後に到来する難所をしのげるわけもないだろ、とも言えるけどね。
ま、日本の場合、試験は試験で難しいが、
馬鹿は馬鹿で面白おかしく、言いたいことを言って生きてるヤツも多いので、
まだ救いようはある気がするがw
どこかの国みたいに8割もの人間が大学に進学するようなのは
おそろしく退廃を招いて、岐路を自らふさいで、
結局は自滅の道へまっしぐらになるだけだと思うんだがね。
ま、自由と、多様性と、反対意見の尊重が社会にあれば
さほどの心配もないけど。
なんか、とりとめも無くなったがww