
1870年代
この朝鮮人、ビール瓶を貰って非常にうれしそうです。ベアトが撮影した写真で、江華島事件の捕虜が、返されるときにお土産を貰った写真らしい。当時、朝鮮半島にはガラスを作る技術はありませんでした。
雲揚号事件の事後処理に関わった日本の外交官、宮本小一と、朝鮮側の呉慶錫という人物の会話の中で、呉慶錫は、こんな発言もしています。
「わが国には石炭はあるが、それを掘る技術はない。もし、石炭や鉄を掘る技術があれば、朝鮮も富むだろうに」
ガラス材は鉄の精製過程で生じますから、石炭どころか、鉄やガラスは19世紀の朝鮮では貴重品だったことがわかります。6世紀から退化してしまったのでしょうか?

1920年代
これは、慶応大学の博士が、朝鮮の風俗を記録するために撮った写真です。日本総督府下にあった朝鮮半島でも、田舎に行けば「黄疸を治すには、ビール瓶を軒先にかける」というような、民間治療が残っていました。こういった迷信に基づく土俗文化で死者が出ることもあったため、日本は巫女の活動を禁止する必要がありました。

未開な土人を文明化する必要があった、先人の苦労が偲ばれますね。