【社説】今年も3000万ウォンを寄付した元慰安婦の願い
慰安婦旧日本軍の従軍慰安婦だったファン・グムジャさん(86)は、ソウル市江西区登村洞の狭いアパートに、17年にわたって住んでいる。30年ぶりの寒さというここ数日間、部屋の床は足がしびれるほど冷たいが、ファンさんは暖房費を抑えるため、部屋の中でも厚いジャンパーを着用している。
ファンさんは政府から、元慰安婦を対象とした生活安定支援金136万ウォン(約9万8000円)と、生活保護費36万ウォン(約2万6000円)を受け取っている。家族がいないファンさんは、洞事務所(区の出張所)が運営する、自宅近くの無料給食施設で三度の食事をとっている。アパートの家賃は月に7万ウォン(約5000円)、電気・ガス・水道の料金は3万ウォン(約2200円)前後で、小遣いを除いた約25万ウォン(約1万8000円)はすべて銀行に預金している。昨年までは古紙を集めて売り、生計の足しにしてきたが、体調が悪化したため辞めた。
ファンさんは、こうしてためた3000万ウォン(約216万円)を、生活が苦しい大学生のための奨学金として、今年も江西区へ寄付した。2006年に4000万ウォン(約288万円)を寄付して以来、08年に3000万ウォンを寄付したのに続き、3回目となる。寄付した額をすべて合わせれば1億ウォン(約720万円)になる。
咸鏡道(現・北朝鮮領)で生まれたファンさんは、13歳ぐらいのときに日本の警察官に捕まり、興南(現・咸鏡南道咸興市)のガラス工場へ連れていかれて3年間働き、その後、日本軍の慰安婦として間島(旧満州〈現・中国東北部〉の韓民族〈朝鮮民族〉居住地域)へ連れていかれた。このときに健康状態が悪化し、その後たびたび病気に苦しめられただけでなく、周囲から仲間外れにされた。夜になれば誰かが部屋のドアをたたくような幻聴に苦しめられ、また制服姿の高校生たちを見れば、旧日本軍の兵士かと思い込み、恐怖にさいなまれてきた。ファンさんの手の指は慰安婦時代、日本兵に軍靴で踏み付けられたため、節々がよじれたり、つぶれたりし、無傷な指は1本もない。
ファンさんは、「わたしは国を失った民として、不幸な人生を送ってきたが、若い学生たちには幸せになってもらいたい」と話した。その平凡ながらも痛切な願いは、ファンさんがどれだけ過酷な日々を耐えてきたかを物語るものだ。ファンさんが寒い部屋で我慢しながら、4年間にわたって提供してきた寄付金は、正月に海外旅行へ出掛ける人たちだけでなく、子どもの家庭教師の費用も払えないほど生活が苦しい人たちも含めたすべての国民に、「決心さえすれば何でもできる」ということを物語り、そして実践を促すものだ。
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版