見世物小屋(みせものごや)は、珍品や奇獣、曲芸などの出し物を行う小屋。江戸時代に爛熟し、明治時代以後に今でいうところの見世物小屋に近づいていった。江戸時代の頃には今で言うところのサーカスや美術館、動物園、おばけ屋敷、パフォーマーなどの要素も含んでいた。 昭和30年頃には、神社のお祭などで縁日などと並んで見世物小屋も興業していた。 「(略)〜お代は見てからで結構だよ。さあさあさあさあ入って入って、間もなく始まるよ〜」と口上と呼ばれる呼び込みがあり、この口上は一つの風物詩でもあり、この時代を描いたドラマなどでもよく用いられる。
現在、現役で営業している見世物小屋はわずかに2軒残っている。
昔は奇形の子供や性行為を覗き穴で見せるなど、文字通り何でも見世物にした。
時には、誘拐された子供が人身売買で、足の筋を切られた被虐的な道化役や、覗き穴の娼婦にするため、見世物にされるために売り飛ばされてきた例もあったという。
社会福祉が発達していなかった頃には、身体障害者の生活手段の一つだった。
昭和50年以後には、身体障害者を舞台に出演させることに厳しく取締りを行うようになった。
見世物の演目として珍獣を見せることも行なわれた。 珍獣を使うことは江戸時代、寛永年間ころから猪、孔雀を見せたのが最初である。
虎、狼、鶴、鸚鵡などに曲芸をさせることは、寛文年間ころからであった。 生類憐れみの令によって一時はこの種のことは行なわれなくなったが、享保2年、禁が解かれると、ふたたび流行した。
以後、奇形のもので八頭八足の牛、三本足雞など、また獏、鯨、ガラン鳥、いんこ、雷獣、山嵐、駝鳥、水豹、白牛などもあった。
文政4年の駱駝の登場は大変な人気を博し、梁川星巌はそれを見て作詩し、その詩が文人間で愛唱され、その意味で、夫婦が一緒に歩くことを「駱駝」と言うようになったことは頼山陽の書簡にも見える。
天保年間には豹、白狸、六足犬、岩獅子、火喰鳥などの見世物もあった。
・・・ヘビ女の見世物で上半身裸の女性が大蛇を首に巻き、ヘビを食べてみせるショーとかがあったようです。
神社の参道脇に、満州から復員した義手義足の日本兵が膝をつき、寄付を求める乞食のようなことをする男性もいました。