アメリカは第二次世界大戦の時には日本人を人間扱いしていませんでした。
戦争中だからそれは仕方がないとしても、無抵抗の民間人を片っ端から殺していった。その行為を、スカッと忘れてしまった日本人を見て、アラブの国々があきれかえるのも無理はありません。
改めてアメリカを憎もう!というつもりはありません。私もアメリカは「正義」だから、日本人は虫けらのように爆撃されても、原爆を落とされても仕方がなかったのだ。と、洗脳された一人なのですから。
だけど、アメリカはそういう理不尽なことをやっていたこと、そんなアメリカと戦って死んでいった、ごく普通の日本人が多くいたことは、日本人として知っておくべきだと思うのです。学校の先生も、八百屋さんも、税金を払うだけでは済まなくなってしまったから、仕方が無く戦ったんです。(戦争を回避できたかの議論はここではしません。)
私はネトウヨまでもいかない、一般人です。
以下は、ひらがなさんの過去スレを引用させていただきました。

日教組はまだ、侵略のために若い命を捨てていった
と、教え続けるつもりか?

東京 [編集]
- 3月10日 東京大空襲 死者約8万~10万。負傷4万~11万名。焼失26万8千戸。
- 4月13日 城北大空襲 B29・330機。死者2459名。焼失20万戸。主として豊島・渋谷・向島・深川方面。
- 4月15日 京浜空襲 B29・202機。死者841名。焼失6万8400戸。主として羽田・大森・荏原・蒲田方面。隣接している川崎市も同時に空襲を受けた。
- 5月24日 B29・525機。死者762名。焼失6万5千戸。主として麹町・麻布・牛込・本郷方面。
- 5月25日 B29・470機。死者3651名。焼失16万6千戸。主として中野・四谷・牛込・麹町・赤坂・世田谷方面。
名古屋 [編集]
1944年12月13日以降、名古屋は軍需工業地帯が集中していたため下記の大空襲を含む63回の空襲を受けて死者8630名、負傷者11164名、罹災者52万3千名の被害を出した。実際には死者は1万名以上にのぼるとみられる。
- 1945年3月12日 名古屋大空襲 B29・288機。死者602名。負傷者1238名。全焼2万9千戸。
- 3月19日 死者1037名。負傷者2813名。焼失3万6千戸。
- 5月14日 B29・480機。この日の空襲で名古屋城が焼失した。
- 6月9日 熱田空襲 B29・43機。死者2068名。負傷1944名。
- 6月21日 B29・120機。死者426名。負傷者327名。
大阪 [編集]
大阪は1945年1月9日以降、 下記の大空襲を含む33回の空襲を受けた。
- 1945年3月13日 大阪大空襲 B29・279機。死者3115名。焼失13万2459戸。
- 6月1日 B29・474機。死者3150名。焼失6万戸
- 6月7日 B29・250機。死者1594名。負傷者4967名。焼失5万6千戸。
- 6月15日 B29・469機。死者418名。負傷者1842名。焼失4万9千戸。
- 6月26日 B29・約100機。死者592名。負傷者1102名。焼失約9千戸。
- 7月24日 B29・約400機を含む大小二千機。死者187名。負傷317名。焼失554戸。
- 8月14日 B29・約100機。死者173名。負傷89名。焼失二千戸。大阪城にあった砲兵工廠が目標であった。
神戸 [編集]
神戸は1945年1月3日以降、下記の大空襲を含む83日・128回、死者8841名、負傷18404名、焼失12万8千戸の被害を終戦までに受けた。同年3月17日の大空襲で旧市街地の西の地域を中心に焼失する。
- 1945年3月17日 神戸大空襲 B29・309機。死者2598名。負傷者8558名。全焼6万5千戸。罹災人口23万6千名。
- 5月11日 B29・92機。死者1093名。負傷者924人。
- 6月5日 B29・481機。死者3184名。負傷者5824名。全焼5万5千戸。罹災人口21万3千名。
京都 [編集]
京都は1945年1月16日以降、合計20回以上の空襲を受けて死者302人、負傷者561人の被害を出した。
- 1945年1月16日 死者41人
- 3月19日
- 4月16日
- 5月11日 京都御所へ空襲。
- 6月26日 死者43人、負傷者66人、被害家屋292戸(全壊71戸、半壊84戸、一部損壊137戸)。被災者850名
主要地方都市 [編集]
1944年 [編集]
- 1944年6月15日 八幡空襲 中国大陸の基地から初めてB29が本土を空襲した。
- 10月10日 十・十空襲 沖縄県全域に対しての空襲。那覇市街での被害が大きかったため、那覇空襲とも呼ばれる。
- 10月25日 大村大空襲 当時東亜最大規模と言われた第21海軍航空廠があった長崎県大村市を狙った空襲。死者約500名。
- 11月21日 熊本初空襲
1945年3月 [編集]
- 1945年3月18日朝 大分空襲 航空隊施設を狙ったものと見られ、宇佐・大分・佐伯が空襲を受けた。
- 3月18日朝 鹿児島初空襲 グラマン・カーチス等の艦載機40機が桜島上空に現れ、郡元町にある海軍航空隊を急降下爆撃。
- 3月19日 アメリカ軍機動部隊、室戸岬沖80キロの近海に来襲。米艦載機350機が呉軍港空襲を敢行。航空母艦3巡洋艦2敷設艦2が大破沈没。これに対しての日本軍の反撃で、九州沖航空戦が生起した。
- 3月27日 小倉大空襲
1945年4月 [編集]
- 4月8日 玉野空襲
- 4月15日 川崎空襲 死者約1000人、負傷者15,000人。罹災人口10万人。全半壊33,361戸。同工場287戸。川崎は7月13日、25日、8月1日、13日にも空襲を受けた。
- 4月21日 鹿児島空襲 鹿児島市電上町線の一部区間が被害を受けた。時限爆弾が投下され、5月末ごろまで昼となく夜となく爆発を続けたため、熊本第6師団から歩兵1個中隊と工兵隊1分隊が、時限爆弾とこの不発弾処理にあたった。
1945年5月 [編集]
- 5月10日 徳山大空襲 第三海軍燃料廠を狙った空襲。B29・約800機。死者500人以上、負傷者約1000人。
- 5月29日 横浜大空襲 B29・475機、P51・約100機。死者3787人。重傷者1554人。軽傷者10,837人。罹災人口323,000人。焼失約3万戸。その後の調査で、死者は8千~1万人にのぼることが確実と考えられている。
- 5月31日 台北大空襲 B24・117機日本統治時代の台北市、死者約3000人。
1945年6月 [編集]
- 6月1日 尼崎空襲 死者231人。
- 6月10日 日立空襲 死者1200人。
- 6月10日 千葉空襲 B29・約100機。死者152人。
- 6月17日 鹿児島大空襲 B29・117機、焼夷弾810トン。死者2,316人、負傷者5,000人以上、家屋被災約11,600戸。
- 6月18日 浜松空襲 死者1720人。焼失家屋15,400戸。
- 6月18日 四日市空襲 B29・89機。死者736人、負傷者1500名、行方不明63人、被災者47,153名、焼失家屋11,390戸。
- 6月19日 福岡大空襲 B29・239機。罹災人口60,599人(うち死者902人)。罹災家屋12,693戸。
- 6月19-20日 静岡大空襲 B29・137機。死者1,952人 罹災人口127,119人 焼失家屋30,045戸。静岡市(現在の葵区・駿河区)は、計26回の空襲を受けましたが、それ以外にも数えきれない程の機銃掃射や空襲とは呼べない小規模な爆撃を受けている。
- 6月19-20日 豊橋空襲 B29・136機。死者624人
- 6月22日 姫路空襲(川崎航空機姫路製作所とその周辺) B29・約60機、死者341人、罹災者10220人。
- 6月22日 水島空襲(現倉敷市) 死者11人、重軽傷者46人。
- 6月22日 各務原空襲(現航空自衛隊岐阜基地付近)B29・44機。死者169人
- 6月22日 呉空襲 工廠への爆撃[1] 死者1600人。
- 6月28日 呉大空襲
- 6月29日 佐世保大空襲 B29・141機。焼夷弾約1200トン。死者約1300人、罹災人口約65,000人。当日は雨で「今日は来ないだろう」という市民の不意を突き深夜に空襲された。
- 6月29日 岡山空襲 B29・137機。死者1737人。罹災人口12万人。罹災家屋25,000戸。(『岡山市史』)空襲警報が出されずまったくの不意打ちであったため被害が増大した。
1945年7月 [編集]
- 7月1-2日 熊本大空襲
- 7月1日-2日 呉市空襲 B29・150機。死者3,700人。[4]
- 7月2日 下関空襲 B29・143機。死者324人。罹災人口38,700人。罹災家屋8,600戸。6月29日に続く2度目の空襲。
- 7月3日 姫路大空襲 深夜から4日未明にかけ、B29・約107機。死者173人、罹災者45,182人。姫路城は焼失を免れる。
- 7月4日 高松空襲 B29・116機。死者1359人、罹災人口86,400人、罹災家屋18,913戸。高松市の約80%が焦土と化した。
- 7月4日 徳島大空襲 B29・129機 死者約1,000人、けが人は約2,000人、被災者約70,000人。徳島市(当時)の62%が焦土と化した。
- 7月4日 高知大空襲 B29・120機 死者401人、罹災家屋約12,000戸。
- 7月6日 千葉空襲 B29・124機。死傷者1,679人。
- 7月6日 甲府空襲 B29・131機。死者1,027人。全焼17,920戸。
- 7月7日 清水大空襲(現在の静岡市清水区)
- 7月9日 和歌山大空襲 B29・約100機。死者約1200人。
- 7月9日 堺空襲 B29・約100機。死者1860人。焼失18,000戸。
- 7月9日 岐阜空襲 B29・約130機。死者約900人。
- 7月10日 仙台空襲 B29・124機。死者828人。負傷者385人。焼失家屋23,956戸。詳細は項目記事を参照。
- 7月12日 宇都宮大空襲 B29・133機、焼夷弾12,704発。死者628人、負傷者約1,150人。焼失家屋9,490戸。鹿沼空襲 死者9人。
- 7月12日 敦賀空襲 死者109人。負傷者201人。
- 7月14日 釜石艦砲射撃。一回目。少なくとも死者515人。
- 7月14-15日 北海道空襲 米機動部隊艦載機約2,000機による空襲。被害は北海道全土に及んだ。
- 7月15日 室蘭艦砲射撃。死者436人。室蘭は前日にも空襲を受けたばかりだった。
- 7月16-17日 大分空襲 16日夜半頃B29編隊(約30数機)が襲来、市の中心部を約6,000発の焼夷弾爆撃。2,358戸が焼失。
- 大分はこの他にも4月21日、5月5日、8月10日など本土空襲での米軍の通り道であったため度々空襲を受けた。また公式記録には残っていないものの、別府市浜脇地区も被弾したといわれている。[要出典]一連の空襲での死傷者は1,193人。
- 7月16日 平塚大空襲 B29・136機 焼夷弾10,961発、死者343名
- 海軍火薬廠、日本国際航空工業、第二海軍航空廠平塚分工場、横須賀海軍工廠造機部平塚分工場がターゲットであったとされ、人的被害は比較的少ないが大規模な爆撃。当時の市域における面積の約8割、戸数の約6割を焼失。
- 7月17日 沼津大空襲
- 7月17日 桑名空襲
- 桑名は7月24日にも空襲を受けた。
- 7月17日 日立艦砲射撃。死者317人。
- 7月18日 野島崎(千葉県白浜)艦砲射撃。死者6人。巡洋艦4隻、駆逐艦9隻によるもの。
- 7月19日 福井空襲 B29・120機。死者1,576人。
- 7月19日 日立空襲 B29・127機、死傷者2,199人。
- 7月19日 銚子空襲 B29・91機。死傷者1,181人。
- 7月24日 半田空襲 B29・78機。死者269人。中島飛行機半田製作所を標的とした攻撃。
- 7月24日、28日 津大空襲 死者1,239人。旧市街の全域、及び、橋北地区の工場地帯が焼失。
- 7月24日、28日 呉軍港空襲 米艦載機950機、B29・110機[5] 航空母艦3 巡洋艦5が大破沈没 死者780人。
- 7月25日 保戸島空襲(大分県津久見市)米軍グラマン戦闘機が投下した3発のうちの1発が授業中だった保戸島国民学校(現・津久見市立保戸島小学校)を直撃し、児童125人、教師2人が即死し、70数人の児童が重軽傷を負った。
- 7月25日 串本艦砲射撃。潮岬も含め、周辺は何度となく艦砲射撃を受けている。
- 7月26日 松山大空襲 B29・128機による午後11時から2時間10分に及ぶ夜間空襲。死者・行方不明259人、負傷者把握不可の大惨事となった。全戸数の55%である14,300戸を焼失。全人口の53%の62,200人が罹災し、市のシンボルである松山城へも焼夷弾攻撃を受けたが、大天守は焼失を免れる。米軍機の損失はなかった(「アメリカ軍松山爆撃報告書」による)。
- 7月26日 平空襲
- 7月26日 徳山空襲 B29・約100機。死者482人、負傷者469人。市街地の90%を焼失。5月10日の空襲と合わせて旧徳山市街地は壊滅した。
- 7月27日 2度目の鹿児島空襲。昼12時45分頃、3梯団からなるB29の爆撃を受けた。
- 7月28日 青森大空襲 B29・61機。死傷者1767人。焼失家屋18,045戸(市街地の88%)。新型のM74六角焼夷弾が使用され、東北地方では最大の被害を出した。青函連絡船第2青函丸、第3青函丸、第6青函丸、翔鳳丸、飛鸞丸が航行中に撃沈された。
- 7月29日 浜松艦砲射撃。死者177人。周辺の被害も含む。
- 7月31日 清水艦砲射撃。死者44人。7隻の駆逐艦によるもの。
1945年8月 [編集]
- 8月1日 水戸空襲 B29・99機。死傷者1535人。
- 8月1日 八王子空襲 B29・169機。死傷者2450人。焼失家屋14,000戸。罹災人口77,000人。
- 8月1日 長岡空襲 B29・125機。死者1470人余。焼失家屋11,986戸。
- 8月2日 富山大空襲 B29・174機。死者2737人。負傷者7900人。焼失家屋24,914戸(市街地の99.5%)。罹災人口109,592人。広島・長崎の原爆を除けば地方都市として最大の被害。
- 8月5日 前橋・高崎空襲 B29・92機。死傷者1323人。
- 8月6日 広島原爆
- 8月7日 豊川海軍工廠空襲 死者2477人。
- 8月8日 福山大空襲 B29・91機。死者354人、負傷者864人、焼失家屋数10,179戸、被災人口47,326人(福山市民82%が被災)。同年6月にはグラマンF6F艦上戦闘機によって福山海軍航空隊への機銃掃射が行われていた。
- 8月8日 八幡大空襲。B29・127機。死者2952人、焼失家屋数14,380戸。このときの火災による煙が、翌日の原爆の投下目標を小倉から長崎に変更させる一因となった。
- 8月9日 長崎原爆
- 8月9日 大湊空襲。死者129名、負傷者300名以上。敷設艦常磐などが大破。
- 8月9日 釜石艦砲射撃。2回目。少なくとも死者301人。爆音は秋田市まで響いたという。
- 8月10日 花巻空襲、熊本空襲
- 8月11日 久留米空襲 死者212人。焼失家屋4506戸。
- 8月13日 長野空襲 長野市、上田市に艦載機62機による空襲。
- 8月14日 熊谷空襲 B29・82機。死傷者687人。
- 8月14日 岩国大空襲 この空襲の帰りに光にも空襲があった。
- 8月14日 山口県光市 光海軍工廠空襲 死者738人。
- 8月14-15日 小田原空襲 死者30~50人。
- 8月14-15日 土崎大空襲 B29・132機。死傷者300~400人。最後の空襲。
- 1944年6月15日 八幡空襲 中国大陸の基地から初めてB29が本土を空襲した。
- 10月10日 十・十空襲 沖縄県全域に対しての空襲。那覇市街での被害が大きかったため、那覇空襲とも呼ばれる。
- 10月25日 大村大空襲 当時東亜最大規模と言われた第21海軍航空廠があった長崎県大村市を狙った空襲。死者約500名。
- 11月21日 熊本初空襲
1945年3月 [編集]
- 1945年3月18日朝 大分空襲 航空隊施設を狙ったものと見られ、宇佐・大分・佐伯が空襲を受けた。
- 3月18日朝 鹿児島初空襲 グラマン・カーチス等の艦載機40機が桜島上空に現れ、郡元町にある海軍航空隊を急降下爆撃。
- 3月19日 アメリカ軍機動部隊、室戸岬沖80キロの近海に来襲。米艦載機350機が呉軍港空襲を敢行。航空母艦3巡洋艦2敷設艦2が大破沈没。これに対しての日本軍の反撃で、九州沖航空戦が生起した。
- 3月27日 小倉大空襲
1945年4月 [編集]
- 4月8日 玉野空襲
- 4月15日 川崎空襲 死者約1000人、負傷者15,000人。罹災人口10万人。全半壊33,361戸。同工場287戸。川崎は7月13日、25日、8月1日、13日にも空襲を受けた。
- 4月21日 鹿児島空襲 鹿児島市電上町線の一部区間が被害を受けた。時限爆弾が投下され、5月末ごろまで昼となく夜となく爆発を続けたため、熊本第6師団から歩兵1個中隊と工兵隊1分隊が、時限爆弾とこの不発弾処理にあたった。
1945年5月 [編集]
- 5月10日 徳山大空襲 第三海軍燃料廠を狙った空襲。B29・約800機。死者500人以上、負傷者約1000人。
- 5月29日 横浜大空襲 B29・475機、P51・約100機。死者3787人。重傷者1554人。軽傷者10,837人。罹災人口323,000人。焼失約3万戸。その後の調査で、死者は8千~1万人にのぼることが確実と考えられている。
- 5月31日 台北大空襲 B24・117機日本統治時代の台北市、死者約3000人。
1945年6月 [編集]
- 6月1日 尼崎空襲 死者231人。
- 6月10日 日立空襲 死者1200人。
- 6月10日 千葉空襲 B29・約100機。死者152人。
- 6月17日 鹿児島大空襲 B29・117機、焼夷弾810トン。死者2,316人、負傷者5,000人以上、家屋被災約11,600戸。
- 6月18日 浜松空襲 死者1720人。焼失家屋15,400戸。
- 6月18日 四日市空襲 B29・89機。死者736人、負傷者1500名、行方不明63人、被災者47,153名、焼失家屋11,390戸。
- 6月19日 福岡大空襲 B29・239機。罹災人口60,599人(うち死者902人)。罹災家屋12,693戸。
- 6月19-20日 静岡大空襲 B29・137機。死者1,952人 罹災人口127,119人 焼失家屋30,045戸。静岡市(現在の葵区・駿河区)は、計26回の空襲を受けましたが、それ以外にも数えきれない程の機銃掃射や空襲とは呼べない小規模な爆撃を受けている。
- 6月19-20日 豊橋空襲 B29・136機。死者624人
- 6月22日 姫路空襲(川崎航空機姫路製作所とその周辺) B29・約60機、死者341人、罹災者10220人。
- 6月22日 水島空襲(現倉敷市) 死者11人、重軽傷者46人。
- 6月22日 各務原空襲(現航空自衛隊岐阜基地付近)B29・44機。死者169人
- 6月22日 呉空襲 工廠への爆撃[1] 死者1600人。
- 6月28日 呉大空襲
- 6月29日 佐世保大空襲 B29・141機。焼夷弾約1200トン。死者約1300人、罹災人口約65,000人。当日は雨で「今日は来ないだろう」という市民の不意を突き深夜に空襲された。
- 6月29日 岡山空襲 B29・137機。死者1737人。罹災人口12万人。罹災家屋25,000戸。(『岡山市史』)空襲警報が出されずまったくの不意打ちであったため被害が増大した。
1945年7月 [編集]
- 7月1-2日 熊本大空襲
- 7月1日-2日 呉市空襲 B29・150機。死者3,700人。[4]
- 7月2日 下関空襲 B29・143機。死者324人。罹災人口38,700人。罹災家屋8,600戸。6月29日に続く2度目の空襲。
- 7月3日 姫路大空襲 深夜から4日未明にかけ、B29・約107機。死者173人、罹災者45,182人。姫路城は焼失を免れる。
- 7月4日 高松空襲 B29・116機。死者1359人、罹災人口86,400人、罹災家屋18,913戸。高松市の約80%が焦土と化した。
- 7月4日 徳島大空襲 B29・129機 死者約1,000人、けが人は約2,000人、被災者約70,000人。徳島市(当時)の62%が焦土と化した。
- 7月4日 高知大空襲 B29・120機 死者401人、罹災家屋約12,000戸。
- 7月6日 千葉空襲 B29・124機。死傷者1,679人。
- 7月6日 甲府空襲 B29・131機。死者1,027人。全焼17,920戸。
- 7月7日 清水大空襲(現在の静岡市清水区)
- 7月9日 和歌山大空襲 B29・約100機。死者約1200人。
- 7月9日 堺空襲 B29・約100機。死者1860人。焼失18,000戸。
- 7月9日 岐阜空襲 B29・約130機。死者約900人。
- 7月10日 仙台空襲 B29・124機。死者828人。負傷者385人。焼失家屋23,956戸。詳細は項目記事を参照。
- 7月12日 宇都宮大空襲 B29・133機、焼夷弾12,704発。死者628人、負傷者約1,150人。焼失家屋9,490戸。鹿沼空襲 死者9人。
- 7月12日 敦賀空襲 死者109人。負傷者201人。
- 7月14日 釜石艦砲射撃。一回目。少なくとも死者515人。
- 7月14-15日 北海道空襲 米機動部隊艦載機約2,000機による空襲。被害は北海道全土に及んだ。
- 7月15日 室蘭艦砲射撃。死者436人。室蘭は前日にも空襲を受けたばかりだった。
- 7月16-17日 大分空襲 16日夜半頃B29編隊(約30数機)が襲来、市の中心部を約6,000発の焼夷弾爆撃。2,358戸が焼失。
- 大分はこの他にも4月21日、5月5日、8月10日など本土空襲での米軍の通り道であったため度々空襲を受けた。また公式記録には残っていないものの、別府市浜脇地区も被弾したといわれている。[要出典]一連の空襲での死傷者は1,193人。
- 7月16日 平塚大空襲 B29・136機 焼夷弾10,961発、死者343名
- 海軍火薬廠、日本国際航空工業、第二海軍航空廠平塚分工場、横須賀海軍工廠造機部平塚分工場がターゲットであったとされ、人的被害は比較的少ないが大規模な爆撃。当時の市域における面積の約8割、戸数の約6割を焼失。
- 7月17日 沼津大空襲
- 7月17日 桑名空襲
- 桑名は7月24日にも空襲を受けた。
- 7月17日 日立艦砲射撃。死者317人。
- 7月18日 野島崎(千葉県白浜)艦砲射撃。死者6人。巡洋艦4隻、駆逐艦9隻によるもの。
- 7月19日 福井空襲 B29・120機。死者1,576人。
- 7月19日 日立空襲 B29・127機、死傷者2,199人。
- 7月19日 銚子空襲 B29・91機。死傷者1,181人。
- 7月24日 半田空襲 B29・78機。死者269人。中島飛行機半田製作所を標的とした攻撃。
- 7月24日、28日 津大空襲 死者1,239人。旧市街の全域、及び、橋北地区の工場地帯が焼失。
- 7月24日、28日 呉軍港空襲 米艦載機950機、B29・110機[5] 航空母艦3 巡洋艦5が大破沈没 死者780人。
- 7月25日 保戸島空襲(大分県津久見市)米軍グラマン戦闘機が投下した3発のうちの1発が授業中だった保戸島国民学校(現・津久見市立保戸島小学校)を直撃し、児童125人、教師2人が即死し、70数人の児童が重軽傷を負った。
- 7月25日 串本艦砲射撃。潮岬も含め、周辺は何度となく艦砲射撃を受けている。
- 7月26日 松山大空襲 B29・128機による午後11時から2時間10分に及ぶ夜間空襲。死者・行方不明259人、負傷者把握不可の大惨事となった。全戸数の55%である14,300戸を焼失。全人口の53%の62,200人が罹災し、市のシンボルである松山城へも焼夷弾攻撃を受けたが、大天守は焼失を免れる。米軍機の損失はなかった(「アメリカ軍松山爆撃報告書」による)。
- 7月26日 平空襲
- 7月26日 徳山空襲 B29・約100機。死者482人、負傷者469人。市街地の90%を焼失。5月10日の空襲と合わせて旧徳山市街地は壊滅した。
- 7月27日 2度目の鹿児島空襲。昼12時45分頃、3梯団からなるB29の爆撃を受けた。
- 7月28日 青森大空襲 B29・61機。死傷者1767人。焼失家屋18,045戸(市街地の88%)。新型のM74六角焼夷弾が使用され、東北地方では最大の被害を出した。青函連絡船第2青函丸、第3青函丸、第6青函丸、翔鳳丸、飛鸞丸が航行中に撃沈された。
- 7月29日 浜松艦砲射撃。死者177人。周辺の被害も含む。
- 7月31日 清水艦砲射撃。死者44人。7隻の駆逐艦によるもの。