1958年 福岡県立修猷館高校を卒業。
1967年 東京神学大学大学院修士課程を修了。
東京・東大阪・神戸の諸教会に牧師として従事。
現在、日本キリスト教団和田山地の塩伝道所牧師。
1973年 衆議院議員・河上民雄氏の地元秘書(2年間)。
1982年 在宅福祉民間ボランティアグループ「神戸ライフケアー協会」を設立し、 初代事務局長。
河上民雄
1980年の社会主義インターナショナル第15回大会では、でっちあげ裁判で死刑を宣告されていた金大中の名を議長の総括演説に盛り込むよう主張し、ヴィリー・ブラント議長に総括演説で「金大中を殺してはならない」と叫ばせることに成功した。こうした国際圧力で金大中の死刑は回避され、後に金大中は釈放された。
関西学院 教授・河上丈太郎の長男として生まれる。父・丈太郎は、1928年の総選挙で日本初の無産政党出身の代議士となり、戦後は右派社会党委員長・日本社会党委員長を歴任した。
河上丈太郎
河上 丈太郎(かわかみ じょうたろう、1889年1月3日 - 1965年12月3日)は、東京都港区出身の日本の政治家。右派社会党委員長、日本社会党委員長を歴任した。
古材木商河上新太郎の息子として生まれた。丈太郎が幼いときに、父がキリスト教に入信し、父の影響で丈太郎自身も敬虔なクリスチャンとなった。立教中学に通っている時に、『万朝報』に掲載された、幸徳秋水の「退社の辞」に感銘を受け、社会主義思想に関心を持つようになった。
幸徳秋水
幸徳 秋水(こうとく しゅうすい、明治4年9月23日(1871年11月5日) - 明治44年(1911年)1月24日)は、明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者。本名は幸徳傳次郎(こうとく でんじろう)。秋水の名は、師事していた中江兆民から与えられたもの。大逆事件で処刑された12名の1人。
ということで、
堂々たるクソ左翼
認定^^