1945年 9月 2日 - 日本, ミズーリ艦上で降伏文書調印
1945年 9月 2日朝, 東京湾(湾)に停泊した米海軍戦艦ミズーリ(U.S.S ‘Missouri’, BB-63) 艦上には 92年前日本を無力で開港させたペリー提督の期するにかかったまさにその星條旗がせいでひるがえていました. 連合軍最高司令官マッカーサー元首の心もち短い演説を始まりに日本の降伏文書調印式が開かれます. “連合軍最高司令官である私は, 私が代表する国家の慣例によって, 降参条項が完全に, 即刻で, 充実に移行されるようにすべての措置を取りながら, 正義と寛容で責任を遂行して行くはずだと確かに明らかにしておきます.” マッカーサーが演説を終えてゴゲジッで信号をすると日本政府を代表した ‘シゲミス’ 外務大臣が補佐官とともにこれから私と帽子を脱いでテーブルの上に乗せて手袋を脱ぎました. テーブルの上には連合軍側であらかじめ準備した二つの降伏文書が置かれていたし, シゲミスは一番目文書に署名した後二番目文書に署名するに先立ってしばらくもじもじします. ‘ジョージフスティルウェル’ 将軍が近付いて指でどこに署名しなければならないか示したし, マッカーサーはしばらく軽蔑の目つきでシゲミスを眺めました.
日本の降参文書.
シゲミスが震える手に署名した降伏文書には
第一, 日本軍と日本の支配の下にあるすべての武将勢力は直ちに無条件降伏すること.
第二, 連合軍最高司令官の命令に従うこと.
第三, 天皇と日本政府はポツダム宣言の条項をまじめに履行すること.
第四, 天皇と日本政府の権限は連合国最高司令官の統制の下に残すことなどの内容が明示されていたんです. シゲミスと日本軍を代表した陸軍参謀総長 ‘ウメズヨシジで’が署名した降伏文書に連合軍総司令官資格でマッカーサー元首が署名した後, アメリカ, 中国, イギリス, ソ連, オーストラリア, カナダ, フランスなど承前国代表たちが順に署名します. こういうわけで 2次世界大戦は公式的に終わるようになります. 人類歴史上前例がなかった代参化が幕を閉じる瞬間としてはとても水くさかったです. マッカーサーの演説から連合国代表たちの署名が終わる時までの時間はただ 10分余りに過ぎなかったからです. しかし各国代表たちが降伏文書に署名した万年筆のインク一滴, 一滴は数百, 数千万人類の血で成り立ったことと同じでした.
切ないことはこの席に韓国代表はいなかったという事実でした. 世界どんな民族よりも日本帝国主義の苛酷な収奪と搾取に苦しみながらも, しつこい武装闘いを続いて来た韓国代表が除かれたという事実は以後韓半島で開く悲劇を予告することとようでした. フランスが大田初期にドイツに降伏しながら実際戦争に寄与したところがしがなかったが承前国の地位を占めたこととは違い韓国人たちには初めからそんな機会が与えられなかったです. 大韓民国臨時政府の代表何人が日本の敗亡直後汝矣島に米軍軍用機で到着してから日本軍たちに追い回されてまた傷害に帰ったという記録は当時臨時政府の地位が国際的にいくらしがなかったのかをよく言ってくれます.
えんび服に杖をついている人がシゲミス日本外務大臣.
しかし, 日本の降参調印式場は韓国人たちの独立に対するピオリン闘いの跡を黙黙と見せてくれていました. 日本代表シゲミス外務大臣は杖なしには歩くことができないひどい障害を持っていたが, 1932年 4月 29日, 上海Luxun Parkであった尹奉吉義士の義挙によるのでした. 傷害駐在日本総領事だったシゲミスはすぐこの日ユン意思の爆弾攻撃にした方足を失ったのでした. 私は世界人たちが見守る降参調印式場でシゲマスのひきずって歩く足つきは韓民族が日本帝国主義の殖民統治に抗して独立のために闘争したという事実をはっきり証明すること引き継ぎました.
ところが, 降伏文書の
3番目 , 天皇と日本政府はポツダム宣言の条項をまじめに履行すること...
ところが,
ポツダム宣言第 8項 (1945.7.26)
カイロ宣言のすべての条項は移行されるはずで, 日本国の主権は本州優, 北海道, 九州, 四国と 私たち(連合国)が決定する小さな島々に限るでしょう.The terms of the Cairo Declaration shall be carried out and Japanese soveregnty shall be be limited to the islands of Honshu, hokkaido, Kyushu, shikoku, and such minor island as we determine.
すなわち, 45年から独島は韓半島と付属島嶼に含まれて日本国から除かれます..