15世紀前半、倭寇の攻撃が激化するなか、世宗は通信使を派遣して
日本国王「足利義持」に倭寇の征伐を願い出た。
通信使は苦労の末に京都に到着したが、足利義持は世宗の対馬攻撃を大いに非難し、警戒した。
足利義持は、朝鮮が日本を侵略しに来たと勘違いしたのである。
当然、足利義持は、通信使の謁見を拒否した。
困った通信使は京都で熱弁をふるった。
「対馬攻撃は日本を侵略するものではありません。朝鮮は倭寇の攻撃に困っており、倭寇の
本拠地である対馬を攻撃したのです」
なかなか謁見の許可が下りなかったが、最終的に足利義持との謁見が実現された。
・・・老松堂日本行録は、ざっと、こういう内容でした。