[ハンギョレ]6月22日は1965年韓-日協定が調印された日だ。この日をむかえて調印46年目になる韓-日協定を深く考えてみる。韓日両国は外交関係を樹立し経済協力も緊密にして文化交流も人的交流も大きく増えている。ところがともすると過去の困惑した時点に両国の感情が戻るようなことが繰り返されている。何が誤りなのか振り返ることをこれ以上遅らせてはいけないようだ。
今年は日本人たちにはぞっとする年として記憶されるだろう。去る3月、東北地方に大規模地震と津波が襲って途方もない被害をもたらし、その余波で福島原子力発電所が爆発して今も放射能流出が続いている。こういう自然災害と人災による惨禍に日本列島と全世界が固唾をのんで悲しみを分かち、援助の手を直ちに差し出した。
そのような渦中に出てきたのが日本政府が韓半島植民支配を正当化・美化する歪曲歴史教科書の採択を拡大するという措置であり、独島(ドクト、日本名:竹島)領有権主張を繰り返したことだった。極限の惨禍の中で発表されたそのような立場は1923年の関東大地震当時、意図的デマ・扇動で罪のない朝鮮人数千人を集団虐殺したその考え方とあまりにも似ている。
私たち韓国人とアジア人に日本人たちのそのような考え方は理解できない。過ぎた日、自分たちが被害を与えた隣国国民に謝って新しい善隣関係を結ぶことが正常だろうに、太平洋戦争以来70年が近づいても精神年令の成長が停止したような姿を続けて見せている。日本のそのような姿は同じ立場のドイツとしばしば比較される。過去、西ドイツはナチ・ドイツの侵略と迫害にあった国と民族に謝罪し、できるだけ賠償もし補償もした。ヴィリー・ブラント総理はポーランドの犠牲者追悼碑の前にひざまずいて謝罪した。ナチ戦犯らについては最近までも追跡して処罰した。ドイツのこのような姿勢はヨーロッパ共同体そしてヨーロッパ聨合に発展しドイツ統一の土台になった。
1965年韓-日協定締結当時、60年4月革命の雰囲気が持続したとすれば、わが方の民間人補償、文化財返還、平和船などの放棄、日本側の挺身隊謝罪および未帰還海外同胞帰還義務拒否に加えて歪曲歴史教科書策定や独島領有権主張などのことが容認できただろうか。軍事反乱で独裁政権にならず、民主政治部が韓-日協定交渉をしたとすれば国民の意思を無視して屈辱的な交渉結果を出すことはできなかっただろう。米国は太平洋戦争の終戦処理のために日本と聨合国間に1951年サンフランシスコ講和条約を締結しながら対空防御網の一環として米国を頂点とする韓-日修交を想定していた。韓国は聨合国の一員として待遇されなかった。正統性が不足し米国に認められるため汲々とした軍事反乱勢力が国民の要求を反映する交渉姿勢を見せるのは期待できなかった。
このように植民支配の被害当事者である我が国民の利益は、その国民の代表が協議にはいった政権から弾圧され無視された。その政権は国民の利益を譲歩してあきらめる代価として政権の新しい政党の共和党の事前組織秘密資金を日本から受け取った。
もはや米-ソ冷戦時代も軍事独裁の時代も過ぎた。東アジア平和共存時代、民主化時代に入ったという。ところが植民支配時代にも通じる日本の時代錯誤的な措置と主張が反復され東アジアの平和共存と新しい韓-日関係に障害物として作用しており、民主主義時代を生きていく韓国国民とアジア人をとても不快にしている。
こういう口実を提供したのが植民支配-被支配意識を反映した1965年の韓-日協定だ。この協定はこの時代に合わない。この協定は韓国の軍事反乱で登場した独裁政権が国民の意思と利益を抑圧し屈辱的に結んだ条約だからこの時代の韓国国民が受け入れることはできない過去の遺物だ。再協議を通じて変わらない場合、今後もずっと韓-日善隣関係に苦労の種の役割をするだろう。
ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) [時論]‘新しい韓-日協定’が必要だ/イ・ブヨン
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/483992.html
日本と対等だと思ってるのかしら?w
