日本人は百済の DNAを持っている
遺伝子と文化は百済に
言語と文法は高句麗に
日本燐安に (クダだと)百済のDNA(を)を確認した東京シンポジウム
ここにいらっしゃる日本人皆さん, うちの日本人の DNAを検査して見てください. まさしく多い方々が韓国人, さかのぼって百済人の DNAを持っているでしょう.
去る 6月 13日東京ポシズンホテル親撰所(椿山荘)ホールをいっぱい埋めた 500人相当の聴衆たちの前で京都産業大学教授でギョトシリブヨックサザリョグァンザングであるInoue(井上満郎) 博士がこんなに言った時室内は軽い童謡があったがたちところに静かになった.
ややっぱり突発事態でも裂けないか心配したが意外に日本人聴衆たちは真剣だった. あれほどInoue博士の発表は同じ日本人として日本人たちの自尊心を向けて直撃弾になることができたからだ.
忠清南道と忠南歴史文化研究院が主催した ¥"百済文化と日本列島-古代から未来を思う¥"という主題で開かれたシンポジウムはそんなに熱かったし真剣だった.
Inoue博士の主張は続いた.
日本海軍が 663年百済を求めるために出兵したが金剛と(白村江) 戦闘で唐軍隊にべた負けあいました. こういうわけで百済は滅亡したが逆説的に日本は新しい国で誕生しました. 百済が亡びると貴族と学者, 支配階層の人々が大挙日本で亡命を来ました. 私たちは彼らを到来である(到来人)と呼びます. 関東地方に 2000人, 滋賀県に 400人… 当時チォンム(桓武) 天皇はこれら百済到来人たちに姓(姓)を与えて高い官職を与えました. 日本歴史上現在まで外国人に公務員任用をしたことはこの時が初めてです. それでこれら到来人たちは日本の統治制も, 教育・文化甚だしくは布を作って染色することにまで完全に改革をしてフレームを取り揃えました. これらが日本へ来なかったら日本は 100年おくれたはずです. それを認めることは決して恥ずかしくない史実(史実)です.
Inoue博士だけではなく学者たちは続いて百済が日本に及ぼした影響に対して通すことなしに話した.
まことに百済の子孫で百済の地に住んでいるということがこの時のようにじいんとするように感じて見た事がない.
百済は人の臍のように永遠に持つしかない存在です.
日本で初めに金を掘った人も百済王子です.
百済人小児(蘇我)街によって仏教が隆盛になったし彼は日本王室の実勢になりました. 彼の甥がスイコ女王で外孫がまさにユネスコ世界文化遺産に登録されたホリュだ(ボブリュングサ)を作ったショトク(成徳太子)です. …
言わば日本皇室の血の中に百済人の DNAが流れているというのだ.
特にクッモリに印象的な言葉を残した人は映画監督Maeda(前田憲二) さんだった. 彼は日本文化を代表して, 母胎だと割 ¥"飛鳥¥"文化は漢字で ¥"飛鳥(鼻祖)¥", すなわち¥"運ぶ鳥¥" または ¥"運んで来た鳥¥"という意味なのにそれはまさに ¥"到来である¥"-日本に全百済人を意味すると言った. だから日本へ来た百済人たちは浮かび出た鳥のように百済をしのんだし, その懐かしさは文化を通じて切なくつながって来たというのだ.
緩み出し区(李完九) 忠南知事も興奮を隠すことができずにこんなに済ました.
このように百済(百済)を反対する日本人はいないです. 皆尊敬します. だから私たち両国が不便な用事ができれば百済だけ思いましょう. それではすべて解けます. 私が百済文化に関心を持つことはそんな歴史を若い世代にも教えてくれようというのです.
それで李知事は羊お吸物の文化関係者たちがもっと幅広く交流して若い世代のためのプログラムを用意しなければならないという主張もした.
も場内をいっぱい埋めた日本人たちがほとんど身動きなくて夕方遅くまで席を守ったその真剣さと関心は私たちを反省するようにするのだった. 果して百済の本場私たちは日本である位百済歴史に深い関心と愛情を持っているか….
本当に意味深いシンポジウムだった. こんな感動を持って京都にある百済王を仕えた ¥"百済往信社¥", ¥"百済社¥"に向ける列車に上がったらもっと胸が熱かった.