第癌里虐殺事件(堤岩里教会虐殺事件)とも言うようだ。
23名であったが、蛮行を働く朝鮮_人を射殺した事件。
韓国ではこう言われています。
「民族を挙げての闘争に当惑した日帝の侵略者は、....筆舌に尽くしがたい野蛮な殺戮行為を行った。
彼らは非武装の民衆を手当たり次第に虐殺した。
1919年4月に起こった水原虐殺事件は、その一例にすぎない」
特に罪のない住民を教会内に閉じこめて火を放った堤岩里虐殺事件は、世界的に知られている日本軍の代表的蛮行である。
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ちなみに韓国の『朝鮮独立運動の血史』にはこう記載されている、
堂内にいたある婦人が、その抱いていた幼児を窓の外に出し、
「私は死んでもよいが、この子の命は助けてください」と言った。日本兵は、子供の頭を刺して殺した。・・・・・・」
と、韓国では日帝が罪のない人を虐殺したとオーバーに言っていますが、なぜそうなったかの原因は伝えていない。
韓国人、なぜこの事件が起きたと思うのか? 日帝が罪もない人達を集めて殺したのか?
これに答える韓国人はいない。知らないのだ。いや、知らされていないのだ。隠匿しているのだ。
では、ここで事実を話そう。
1919年3月下旬、同地方では官公署の破壊が行われ、朝鮮_人暴徒が日本人巡査2人を虐殺し、
殺した後、耳鼻などを切断した惨殺事件が発生した。
在住の内地人の被害も頻繁に起こり、婦女子43名は幾多の危険、困難を排し、3里離れた三渓里に避難した。
1919年4月15日 有田中尉は、同地方の暴動の根源は、堤岩里における天道教徒並にキリスト教徒であるとの事を聞き、堤岩里に行き、巡査補に命じて天道教徒及びキリスト教徒20余名を、キリスト教の教会に集合させた。
この中に巡査を殺した犯人がいるはずだ、名乗り出なさい。そう言った時に朝鮮人達が一斉に椅子を振り上げ、打ち掛かってきたので、全員射殺した。
此の混乱中、西側の隣家より火を発し、暴風のため教会に延焼し、遂に20余戸を焼失するに至った。
これがこの事件の概要だ。
この事件についてカーチス氏(英国外交官)が本国へ送った報告書には、全員、大人の男性であったと記載されている。
『朝鮮独立運動の血史』に書かれている「私は死んでもよいが、この子の命は助けてください」と言った。日本兵は、子供の頭を刺して殺した。・・・・・・」は大嘘である事が分かる。
これは正常な治安活動の一環だ。今のアメリカでも犯人を追いつめ、犯人が抵抗すれば射殺して良い事になっている。それと同じだ。
韓国人は10%の真実に90%のファンタジー小説を付けて反日扇動する癖があるので、韓国人の言う事は信用できない。
しかし、この事件が日帝の残虐行為のトップに来るということは、日帝はほとんど蛮行を行っていなかった。そう思ってよさそうだ。 www