シャルル・ダレ(金容権訳)『朝鮮事情』東洋文庫367, 平凡社, 1979.eoul
シャルル・ダレ (Charles Dallet, 1829~1878)
1637年に締結された条約は、清に対する朝鮮の実際上の隷属条件を加重することはなかったが、形式的には、これまでよりいっそう屈辱的な従属関係のものとなった。
朝鮮国王は清国皇帝に対して、たんに叙任権を認めるばかりでなく、身分上の直接の権限、すなわち主従(君臣)関係まで承認しなければならなくなった。 (p. 34)
朝鮮の王宮は、パリの少しでも余裕ある年金生活者でも住むのを嫌がるようなつまらない建物である。王宮は、女と宦官で充ちている。 (p. 53)
ソウルは、山並みに囲まれており、漢江の流れに沿って位置し、高くて厚い城壁にかこまれた人口の多い大都市であるが、建築物には見るべきものはない。かなり広いいくつかの道路を除いては、曲がりくねった路地だけがあり、この路地には空気も流れることなく、足にかかるものといえばごみばかりである。家はふつう瓦で覆われているが、低くて狭い。 (p. 64)
その一つは、朝鮮における学問は、全く民族的なものではないという点である。
読む本といえば中国の物で、学ぶ言葉は朝鮮語でなく漢語であり、歴史に関しても朝鮮史はそっちのけで中国史を研究し、大学者が信奉している哲学体系は中国のものである。写本はいつも原本よりも劣るため、朝鮮の学者が中国の学者に比べてかなり見劣りするのは、当然の帰結である。 (pp. 130-131)
朝鮮においても、他のアジア諸国と同じように、風俗は甚だしく腐敗しており、その必然的な結果として、女性の一般的な地位は不快なほどみじめで低い状態にある。女性は、男性の伴侶としてではなく、奴隷もしくは慰みもの、あるいは労働力であるにすぎない。 (p. 212)朝鮮人は一般に、頑固で、気難しく、怒りっぽく、執念深い。それは、彼らがいまだ浸っている半未開性のせいである。
異教徒の間には、なんらの倫理教育も行われていないし、キリスト教徒の場合も、教育がその成果をあらわすまでには時間がかかる。大人は不断の怒りを笑って済ませるから、子供たちは、ほとんど懲罰を受けることもなく成長し、成長した後は、男も女も見さかいのないほどの怒りを絶え間なく爆発させるようになる。 (p. 269) 朝鮮人は、金儲けに目がない。金を稼ぐために、あらゆる手段を使う。彼らは、財産を保護し盗難を防ぐ道徳的な法をほとんど知らず、まして遵守しようとはしない。しかしまた、守銭奴はほとんどいない。いるとしても、富裕な中人階級か商人のあいだにいるにすぎない。この国では、現金の二、三万フランもあれば金持だといわれる。一般に彼らは、欲深いと同時に、無駄づかいも多く、金を持てば余すところなく使ってしまう。 (p. 272)朝鮮の家屋は、一般に、非常に小さく不便である。台所の煙を送りだす通管〔房管〕を下に通す必要上、地面よりも少し高く建てられているが、しかしソウルでは、必ずしもこの方法が一般的とはなっていない。これは、冬場をしのぐにはかなり便利であるが、夏場になると、熱気が屋内にこもって、まるで人びとに耐えがたい体罰を課していると同じような状態になるからである。で、おおかたの人は戸外で眠る。 (pp. 300-301)
衣服は、白衣ということになっているが、しかし、ちゃんと清潔さを保っているのはとても労力のいることなので、大抵の場合、濃厚な垢のため色変わりしている。不潔ということは朝鮮人の大きな欠陥で、富裕な者でも、しばしば虫がついて破れたままの服を着用している。 (pp. 303-304)
朝鮮では、ある種の科学研究は国家が保護しているし、またそれらの発展を奨励するため政府によって建てられた専門の学校がある。にもかかわらず、研究はほとんど取るに足りない。正式の天文学者は、毎年北京からもたらされる中国の暦を利用するに必要な知識をもっているくらいで、あとは馬鹿馬鹿しい占星術のきまり文句を知っているだけである。 (p. 307)
朝鮮人は、科学研究の分野においてほとんど進歩のあとを見せていないが、産業の知識においては、なおさら遅れている。この国では、数世紀もの間、有用な技術はまったく進歩していない。 (p. 309) 商取り引きにおけるもう一つの障害は、交通路のみじめな状態である。航行の可能な河川は非常に少なく、ただいくつかの河川だけが船を通すが、それもごく制限された区域の航行が許されているだけである。この国は、山岳や峡谷が多いのに、道路を作る技術はほとんど知られていない。したがってほとんどすべての運搬が、牛か馬、もしくは人の背によって行われている。 (pp. 314-315)
1871年、1872年の間、驚くべき飢饉が朝鮮をおそい、国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人のうちには、娘を中国人の密貿易者に一人当たり米一升で売るものもいた。
北方の国境の森林を越えて遼東にたどりついた何人かの朝鮮人は、むごたらしい国状を図に描いて宣教師たちに示し、「どこの道にも死体がころがっている」と訴えた。
しかし、そんな時でさえ、朝鮮政府は、中国や日本からの食料買い入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。 (p. 322)
アジアの北東部から日増しに侵略の歩を進めているロシア人によって、いずれその難関は突破されるだろう。1860年から、彼らの領土は朝鮮と隣接するようになり、これら二国間で、国境問題と通商問題に関してさまざまな難問が起こった。これらの問題は、今後も間違いなく繰り返されるであろうし、いつの日にか、朝鮮はロシア領に併合されてしまうであろう。 (p. 323)