事実は↓
歴史
1901年ミネソタ大学の研究者だったアレクサンダー・ピアース・アンダーソンが、穀物の研究中、米が膨化することを発見した。米を試験管に入れオーブンで熱する工程で、誤って試験管に蓋をしてしまい、試験管を破裂させてしまったことにより、ガラスの破片の中から発見された。アンダーソンは特許を取得し、クエイカーオーツ社と手を組み、同社の研究所でさまざまなものを膨らむかどうかの実験を行った。その後米のポン菓子を「パフライス」として売り出した。1904年にセントルイス万国博覧会で真鍮製の大砲を利用しパフライスを作る派手なデモンストレーションを行い注目を集め、大衆に広く認知され、たちまち大人気となり広まった。
日本 ]


大正時代から昭和中期頃までは、定番の菓子として子供に人気があった。行商の業者は地域を巡回して露店の形で販売したほか、専用の加工工場で作られたものはビニール袋に詰められて販売されていたが、湿気に弱いことと出来立てのほうが格段に香ばしさがよい事などの理由もあって、巡回の業者が販売するものが好まれた。
巡回業者が子供が集まる広場などにポン菓子製造用の器具を持ってきて、目の前で作ってみせるということがよく行なわれていた。特に、リヤカーに取付られた小型の窯を自転車などで牽引し、子供が持参した米をポン菓子に加工して歩く商売人の姿が、かつてはよく見られた。米などの原料は業者が用意する場合もあれば、客が持ってきた米を加工賃を取ってその場で加工する場合もあった。こういった業態は後に軽トラなど自動車に釜を積んだ業者も現れたが、都市化の進行で住宅街で大音響を響かせにくくなったことや過当競争、後継者不足もあってか、次第にその数を減らしていった。現在では特別なイベントやフリーマーケットなどでたまに行なわれる程度であり、ポン菓子の製造を見ることは珍しいものになった。ただし袋詰めされた製品は素朴な風味もあって好まれ、後述するように依然として販売されている。
中国では、地方の自由市場などで、今でも製造している様子をみることができる。
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