当時の韓国の人口2400万人中、政府が公表していた失業者だけで250万人、もはや外貨獲得なしには経済が立ち行かなくなっていたのである。 一時は出稼ぎ労働者の送金額だけで韓国のGNPの2%を占めるほどだった。出稼ぎ労働者の中では坑内での事故で死亡する者も多く、失明して祖国へ帰る者も いたという。そうした苦難の中、稼いだマルクを祖国へ送金していたのである。また出稼ぎ労働者による送金以外にも、この炭坑夫らへの給与を担保とする事に よって韓国は西ドイツから巨額のマルク借款に成功して国内のインフラ整備など後の経済発展の礎を築いている。そんな中の朴正熙の来訪だった。
この日のために炭坑夫は一張羅の背広を着けて、看護婦たちはチョゴリをまとい講堂に集まった中、朴正熙大統領夫妻は壇上に上がる。♪むくげ三千 里、美しい山河…、「愛国歌」が演奏された。朴正熙は「皆様がたとこのように遠く離れた異郷の地でお会いできて感慨無量です」と語ったきり言葉にならなく なった。資源もなく朝鮮戦争の傷跡で荒廃した国土から祖国の復興のために遠く西ドイツの地にまで外貨獲得に出稼ぎに行かねばならなかった同胞たち。朴正熙 はスピーチ用に用意した原稿を押しのけると「炭坑夫の皆さん、看護婦の皆さん」と呼びかけた。「祖国の家族や故郷への思いから悲しくなる事も多いと思う が、何のためにこの遠い異国の地に来たのかを思い出して祖国の名誉をかけて働きましょう。例え私たちの生きているうちには祖国の発展を目にできないとしても、私たちの子供や孫が幸福に暮らせるように、繁栄の基盤を築いておきましょう」。
朴正熙は壇上で嗚咽してしまった。夫人の陸英修も、300人の炭坑夫たちも、50人の看護婦たちも、講堂に集まった人々は感極まって皆、泣いてしまった。祖国の凄惨なまでに貧しい暮らしと、祖国へ送金するために遠い異国の地で学歴も地位も捨てて過酷な労働に従事する境遇を耐えていたものが、大統領ともいえば国父のような存在だった朴正熙の号泣を目の当たりにして350人、こらえきれずに一斉に堰を切って泣いてしまったのだった。
「地下1000mでの仕事を終え、地上に上がって一杯飲むのが炭坑夫の何よりの楽しみだが、韓国人炭坑夫たちはその一杯も惜しんで本国へ送金する」という話を朴正熙は聞く。韓国人炭坑夫たちの身体は採炭中に折れるドリルの破片によって傷だらけだった。土産に韓国から持って来たタバコ500箱を配り終えて帰途につこうとした朴正熙の車は炭坑夫たちに取り囲まれて進めなくなった。
「一度、手を握らせて下さい」
全員と握手して鉱山を去った朴正熙は車の中でも嗚咽が止まらない。リュプケ大統領は「泣かないで下さい、私が彼らを支えるから、泣かないで下さい」と繰り返すばかりであったという。宿舎に戻った朴正熙は夫人と共になおも涙を流しながら、同行していた記者をつかんで「既に決まっている東南アジア訪問を終えたら、私たちの国民がまともな食事が取れるようになるまでは外遊はしない」「私たちの国民が飯だけでもまともに食べられるようにしなければならない」と語ったという。
朝鮮人よ、お前達のお爺さんやお父さんは、一生懸命働いて、GDPを100倍以上にしたんだ。
この男が、韓国の奇跡を指導したんだ。覚えておけ。
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