知ってた?
浜田幸一によると石原はオウム真理教に莫大な寄付をし、宗教学者の中沢新一も語っているように石原の四男延啓は元オウム幹部
2000.5.30(夕刊フジ)
慎太郎、四男名誉棄損で森首相を大批判
名誉棄損、自民党からの謝罪なし
「背後の巨悪な政治家たちに怒りと軽べつを禁じえない」-。東京都の石原慎太郎知事が、森喜朗首相をまたも痛烈に批判した。昨年4月の都知事選の際、四男の延啓(のぶひろ)氏(33)について、「オウムの準幹部だった」という事実無根の文書を有権者に送りつけ、名誉棄損の罪で29日に東京地裁で有罪判決を受けた自民党都連事務局長の秋葉信行被告(59)。自民党からの謝罪もないことから、石原知事の堪忍袋が切れた格好だ。
判決によると、秋葉被告は都知事選告示後、「石原氏の四男はオウムの準幹部だったが、第7サティアンで救出され保護、その後しばらくの間、強制入院させられていた」などという事実無根の文書を有権者ら計34人に郵送した。川口政明裁判官は「文書の配布は慎太郎候補の評判を落とし、明石康候補を当選させる目的で行われた。地下鉄サリン事件などを起こしたオウムとのかかわりをいわれなく取りざたされた被害者の精神的苦痛は大きい」と秋葉被告を断罪した。
ほんで、四男の延啓は「父がいたときも(自民党を)支持してきたが、もう2度と入れることはない。兄(伸晃)の場合は、応援するかどうか相談する」とバッサリ(笑
■1995年(平成7年)4月、石原慎太郎は突然衆議院議員辞職を表明した。日本の政治に失望したという趣旨の意見を残しているが、それは嘘。彼は議員辞職をせざるを得ない、大きな事情を抱えていた。
オウム真理教は、1984年(昭和59年)2月に任意団体「オウム神仙の会」として設立された。その後、1989年(平成元年)8月に、東京都から「宗教法人オウム真理教」の認定を得ている。東京都は頑なに認定を拒否し続けていたのにもかかわらずである。
一方、石原裕次郎は1978年(昭和53年)、舌ガンのため慶應病院に最初の入院をする。翌年東大病院に転院して再び手術を受ける。1981年(昭和56年)、解離性大動脈瘤で再び慶應病院に運ばれる。生還率3%、6時間33分の大手術に耐える。しかし、その後も 1984年(昭和59年)に肝細胞ガンで、1985年(昭和60年)に胆内単胆菅炎でと毎年慶應病院に入退院を繰り返し、1987年(昭和62年)7月 17日に永眠。
オウム真理教と石原裕次郎になんの関係があるのかと思われるであろう。キーワードは「慶應病院」である。1981年に解離性大動脈瘤で入院したときの執刀医がだれであったか、そこに鍵がある。この大手術の執刀を行ったのは、心臓外科医としての林郁夫だった。
1987年に石原裕次郎が亡くなった2年後、オウム真理教は宗教法人になっている。林郁夫から1988年に運輸大臣であった石原慎太郎に、状況打開の依頼がいったことは想像に難くない。
石原慎太郎が議員辞職を表明した直前の1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起きる。
石原慎太郎(79歳)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E
石原は政界進出にあたり、自身の後見人的立場だった当時の産経新聞社主(統一教会)水野成夫を介して霊友会(統一教会系)の支持を取りつけ、大量の組織票を獲得する。[159]自らも霊友会の信者であり
石原と同じく日本会議(統一教会)代表委員である「崇教真光」代表者・岡田恵珠と『岡田光玉師御対談集』(崇教真光編集)において、対談を行っている30ページの記事がある
2010年(平成22年)10月4日、石原が産経新聞で執筆しているコラム「日本よ」で、尖閣諸島の魚釣島に指定暴力団住吉会傘下の右翼団体である「日本青年社」(統一教会系)が本格的な灯台を造ったことを「造ってくれた」と賞賛した[174]。石原は2003年(平成15年)2月3日付の「日本よ」でも、日本青年社による灯台の建造を賞賛する文章を書いている。
オウムと統一教会は仲良しで麻原も石原を尊敬し
彼を総理大臣に!と語っていたしね。
■第11回全国情報公開度ランキング 都道府県 総合ランキング
http://www.jkcc.gr.jp/rank/11/11_02.html
■NPO法人情報公開クリアリングハウスが2009年(平成21年)6月、出資金の計1255億円は回収が見込めない、石原と旧経営陣への賠償請求を都に求める住民訴訟を起こしている。
情報弱者がすばらしきリーダーを生んだもんだ。ε- (-●_-`o) ハフ-ン…
それともカルト信者の組織力なのかな(´`)=3
粉飾せず自叙伝を書いてくれたまえ。(。´-д-)
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