韓国歴史の闇、最大タブーの保導連盟事件
保導連盟事件、
1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令によって
韓国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育する、
統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人など、少なくとも20万人あまりを大量虐殺した事件。
「朝鮮戦争前後民間人虐殺真相糾明と名誉回復のための汎国民委員会」の研究では60万人から120万人が虐殺されたとしている。
李承晩率いる大韓民国政府は、ストライキや武装闘争を挑む南朝鮮労働党(南労党)を中心とする共産勢力に対して弾圧を行い、
1948年12月1日、国家保安法を制定。1949年6月5日、
要監視対象者の教化と統制をおこなう思想保護観察団体「国民保導連盟」を組織した。
保導連盟に登録すると食料配給がスムーズに行われたため、食料目当てに登録した人々も多かったといわれ、
警察や体制に協力する民間団体が左翼取り締まりの成績を上げるために無関係な人物を登録することもあった。
1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が侵攻しソウルに迫った。
6月27日、李承晩大統領は保導連盟員や南朝鮮労働党関係者を処刑するよう命令を発し、同日中にソウルを脱出した。
韓国軍、警察は釜山にまで後退する一方、保導連盟に登録していた韓国人を危険分子と見なして大田刑務所などで大虐殺を行った。
、北朝鮮軍が侵攻していない非戦闘地域の釜山・馬山・済州の刑務所などでも
韓国軍や韓国警察により市民や囚人達が虐殺されたことが確認されている。
済州では同時期に済州島四・三事件による虐殺もなされている。
晋州刑務所に収監されていた民間人を馬山の廃坑に連行して虐殺した。
韓国中部の忠清北道清州市、清原郡でも虐殺が行われ、
清原郡では、100体以上の虐殺体が発見されており、犠牲者は7000人に上るとされている。
韓国南西部の全羅南道咸平郡の村では、韓国陸軍第11師団によって
無実の村民たちが虐殺されたことが明らかにされた。
村民たちは韓国軍によって一同に集められると機関銃で一斉射撃を浴びせられ、銃撃が終わると、
韓国軍将校は「生存者は助けるので立ち上がるように」と呼びかけ、これに応じて立ち上がった人々にはさらなる銃撃が加えられた。
1950年7月から9月にかけて、慶尚北道永川市や洛東江近辺の村々では、韓国軍と韓国警察によって、数百名の村民と保導連盟員が虐殺された。
韓国当局は彼らが北朝鮮軍に呼応して反乱することを恐れたと弁明した。
また、ソウルに侵攻した北朝鮮にとっても、保導連盟員は党を捨てて敵の体制に協力した者にほかならず、追及・粛清の対象となった。
南北朝鮮双方からの虐殺を逃れようとした人々は日本へ避難あるいは密入国し、
そのまま在日コリアンとなった者も数多い。
この事件は韓国現代史最大のタブーとも言われ、軍事政権下はもちろん、その後も口に出すのも憚られると言われてきた。
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さー鮮人共よ、この同族大量虐殺は如何説明する?www