どうしてお前たちは奴隷の分際で王家の姓を名乗るの?生意気ですね。
そこで朝鮮人の姓について考察してみた。
そもそも、韓国の系図は 1476年 安東 権氏 ヤングバンが初めたものです。それ以前の系図はすべて偽物です。自分の先祖は新羅時代の・・・・・という人がいるが、これも大嘘と思って良い。
韓国では、李氏朝鮮の時代から出自による差別が酷かった。民度の低い民族ゆえに、戸籍の改竄(かいざん)が盛んに行われたのです。
現在は金とか朴とか李という姓が異様なまでに多いが、これらの姓は、いずれも、かつて朝鮮半島に存在した王家の姓なのです。
新羅には朴氏、昔氏、金氏という三つの王家が存在したが、朴氏は初代王家の姓であり、金氏は、西暦356年以降、ずっと王家を保った王族の姓だ。
(厳密には、912年から927年までの3代16年間、朴氏が復活)
韓国・北朝鮮で人気ナンバー1の姓である金氏は、新羅王家の姓だった。朝鮮人(韓国人)が、争って出自を改竄(かいざん)し、金氏を名乗ったのは、自分は新羅王家の子孫といいたかったためだ。朴氏も同様です。さすがに捏造民族です。自分の得になることなら、何でも捏造するのが朝鮮人ですね。 www
新羅を倒した高麗王家の姓は王氏だった。王氏も人気がありそうだが、朝鮮人で王氏という姓を聞かない。なぜか?それは李氏朝鮮が、王氏一族を皆殺しにしたからだ。
王位から追い出された高麗王家の王一族は、都を追い出され、2年後の1394年に李成桂の命令でことごとく処刑されている。このとき李成桂は王姓を持つものを皆殺しにしようとしていたため、
その難を逃れようと多くの者は改姓をしたと言われている。全氏や玉氏、田氏などは姓を変えて難を逃れた王氏の一族であると言われている。
そういう理由で王氏の姓は王家の姓でありながら、人気がないどころか、事実上絶滅してしまった。
現在の韓国・北朝鮮では、高句麗王家の高氏、百済王家の扶余氏もほとんど聞かない。それは、新羅人にとって高句麗人や百済人は外国語を話す外国人だったからだ。
高句麗・百済は扶余系氏族で、朝鮮(多勿)族国家だった新羅とは、言葉がまったく通じない異民族同士だった。
滅亡した外国の王家の姓をわざわざ改竄して名乗る者など、いなかった。朝鮮社会で、高だの扶余だのを名乗れば、逆に差別の対象になったからだ。
※だから今の韓国人が百済の事を自慢するのは、外国の事を自慢するのと同じで滑稽な話なのです。
ところが現在の朝鮮人の本貫国である新羅の3つの王家の姓でありながら、まったく人気のない姓が1つある。それが昔氏(せきし)だ。
昔氏は、朴氏や金氏と並び新羅王家の姓なのに、どうして改竄(かいざん)対象として人気がなかったのか?
それはズバリ、正史「三国史記」に、昔氏が日本人としか考えられない記述があるからだろう。
そこにはこう書いてある(概略)
倭国の東北一千里のところにある多婆那国(丹波国?但馬国?)で王妃が王子を産んだが、王の命令で海に流した。
その王子は辰韓の阿珍浦(慶尚北道慶州市)の浜辺に打ち上げられた。そこで老婆の手で箱が開けられ、中から一人の男の子が出てきた。
姓名がわからなかったので、箱が流れ着いたときに鵲(カササギ)がそばにいたことから鵲の字を略して「昔」を姓とし、箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解」を名とした、
老婆がその男の子を育てると、成長するにしたがって風格が優れ、知識が人並みならぬものになった。
その後、昔氏は大輔の位について軍事・国政を委任され、そして王、儒理尼師今(じゅり にしきん)の遺命に従って脱解が王位についた。と、書いてあるらしい。その後、昔氏は5人の新羅王を輩出した。
新羅の昔氏(日本人王家)の最後の王は訖解尼師今(きっかい にしきん)の在位年は356年までだ。なお、訖解尼師今(きっかい にしきん)は子供が無いまま死亡したので王位は金氏に移った。
この新羅王の伝説は、朝鮮人にとって愉快な話ではないだろう。それをあえて「三国史記」に記したというのは、事実だったからに他ならない。
そして、昔氏が日本人の王だったから昔氏の姓が朝鮮で人気が無かったのだ。
新羅も統治した日本人 ww