19世紀の終わり頃、世界は帝国主義・覇権主義の時代に入っていたが、
無能な李氏朝鮮は旧態依然の中華冊封体制を維持することしか考えていなかった。
どのくらい無能か、韓国人本人たちはちゃんと理解しているのかな?
冷静に考えれば、これほど無能な国家が独立自律していける可能性はゼロであることが分かるはずだ。
まぁ、日本が支配国となったのは偶然の産物だったのかもしれない。
日本も同時期に欧米列強のどこかに支配される側となるべき存在だったのだろうから。
朝鮮没落のきっかけはこのあたりの事件から・・・
************************
明治新政府が成立した日本では1868年(慶応4年)12月19日に新政権樹立の通告と国交と通商を求める国書を持つ使者を李氏朝鮮政府に送った。しかし国書の中に「皇」「勅」の文字が入っており、冊封体制下では「皇」は中国の皇帝にのみ許される称号であり、「勅」は中国皇帝の詔勅を意味していたので、朝鮮側は受け取りを拒否した。その後何度も国書を送ったが、朝鮮側はその都度受け取りを拒否した(書契問題)。
1872年(明治5年)5月には外務省官吏・相良正樹は、交渉が進展しない事にしびれを切らし、それまで外出を禁じられていた草梁倭館(対馬藩の朝鮮駐在事務所)を出て、東莱府へ出向き、府使との会見を求めた(倭館欄出)。
同年9月、それまで対馬藩が管理していた草梁倭館を日本公館と改名し外務省に直接管理させることにした。これは草梁倭館は、朝鮮政府が対馬藩の為に建て使用を認めた施設だったこと、対馬藩は日本と朝鮮の間の交渉窓口の立場にあったからである。この日本側の措置に東莱府使は激怒して、10月には日本公館への食糧等の供給を停止、日本人商人による貿易活動の停止を行った。