金久香港
日本生まれ、香港育ちの味づくり
創業から100年以上の老舗の味を香港に――。築地べったら漬けの金久が香港に進出したのは1992年のことだった。「中華や洋食の味に慣れた香港 人に日本の漬物の味は受け入れられるのか」。予想通り日本人の味覚とは大きく異なる消費者のし好に直面し、香港金久の「日本生まれ香港育ち」の漬物作りの 歴史が始まった。
たくあんのキムチがブレイク?!
「漬けてみるか、と軽い気持ちで作ってみたら大ブレイク。全く分からんもんだと思いました」。96年から9年間、新しい味の漬物作りに取り組んでい る下村圭総経理は、現在の香港の代表的な漬物の1つ「たくあんキムチ」を出荷した当時のことを振り返る。下村総経理が着任した96年ごろは、まだ日系の高 級スーパーなどはなく、日本料理も今ほど一般的ではない時期だった。
シャキシャキとした歯触りの浅漬けなどは生野菜とみられ、敬遠もされた。原料調達でも、当時は海外では野菜のハウス栽培の技術が低く、端境期に原料のハクサイをスーパーで買いあさったこともあるという。
「塩味やぬかの淡い香りなどが主体の伝統的な漬物は当時は全く受けませんでした」(下村総経理)。このため着任当時から現在も、韓国キムチが会社の屋台骨を支える。現在販売する約30種の漬物のうち売り上げの30~40%が白菜キムチだ。
キーワードはあまから酸っぱい
香港で受ける「漬物の味」への理解が深まり始めたのは下村総経理が着任から1年近く経ってからのことだった。当時販売していた浅漬けのつけ汁を、甘酢に変えてみたところ、見違えるように客の反応が変化したのだ。工場で働くローカルスタッフからの提案だった。
ハクサイの甘酢浅漬けのヒットをきっかけに、下村総経理らは現地で入手できる様々なものを漬けては料理店やスーパーに卸す試行錯誤の時期が始まっ た。「たくあんキムチも甘酢浅漬けも基本は『あまから酸っぱい』という点で共通していた。これが“香港の日本漬物”なんです」。下村総経理は胸を張る。大 根、セロリ、キャベツ――。日本人では甘酢に漬け込むことなど考えない野菜も片っ端から商品化していった。様々な野菜を試すうちにキャベツの甘酢浅漬けが 欧米人への売れ行きが良いことも分かってきた。「ザワークラフトのようなサラダと見なしているようです」(同)。使用するのは大半が現地で調達した野菜 だ。主力のキムチでも同じように試し始め「ズッキーニのキムチ」など思わぬ鉱脈を掘り当てたこともある。
大型店、高級スーパーで定番に
環境は変わり、今ではジャスコやユニーなど日系の大規模店、高級食材を扱うシティスーパーへも出荷。香港金久の製品は日本の漬物の代名詞的存在に成 長した。大型スーパーなどでは、パック詰めした製品ではなく樽につけ込んだ状態での見本販売も始めている。経営面でも親会社が築地の金久から日本橋のべっ たら漬け老舗・東京にいたか屋(本社・東京都中央区)へ変わったりもした。
下村総経理は言う。「いろいろと失敗作もあったけど、“ひょうたんから駒”の連続の楽しい9年間でした。漬物作りをやっていて良かった」。キムチや ぬか漬けの香りに包まれた工場で、黙々と野菜を切り分けるスタッフに囲まれながら、下村総経理はゆったりと微笑んだ。【香港・原潤】
http://nna.jp/free/china/interview/101_200/0157.html
東京にいたか屋グループ
http://www.niitakaya.co.jp/company/group_02.html
-----------------------------------------
なんのことはない、香港の現地で現地人の味覚に合う漬け物を色々作っただけだな。
そのなかに、所謂日本式の朝鮮漬けでキムチを作っただけw
外国で、支那朝鮮人が日本食堂や寿司店をなんじゃこりゃ?ってなものを作ってるのに比べたら
全く問題ないレベルで、まともじゃんw
やはり、朝鮮人は息をするように嘘を吐くw
死ねよ朝鮮人w