kjのバグ(不具合)により、IEで、投稿の写真が見られない現象が生ずる様です。IEで、写真が見られない場合は、Firefoxで、ご覧下さい。
以下、「以下、私の街と周辺1からの続きです。。。」と言う文までは、前回の投稿と、基本的に、重複します。
この投稿は、前に、kjで、行った投稿を、再編集した物です。
私の街と周辺は、以下の5つの投稿から成り立っています(kjの投稿の容量制限の関係で、分割せざる得なくなった)。以下の5つの投稿を、纏めて、ご覧下さい。
私の街と周辺1→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_16/view/id/2446033?&sfl=membername&stx=jlemon
私の街と周辺2(当該投稿)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_16/view/id/2446032?&sfl=membername&stx=jlemon
私の街と周辺3→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_16/view/id/2446031?&sfl=membername&stx=jlemon
私の街と周辺4→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_16/view/id/2446030?&sfl=membername&stx=jlemon
私の街と周辺5→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_16/view/id/2446029?&sfl=membername&stx=jlemon
これは、おまけで、参考投稿で、私の街以外の、東京都心部の、静かで、落ち着いた住宅地の例を、紹介している投稿です(「蕗谷 虹児(fukiya koji)2」 )→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_14/view/id/2396739/page/1?&sfl=membername&stx=jlemon
私の街は、基本的に、静かで、落ち着いた住宅地となっています。私は、現在一人暮らしですが(まあ、一人暮しと言っても、一週間に、1日から3日位は、二人なの(彼女が我が家に泊まっているの)ですが。。。)、実家(元々、私の母方の祖父母の家。現在は、両親が、引き継いで暮らしている)が近所で、この街で、生まれ育ちました。私の街は、お金持ちから、中上流(upper-middle class)・中流層、そして、私の様な庶民層まで、様々な人々暮らしていますが、個人の家の庭の緑等も、結構多い(ただし、少しずつ、減って、来ている)、静かで落ち着いた、住宅地となっています(もっとも、郊外の住宅地に比べれば、限度が有りますが(郊外の住宅地には、敵いませんが。。。))。私の街は、元々、1920年代から1930年代頃に、(当時は)東京の西の郊外(まあ、郊外とは言っても、東京の都心部に比較的近い郊外でしたが)に開発された、中流層や新興金持ち向けの新興住宅地です。新興住宅地として開発される前は、まだ農村の雰囲気が色濃く残る、のどかな地域だった様で、また、新興住宅地として開発された後も、かなり、しばらくの間は、まだ、のどかな雰囲気が残っていた様です(私の母が、まだ幼かった頃(私の母が、幼稚園児の頃から小学校低学年生の頃。1950年代初め頃)は、実家の庭では、当たり前の様に、蛍が見られたそうです)。
以下、私の街と周辺1からの続きです。。。
写真以下。私の街(東京中心部(東京23区)の西部に位置する渋谷(shibuya)区の中北部)の風景例の続き。。。
写真は、2013年の12月の初旬に、散歩した際に撮影。私の街は、お金持ちから、中上流(upper-middle
class)・中流層、そして、私の様な庶民層まで、様々な人々暮らしていますが、地価が高い、東京中心部(東京23区)(私の街も、含まれる)においては、比較的、新しい、庶民の一戸建て住宅は、(写真右側の、一戸建て住宅の様に)、狭い土地に3階建てにし、1階部分を駐車場にして、居住床面積を稼ぐ様な住宅が多いです。我が家も、この様な、典型的な、比較的、新しい、東京中心部(東京23区)の、庶民向け、一戸建て住宅と言った感じで、庭はなく、3階建てで、1階部分は駐車場、居住床面積30坪(約100平方m)程度の、住宅です。
写真は、2013年の12月の初旬に、散歩した際に撮影。私の街の、比較的、新しい中流層(金持ちと庶民の間の層)の住宅の一例。地価が高い、東京中心部(東京23区)(私の街も、含まれる)においては、昔からの中流層は、比較的、ゆとりのある土地に暮していますが、比較的、新しい中流層の住宅は、土地に、比較的、ゆとりがない為、この様に、ほとんど、敷地目一杯に建てられている場合も多いです
ちなみに、我が家の近所の、私の実家は、敷地面積100坪程(約330平方m)の、庭がある、一戸建て住宅です。私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で、現在は、両親が、その家を引き継いでいます(ちなみに、私の母は、一人娘です)。元々は、私の母方の祖母の父(山梨(yamanashi)県(東京圏の西部に隣接する県)の、裕福な地主であった)が、東京に保有していた不動産の一つであった物で(私の母方の祖母の父が、私の母方の祖母が結婚した際に、私の母方の祖父母に与えた物。当時の中流階級の一戸建て住宅として、小さな方であったと思います)、元々の家の建物は、1920年代頃?に建てられた、日本伝統式の住宅の建物だった様ですが、現在の家の建物は、1960年代初め頃に、建替えられた物です(現在は、耐震補強もなされています)。東京中心部(東京23区内)の場合、1920年代から1930年代頃に、中流階級向けの新興住宅地として開発され初め、1960年代半ば以前には、既に結構たくさんの人々が暮らしていた様な、静かで落ち着いた住宅地は、親の家を引き継いで暮らしている人々も、結構多く(大部分は、土地だけ引き継いで、時代に合わせて、家の建物は建替えている)、こうした場合は、土地を購入する負担が無い事から、庶民や普通の中産層(私の父は、普通の会社員。私の母は、私の父と結婚してから、ずっと主婦です)でも、東京中心部(東京23区内)で、ある程度の広さの一戸建て住宅に暮らす事が可能です(ただ、敷地が、東京中心部(東京23区内)の住宅の敷地としては、かなり広い場合には、相続税の関係で無理でしょう)。
私の母方の祖父も、私の母方の祖母も、既に、亡くなっています。
私の母方の祖母は、地元の、山梨(yamanashi)県の、女学校(第二次世界大戦以前の日本における、女子(女性)向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学校と高校に当たる。第二次世界大戦以前の階級社会の日本において、主として、比較的裕福な、中流階級以上の家庭の娘(中流階級・中上流階級(upper-middle class)・上流階級の、家庭の娘)が通った)を、卒業した後、東京の私立の大学(まあ、当時は、その前身の高等教育機関でしたが)に入学し、大学から東京に出て来ていました。私の母方の祖母は、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しました。私の母方の祖母は、私の母方の祖父と結婚してから、ずっと主婦をしていました。もっとも、私の母方の祖母は、第二次世界大戦が終わるまでは、東京での、学生時代・独身時代を含めて、ずっと、メイド(maid)がいる(メイド(maid)に身の回りの世話をして貰う)生活であったので、主婦とは言っても、私の母方の祖母が、生まれて初めて、本格的に家事をする様になったのは、第二次世界大戦後からであった様です。私の母方の祖母は、東京での、学生時代と独身時代は、私の母方の祖母の父が、麻布(azabu)(東京都心部の高級住宅地の一つ)に保有していた、一戸建て住宅(私の母方の祖母の実家の、東京の別宅。我が家の近所の、私の実家よりも、遥かに(ずっと)、大きくて、立派であったそうですが、第二次世界大戦後、私の母方の祖母の実家(山梨(yamanashi)県(東京圏の西部に隣接する県)の、裕福な地主の家であった)の没落と共に、他人の手に渡ってしまったそうです)に、暮らしていました。また、私の母方の祖父母は、結婚して間もなく、私の母方の祖父の仕事の関係で、中国の、上海(Shanghai )に渡った為、私の母方の祖父母が、我が家の近所の私の実家(私の母方の祖母の父が、私の母方の祖母が結婚した際に、私の母方の祖父母に与えた、一戸建て住宅)に、本格的に暮らし始めたのは、第二次世界大戦後の事です。ちなみに、私の母方の祖父母の、上海(Shanghai )の、日本租界(日本人用の外国人居留地)での、生活は、立派な家に暮らし、夫婦二人だけの生活に、二人の、中国人の、メイド(maid)がいる生活であったそうです(私の母方の祖父は、当時、日本軍の将校や、日本政府の外交官等の上級官僚等、日本軍や、日本政府の、比較的、上層部の人々が乗る、飛行機等の、無線、技師(技術者)として働いていた為、収入や生活面等、比較的、優遇されていた様です。また、第二次世界大戦末期になると、日本本土では、人々は、食糧難(食料不足)に苦しみましたが、上海(Shanghai )の、日本租界(日本人用の外国人居留地)では、その様な事もなかったそうです)。ちなみに、私の母は、一人娘(私の母方の祖父母の、一人だけの子供)なのですが、私の母方の祖父母が、上海(Shanghai )から東京に戻って来た後に(第二次世界大戦後に)、生まれました(私の母方の祖母は、当時としては、高齢出産の方であったと思います)。
参考に、私の、母方の祖母が、少女の頃から(おそらく。。。)、とても、好んでいた、イラストレーター(illustrator)、蕗谷 虹児(fukiya koji)について、以下の投稿を、参照して下さい。私の、母方の祖母は、少女の時代、女学校(第二次世界大戦以前の日本における、女子(女性)向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学校と高校に当たる。第二次世界大戦以前の階級社会の日本において、主として、比較的裕福な、中流階級以上の家庭の娘(中流階級・中上流階級(upper-middle class)・上流階級の、家庭の娘)が通った)の時代、大学生の時代、若い独身時代と、おそらく、当時、私の母方の祖母が購読していた、少女・若い女性向けの雑誌等を通じて、ずっと、蕗谷 虹児(fukiya koji)のファン(fan)であったと思いますし、その後も、亡くなるまで、ずっと、蕗谷 虹児(fukiya koji)の絵とイラスト(illustration)を、とても好んでいた様です。私の母方の祖母は、絵を描くのが好きでしたが、晩年になっても、蕗谷 虹児(fukiya koji)の様な絵を、たくさん描いていました(絵と言っても、スケッチ(sketch)みたいな物ですが。。。)。
蕗谷 虹児(fukiya koji)1→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_14/view/id/2396738/page/1?&sfl=membername&stx=jlemon
ちなみに、私の、母方の祖母は、大人しくて、上品な性格であったのですが、私の母は、活発な性格で、若い頃、私の父に、一目惚れし(外貌を、一目見ただけで(見た瞬間に)、好きになり)、私の母から、私の父を誘惑し、交際をし、結婚する事になった様ですw (私の母の活発な性格は、私の母方の祖母の姉(既に亡くなっている。近所に(私の母方の祖母と同様、結婚した際に、私の母方の祖母の父に与えられていた家)に暮らしていた。私の母は、子供の頃から、よく、私の母方の祖母の姉の家に、遊びに行っていた)に似た様です)。
私の母方の祖父は、静岡(shizuoka)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)に生まれ、東京の、大学(まあ、当時は、その前身の高等教育機関でしたが)を卒業した後、第二次世界大戦までは、技師(技術者)、第二次世界大戦後は、会社員をしていました。私の母方の祖父の実家は、裕福であったと言う話は聞かず、また、かと言って、貧しかったとか、苦学したとか(金銭面で、苦労して、東京の、大学を卒業した)と言う話も聞かなかったので、まあ、中流の農家(中流の農民の家)、若しくは、会社員・公務員等の、家庭であったのではないでしょうか。。。
私の母方の祖父は、保守的で、堅実、真面目で、生活は、つましく、派手な生活をする事は、好みませんでしたが、無趣味と言った訳ではなく、墨絵(ink
wash
painting)、俳句(haiku)(日本の、伝統的な詩)、短歌(tanka)(日本の、伝統的な詩)、漢詩(中国の、伝統的な詩)、魚釣りを趣味として、風流人的な、一面も持っていました。現在は、昔と違って、我が家の近所の、私の実家(元々、私の母方の祖父母の家。現在は、両親が、引き継いで暮らしている)の、庭の池には、錦鯉(nishikigoi)(下の補足説明参照)しか泳いでいませんが、かつて、私の実家の庭の池には、鯉、金魚の他に、私に母方の祖父が釣って来た、鮒や草魚(grass
carp)等がいました。私の母は、子供の頃は、休日に、私の母方の祖父に連れられて、電車に乗って、よく、東京の西部郊外の、多摩(tama)川に釣りに行ったそうです(私の母は、全く、退屈で、つまらなかったそうですw)。ちなみに、前述の通り、私の実家は、(元々、私の母方の祖母の実家が、山梨(yamanashi)県(東京圏の西部に隣接する県)の裕福な地主の家(第二次世界大戦後は、没落した)であったのですが)、私の母方の祖母が、私の母方の祖父と結婚した際に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)が、当時、東京に保有していた不動産の一つ(敷地面積100坪程(約330平方m)の、庭がある、一戸建て住宅。当時の中流階級の、一戸建て住宅として、小さな方であったと思います)を、私の、母方の祖父母に与えた物です(現在の家の建物は、1960年代初め頃に(私の母が高校生の頃に)、建替えられた物です。現在は、耐震補強もなされています)。
錦鯉(nishikigoi):観賞用に、養殖・品種改良された、日本の鯉の、総称。日本では、色鮮やかな、錦鯉(nishikigoi)は、庭園の池等で、多く見られる。錦鯉(nishikigoi)は、日本、及び、日本の美意識を象徴する魚として、日本の、国魚(国の魚)となっている。
私の母方の祖父は、東洋的な(日本的な)、風流人である一方で、西洋文化が好きな一面もあり、私の母方の祖父の好みに合わせて、私の実家の朝食は、西洋式でしたし、私の、母方の祖父は、食事は、どちらかと言えば、和食(日本料理)よりも、洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本人の口に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された、西洋料理)・西洋料理の方が、好きな位でした。また、私の母方の祖父は、ウイスキー(whisky)が、好きで、毎晩、寝る前に、必ず、ウイスキー(whisky)を飲んでいました(前述の通り、私の母方の祖父は、つましかったので、いつも飲んでいたのは、Suntory(nikkaと共に、日本の、2大、ウイスキー(whisky)会社)の、「SUNTORY OLD」と言う、安い、大衆的な、ウイスキー(whisky)でしたが。。。)。
以下、参考に、我が家の近所の実家(元々、私の母方の祖父母の家。現在は、両親が、引き継いで暮らしている)で見つけた、「日本スキー(skiing)発達史」と言う本を基にした投稿です。
日本スキー(skiing)発展歴史1→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_14/view/id/2445614?&sfl=membername&stx=jlemon
私は、兄弟姉妹は、2歳、年下の、会社員の弟が、一人います。弟は、現在は、結婚し、妻、子供と共に、東京の、西部郊外の、静かで、落ち着いた住宅地(国立(kunitachi)市と言う場所です)に買った、一戸建て住宅に暮らしています。弟の、奥さん(妻)は、結婚する前は、服関係の、会社で、会社員として働いていましたが、結婚してからは、主婦となりました。私の甥(弟の子供(息子))は、まだ、幼いですが、とても可愛いです。また、去年、姪(弟の娘)が、生まれました。
写真以下12枚。私の街の、1920年代から1930年代頃に建てられたと思われる、古い、一戸建て住宅の例。。。私の街においても、この様な古い住宅の建物は、年々、失われ続けています。私は、(古い一戸建て住宅の建物を含む)古い建物を眺めるのが好きなのですが、日本では、(日本の建物は、歴史上、長らく、石造りでは無く、木造が基本で有ったと言う事が関係していると思いますが)、古い建物を長く使い続けると言う発想が、乏しく、文化財にでも指定されていない限り、寺や神社(shrine)の建物でさえ、老朽化したと言って、結構、あっさりと建て替えてしまいます(もっとも、現存している、江戸(edo)時代(19世紀半ば)以前に建てられた、寺や神社(shrine)の建物に関しては、普通は、文化財に指定されていると思いますが)。したがって、古い住宅の建物となると、尚更、安易に建て替えられてしまう傾向が有ります(我が家の近所の実家の建物も、前述の通り、(元は、第2次世界大戦前に建てられた建物であったそうですが)、私が、生まれる前に、現在の建物に建て替えられてしまっています)。文化財に指定されている様な、古い建物は、とりあえず安心なので、個人的に、差し迫って、写真を撮影する必要は有りませんが、私は、やがて消え行く運命に有る(それは、もしかして、すぐ明日にでも、訪れるかもしれない)、無名の古い住宅の建物を、せめて、私の街の分だけでも(出来たら、私の街以外の物も)、まだ存在している内に、出来るだけ多く、写真の中に収めて置こうと思っています。が、しかし、面倒臭さが勝って、中々作業が、進んでいません。。。
写真以下4枚(写真以下4枚は、同じ、一戸建て住宅です)。1920年代から1930年代頃建てられたと思われる、西洋式の、一戸建て住宅。2013年の12月の初旬に、散歩した際に撮影。1920年代から1930年代頃の典型的な中流階級向け、西洋式の田園住宅と言った感じです(私の街は、1920年代から1930年代頃は、まだ、のどかな風景が広がる、当時の中流階級や新興金持ち向けの新興住宅地でした)。
写真以下2枚。1920年代から1930年代頃建てられたと思われる、西洋式と、日本伝統式、両方の要素を持つ、一戸建て住宅。
2013年の3月の中旬に散歩した際に撮影。
2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。
写真以下6枚。1920年代から1930年代頃建てられたと思われる、日本伝統式の、一戸建て住宅。
写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅。2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。
写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅。2013年の3月の中旬に散歩した際に撮影。
写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅。2013年の12月の初旬に、散歩した際に撮影。
写真以下4枚。2013年の3月の中旬に散歩した際に撮影。この土地には、第二次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられた程、古い、住宅の建物ではありませんが、ある程度、古い、かなり立派な、日本伝統式の、一戸建て住宅の建物が建っていたのですが、建て替えの為、取り壊されてしまいました。現在は、既に、新しい建物が建っています。