2月の第4月曜日(以下、この日と書きます。この日は、日本は、祝日(国民の休日)でした)に、彼女と、上野(ueno)に遊びに行って来た時の物です。
この日は、前日に、我が家に泊まった彼女と、朝寝坊をし、遅い朝食兼昼食を食べてから、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)を出ました。この日は、地下鉄で、上野(ueno)に行きました。
上野(ueno)は、東京都心部の北東部に位置する、浅草(asakusa)と並ぶ、東京の下町(東京都心部東部。旧市街)最大級の繁華街です。
上野(ueno)には、上野(ueno)公園があります。上野(ueno)公園は、東京中心部にある公園の中では、最大級の公園の内の一つであり、また、美術館・博物館等の文化施設が集まっています。
この日は、まず、上野(ueno)areaにある湯島(yushima)天神(tenjin)に梅の花を見に訪れました(湯島(yushima)天神(tenjin)は、東京の梅の花の名所(有名な場所)の一つとなっています)。
以下、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。湯島(yushima)天神(tenjin)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
湯島天神他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3924677?&sfl=membername&stx=nnemon2
4月の第一土曜日、夜10時から、テレビの地上波の、テレビ東京で放送された、「新美の巨人たち」は、上野(ueno)公園の歴史に関してだったのですが、彼女と、我が家のテレビで見ましたが、以下の上野(ueno)の歴史に関する説明は、その時に見た、番組の内容も、少し参考にしています→
https://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/index.html?trgt=20250405
https://artexhibition.jp/topics/news/20250401-AEJ2617989/
湯島(yushima)天神(tenjin)に訪れた後は、上野(ueno)公園を散歩しながら、東京都美術館を訪れました。ちなみに、この日は、2人共、歩き易い靴で出掛けました。
徳川(tokugawa)将軍(shogun)家は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)において、東京(当時は、江戸(edo)と呼ばれていた)を拠点として、日本全国の地方領主達の長(leader)として、日本を実質的に統治していた家です。
徳川(tokugawa)将軍(shogun)家の中心的な城(castle)は、江戸(edo)城(castle)(東京都心部でも中心的な地域に位置する)でした。
以下、江戸(edo)城(castle)に関する参考の投稿。
江戸城跡(2024年桜)前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3799525/page/28?&sfl=membername&stx=nnemon2
江戸城跡(2024年桜)後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3799524/page/28?&sfl=membername&stx=nnemon2
ちなみに、東京(昔(19世紀中期以前)は、江戸(edo)と呼ばれていた)の、大都市と言うか都市としての歴史は、17世紀からで、東京は、日本の長い歴史の中においては、歴史の短い都市です。
京都(kyoto)は、794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった都市であり、日本の、伝統文化の中心都市です。大阪都市圏の堺(sakai)市は、15世紀後期から17世紀初期にかけて、貿易都市として繁栄していました。また、大阪は、16世紀後期から、日本の、商業・物流の中心都市として発展して来ました。
これに対し、東京は、16世紀までは、田舎の、のどかな、農村又は自然地帯で、富士山(fujisan)(標高
3,776m。東京圏に近い場所にある、日本で最も高い山で、その形の美しさから、世界的に名が知られている山)は見えましたが(おそらく、産業革命前で近代的な工場も自動車も存在せず現在よりも空気が澄んでいて、近代的・現代的なビルも存在しなかった、江戸(edo)時代においては、東京から、現在よりも、富士山(fujisan)が、遥かに(ずっと)、良く見えたと思います。現在は、ビルが建ち並び過ぎている事等から、東京から、富士山(fujisan)を見る事は、中々、難しい)、基本的に、名所・観光地は、存在しませんでした。
徳川(tokugawa)将軍(shogun)家は、東京を開発するに当たって、長い間、そして、当時、日本の中心地であった、関西(kansai)大都市圏(大阪・京都(kyoto)・神戸(kobe)を中心とした大都市圏。東京圏に次ぐ、日本第二の人口を有する大都市圏。ちなみに、神戸(kobe)は、近代以降(19世紀後期以降)、関西(kansai)大都市圏の海の玄関口(gateway)・貿易都市として発展した都市です)に、憧れやコンプレックス(劣等感)と言った物を持っていたと思います。
滋賀(shiga)県は、関西(kansai)大都市圏(大阪・京都(kyoto)・神戸(kobe)を中心とした大都市圏。東京圏に次ぐ、日本第二の人口を有する大都市圏)の北東端に位置する県です。
滋賀(shiga)県にある湖、琵琶(biwa)湖(面積669.26平方km)は、日本で、最大の湖です(韓国で、最大の湖の、忠州(Chungju)湖(人工の湖)の、約10倍の広さがあります)。
竹生(chikubu)島は、琵琶(biwa)湖に浮かぶ、小さな島です。
弁才天(benzaiten)は、元々、仏教の、女性の神ですが(元々、ヒンドゥー教(Hinduism)の女神(女性の神)である、サラスヴァティー(Saraswati)が仏教に取り込まれた)、神道(Shinto)にも取り込まれ、神道(Shinto)の神の一つともなっています。
竹生(chikubu)島は、何れも、弁才天(benzaiten)を祀る、何れも、歴史が古い、仏教の寺、宝厳(hougon)寺と、神道(Shinto)の神社(shrine)、都久夫須麻(tsukubusuma)神社(shrine)があり、古くから、巡礼地・観光地となって来ました。
竹生(chikubu)島に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
竹生島・宝厳寺他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3922453?&sfl=membername&stx=nnemon2
不忍(shinobazuno)池は、上野(ueno)にある、天然の池で、現在は、上野(ueno)公園の一部となっています。
前述した、琵琶(biwa)湖は、京都(kyoto)の北東に位置しますが、不忍(shinobazuno)池は、江戸(edo)城(castle)の北東に位置しています。
徳川(tokugawa)将軍(shogun)家は、17世紀前半に、(まだ都市として発展し始めたばかりの)東京(当時は、江戸(edo)と呼ばれていた)に、名所を作る為に、不忍(shinobazuno)池を、琵琶(biwa)湖に見立て、そこに、竹生(chikubu)島に見立てた、人口の島、弁天(benten)島を築き、弁天(benten)島に、弁才天(benzaiten)を祀る、お堂(建物)、弁天(benten)堂を建てました。
当初は、弁天(benten)島までは、橋がなく、弁天(benten)島への参拝は、竹生(chikubu)島同様、船で行われていましたが、それでは不便と言う事で、1672年に、東方向から、弁天(benten)島へ渡る為の、石橋が架けられ(陸路が整備され)、弁天(benten)島まで、歩いて参拝出来る様になりました(現在は、不忍(shinobazuno)池に、東方向、西北方向、西南方向の、3方向から、弁天(benten)島まで渡る事が出来る陸路が整備されています)。
写真以下7枚。不忍(shinobazuno)池。
写真中央奥に見えるのは、弁天(benten)島と弁天(benten)堂。現在の弁天(benten)堂の建物は、第二次世界大戦末期(1945年)のアメリカ軍による空襲で焼失した後、1958年に建てられた物です。その後ろに見える、白い現代的な建物は、精養軒(seiyouken)の建物です。精養軒(seiyouken)は、上野(ueno)公園内にある、1872年まで歴史を遡る事が出来る(元々は、違う場所で、西洋式のホテルとして営業を開始した)、歴史の古い、フランス料理・洋食(yoshoku)(日本人好みに、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)レストランです。現在の、上野(ueno)公園内にある、精養軒(seiyouken)の本店(現在の建物は、1960年に建てられた物)は、要人も利用する高級フランス料理レストランと、カジュアル(casual)な、洋食(yoshoku)(日本人好みに、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)レストランから成ります。
京都(kyoto)の北東方面、滋賀(shiga)県の、琵琶(biwa)湖の近くに、延暦(enryaku)寺と言う、788年に創建された、京都(kyoto)の鬼門(kimon)(北東。日本で、古くから、鬼・魔物が出入りするとされる方角)を護る、歴史の古い、とても規模の大きな(標高848mの一つの山全体が敷地となっており、100の建物がある)、仏教の寺があります(延暦(enryaku)寺は、日本の、主要な観光地の一つとなっています)。
延暦(enryaku)寺→
https://www.hieizan.or.jp/
徳川(tokugawa)将軍(shogun)家(徳川(tokugawa)将軍(shogun)家の当時の当主、徳川
家光(tokugawa
iemitsu))は、京都(kyoto)の鬼門(kimon)を護る、延暦(enryaku)寺に習って、江戸(edo)城(castle)の北東方面に、1625年に、寛永(kanei)寺と言う、規模の大きな、仏教の寺を創建しました。
寛永(kanei)寺は、現在の、上野(ueno)公園の、ほぼ全域を、敷地面積とした、とても、大きな仏教の寺で、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)において、とても繁栄していました。
1832年に描かれた(歌川広重(utagawa hiroshige)の作品)、寛永(kanei)寺の中心的な建物→
https://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail211.html?sights=kaneiji
しかしながら、上野(ueno)が、戊辰(boshin)戦争(下の補足説明を参照)の主要な戦場の一つとなった為、寛永(kanei)寺は、壊滅的な被害を受け、寛永(kanei)寺の建物の、ほとんどが焼失してしまいました。その後、寛永(kanei)寺の敷地は、とても縮小され、現在は、寛永(kanei)寺の敷地は、上野(ueno)公園の周辺を中心に、約3万坪(9万9千平方m強)となっています。
戊辰(boshin)戦争:1868年から1869年にかけて行われた、明治(meiji)時代(1868年から1912年)の新しい日本の中央政府の軍と、旧(かつての)徳川(tokugawa)幕府(bakufu)(江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)における、徳川(tokugawa)将軍(shogun)家による、日本の政府)側の侍(samurai)達の軍による戦争(日本国内の内戦)。明治(meiji)時代の新しい日本の中央政府の勝利に終わる。ちなみに、上野(ueno)が、戊辰(boshin)戦争の戦場となった頃は、徳川(tokugawa)将軍(shogun)家自体は、既に、明治(meiji)時代の新しい日本の中央政府に恭順の意を示しており、戊辰(boshin)戦争に関わっていませんでした。
ちなみに、徳川(tokugawa)将軍(shogun)家は、近代においては(19世紀末から第2次世界大戦後、間も無くまでおいては)、貴族階級に組み入れられ(公爵となり)、日本の上流階級としての地位と富は維持しました。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿。
江戸城跡・旧徳川邸他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3901679/page/6?&sfl=membername&stx=nnemon2
清水(kiyomizu)寺は、京都(kyoto)にある、778年に創建された、歴史の古い、規模の大きな、仏教の寺です。
清水(kiyomizu)寺は、京都(kyoto)の主要な観光地の一つとなっていると共に、日本の主要な観光地の一つともなっています。
現在の、上野(ueno)公園内にある、清水(kiyomizu)観音堂(kannondo)は、現在残っている、数少ない、戊辰(boshin)戦争よりも前に(江戸(edo)時代に)、建てられた、寛永(kanei)寺の建物の一つで、1631年に、清水(kiyomizu)寺の、本堂(hondo)(寺の、メイン(main)の建物)をイメージして建てられた建物です(清水(kiyomizu)寺の、本堂(hondo)(寺の、メイン(main)の建物)に比べたら、遥かに(ずっと)小さいですが)。
清水(kiyomizu)寺の、本堂(hondo)(寺の、メイン(main)の建物)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
清水(kiyomizu)寺→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3924363?&sfl=membername&stx=nnemon2
名所江戸百景(One Hundred Famous Views of Edo)は、歌川広重(utagawa hiroshige)(下の補足説明を参照)が、1856年から1858年に制作した、東京の、様々な名所を描いた作品です。
歌川広重(utagawa hiroshige):1797年生まれ。1858年に亡くなる。日本の、代表的な、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家の一人。
参考に、Japonismeとは、19世紀中期から20世紀初頭にかけて(特に、19世紀の後半に)、フランスを中心とした、西洋の国々(ヨーロッパ及び北米)で、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)等の日本文化が流行すると共に、当時の(近代の)ヨーロッパを中心とした西洋の芸術・工芸に強い影響を与えた現象の事を言います。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿。
Japonisme他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3806140/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2

写真は、借り物。名所江戸百景(One Hundred Famous Views of Edo)より、清水(kiyomizu)観音堂(kannondo)。向こうに見えるのは、不忍(shinobazuno)池。

写真は、借り物。名所江戸百景(One Hundred Famous Views of Edo)より、清水(kiyomizu)観音堂(kannondo)の、月の松。向こうに見えるのは、不忍(shinobazuno)池。
清水(kiyomizu)観音堂(kannondo)の、月の松は、19世紀後期の台風により被害を受けて失われてしまいましたが、江戸(edo)時代の風景を復活させる為、2012年に復元されました。
写真以下4枚。清水(kiyomizu)観音堂(kannondo)。
写真中央よりも、やや下。月の松。
前述の通り、上野(ueno)公園には、美術館・博物館等の文化施設が集まっています。また、上野(ueno)公園に隣接して、国立の、東京芸術大学のキャンパス(campus)があります。東京芸術大学(1887年創立)は、日本の芸術系の大学の中では、最高峰であると共に、東京大学(日本の国立の大学の一つ。東京にある。1877年設立。起源は、1684年まで遡る)、京都(kyoto)大学(日本の国立の大学の一つ。京都(kyoto)にある。1869年創立)と並ぶ、日本を代表する、名門中の名門大学です。上野(ueno)公園及び、その周辺の文化施設群は、第2次世界大戦前に、既に、ある程度、完成形に近い形になっていましたが(例:東京芸術大学、上野(ueno)動物園(1882年に開園した、日本で最も長い歴史を持つ西洋近代式動物園)、東京国立博物館(東京で、日本の伝統美術品を見るならば、この博物館です。日本最大級の博物館で、収蔵作品(collection)の中心は、日本の伝統美術品です。東京国立博物館には、膨大な量の(非常に多くの)日本の伝統美術品が、収蔵、展示されています。また、日本のみならず、世界中の伝統美術を対象とした、企画展示(exhibition)も、日本最大級の博物館ならではの、規模と質を誇っています)、国立科学博物館等は、既に、第2次世界大戦前に、存在していました)、以下で紹介する、国立西洋美術館と東京文化会館は、第2次世界大戦後に建てられ、開館した物です。
東京文化会館の建物の一部。東京文化会館は、上野(ueno)公園にある、東京を代表するクラシック音楽(classical
music)の公演場の一つです。東京文化会館の建物(1961年完成。前川國男(maekawa kunio)が設計)は、前川國男(maekawa
kunio)(下の補足説明を参照)の代表作品の一つです。
前川國男(maekawa
kunio):1905年生まれ、1986年に亡くなる。世界的な(世界最高水準の)建築家と言う程では、ありませんが、日本の有名な建築家の一人であり、日本の第二次世界大戦後の復興期(1950年代から1960年代初期)の、現代建築界をリード(lead)した、建築家の一人です。前川國男(maekawa
kunio)は、他の、日本の第二次世界大戦後の復興期(1950年代から1960年代初期)の、現代建築界をリード(lead)した、日本の有名な建築家達と共に、日本の現代建築設計の水準を、世界最高水準に、引き上げる為の基礎を、1950年代に、固めた建築家の一人です。
東京文化会館について詳しくは、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
東京文化会館→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3922465?&sfl=membername&stx=nnemon2
国立西洋美術館(The
national museum of western art)。ちなみに、この時、国立西洋美術館(The national museum of
western art)は、展示替えの為の(展示作品を入れ替える為の)、休館期間中でした。国立西洋美術館(The national
museum of western
art)は、上野(ueno)公園にある、1959年に開館した、西洋美術専門の、日本の、国立の美術館です。ちなみに、写真に、ロダン(Auguste
Rodin)の彫刻が写っていますが、国立西洋美術館(The national museum of western
art)は、ロダン(Auguste Rodin)の作品に関して、世界でも有数のコレクション(collection)を有しています。
国立西洋美術館の建物(1959年完成)の設計は、Le
Corbusier(世界の歴史上、最も有名な建築家の一人)が行っています。国立西洋美術館の建物は、世界遺産(World Heritage
Site)である、「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-(The Architectural Work of Le
Corbusier)」を構成する、世界の17の(フランス10、スイス2、以下1ずつ、ドイツ、ベルギー(Belgium)、日本(国立西洋美術館)、インド、アルゼンチン(Argentina))、Le
Corbusierの設計した建築物の一つとなっています。
国立西洋美術館(The national museum of western art)について詳しくは、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
国立西洋美術館→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3913033/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
この時、まだ桜の花の時期ではなく、梅の花の時期でしたが、(桜でなかったら、申し訳ありませんが、おそらく)早咲きの桜が、咲いていました。ちなみに、上野(ueno)公園は、東京の桜の花の名所(有名な場所)の一つとなっており、桜の花の時期には、上野(ueno)公園には、たくさんの桜の花が咲きます。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「桜の花は、おそらく、日本人に、最も親しまれている花であり、菊(皇室(天皇家)の紋章(emblem)となっている花)と共に、日本の実質的な国家となっている花です(日本には、法定上の国花はありませんが、桜の花は、(菊と共に)慣習上の国花として、昔から、国民達に親しまれて来ました)。日本には、所々に、桜の木が植えられており、春には、日本各地で、所々で、桜の花が咲きます。」
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
東京都美術館 出張江戸博前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3924675?&sfl=membername&stx=nnemon2
ちなみに、前述した、東京国立博物館(日本の国立の博物館の一つ。上野(ueno)公園にある。日本最大級の博物館)に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
東京国立博物館1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3766590?&sfl=membername&stx=nnemon2
東京国立博物館2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3766588?&sfl=membername&stx=nnemon2
東京国立博物館3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3766587?&sfl=membername&stx=nnemon2
東京国立博物館4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3766586?&sfl=membername&stx=nnemon2