不在の授賞(12月10日)
そこに居るべき人が不在である方が、出席するよりも存在感を放つことがある。封じられた言葉が、多弁を上回る力を発揮することもあるだろう▼ノルウェーのオスロできょう、受賞者不在のままノーベル平和賞の授賞式が行われる。舞台に立つべき人権活動家の劉暁波(りゅうぎょうは)氏(54)は中国で獄中にある。中国政府は、劉氏の妻はもとより、親族の代理出席さえも認めていない。他国にも欠席せよと圧力をかけた▼本人・親族とも欠席するのはナチスを批判したオシエツキー氏以来、75年ぶりという。歴史の針が一気に巻き戻されたようで目まいがする▼式典は授賞理由にもなった「〇八憲章」の発表2周年に重なる。その前書きは<(民主・共和・憲政の)普遍的価値と基本的な政治制度の枠組みを引き離した『現代化』は、人間の権利を剥奪し、人間性を堕落させ、人間の尊厳を踏みにじる災禍の過程である>(「天安門事件から『08憲章』へ」藤原書店)と記す▼中国はこの声を発する口を封じ、聞く耳を塞(ふさ)ぎたいのだろうが、そんなことは永遠に続けられるはずもない。トーマス・マンは「来るべきデモクラシーの勝利について」で<『人間』という言葉、『人類』という言葉をきいて、大きな神秘を感じぬような人間は、すでに精神的死灰にひとしい>と説く▼本人不在の授賞式は民主主義への不断の歩みを続けよと私たちに呼びかける。