【動画/五輪】日本が銀メダルを獲得 - 陸上男子400mリレー決勝
[動画]
http://www.dailymotion.com/video/x4pik8z
陸上男子400mリレーで日本が銀メダル(NHK)
8月20日 14時23分
リオデジャネイロオリンピック、陸上の男子400メートルリレーは19日、決勝が行われ、日本は37秒60のアジア新記録で2位となり、銀メダルを獲得しました。
日本は前の日、37秒68のアジア記録をマークした予選と同じメンバーで19日の決勝に臨みました。
1人目の山縣亮太選手は得意のスタートを決めて2人目の飯塚翔太選手につなぎました。そして、飯塚選手からバトンを受け取った3人目の桐生祥秀選手はカーブでうまく加速し、アンカーのケンブリッジ飛鳥選手につなぎました。ケンブリッジ選手は先頭を行くジャマイカのアンカー、ウサイン・ボルト選手に食らいつき、2位でフィニッシュしました。
日本は前の日のアジア記録を0秒08更新する、37秒60のアジア新記録でこの種目、過去最高の銀メダルを獲得しました。
金メダルはジャマイカで37秒27でした。ジャマイカのアンカー、ボルト選手はこの大会、3個目の金メダルを手にしました。また、このレースで、アメリカとトリニダード・トバゴは失格となりました。
山縣「世界のトップ見える」
第1走者の山縣選手は、好スタートで飛び出し、スピードに乗った安定した走りで第2走者につなげたレースについて、「とにかく僕は自分の仕事に徹し、抜群のスタートとチームに流れを持ってこられる走りをすることだけ考えた。フライングは恐れずに走った」と冷静に振り返っていました。
日本陸上男子のトラック種目で史上初の銀メダルを獲得したことについては、「男子のスプリント種目で日本も活躍できると言うことは本当に自分たちにとってうれしいことだし日本の陸上界にとっても励みになると思う」と話したうえで、東京大会に向けて「とにかくきょうのタイムを続けていく先に、世界のトップが見える位置にあると思うのできょうのレースよりもさらにいいレースをして、メダルを目指したいと思う」とさらなる飛躍を誓っていました。
飯塚「東京へいいスタート」
第2走者の飯塚翔太選手は、好スタートを切った山縣選手からバトンを受けた自身の走りを振り返り、「自信を持ってスタートを切ることと、自分のレーンだけ見て走ることだけを考えて走った。決勝の舞台ではスタートが出遅れてバトンパスが詰まってしまうことがたくさんあるので、まずは思い切って出ることを考えた」と話し、予選でマークしたアジア記録より「さらに上を目指していた」ということです。
チーム最年長の25歳の飯塚選手は北京大会の銅メダルを上回る結果を残したことについて「過去の先輩たちからもずっとバトンはつながってきていたので今回こういった形でメダルを取ることができた。東京に向けてもいいスタート切れたと思う。日本人が走る才能があるということも少しは分かって頂けたかなと思う」と笑顔で話していました。
桐生「日本のバトンパスが最高」
チーム最年少20歳で第3走者を任せられた桐生祥秀選手は、上位でバトンを受けるとさらに順位をあげて第4走者のケンブリッジ選手にバトンを渡しました。
桐生選手は、「最高のメンバーと走れたのでうれしい。めちゃくちゃ盛り上がったので最高に楽しいレースを走らせてもらった」と興奮気味に話しました。
また、日本の高い技術のバトンパスを成功させたことについて、「僕がどんなに思いっきりスタートしても飯塚さんがバトンを渡してくれると言ってくれたので信じていた。よりいい順位でケンブリッジさんに渡すことしか考えていなかった。日本のバトンパスが最高だ、ということは結果で証明できた思う。これに甘えず、もっと上にいけるように個人でもリレーでも最高の走りをしたい」と話していました。
ケンブリッジ「今度は9秒台で」
アンカーのケンブリッジ飛鳥選手は、後半に伸びる持ち味の走りを見せて銀メダル獲得につなげ、「三人が絶対いいところで渡してくれると信じていたので1つでも前の順位でゴールするという気持ちで走った。しっかり自分の走りをするというのと絶対に抜かれないということを考えて走った」とレースを振り返りました。
隣のレーンで走ったジャマイカのウサイン・ボルト選手に続いてゴールしたことについては「背中は見えていたがあまり覚えていません」と苦笑いを浮かべながら話しました。
そして、4年後の東京大会に向けては「次は個人の力をあげてみんなが100メートルで9秒台を出してリレーを組めるようなチームになれたらいい。次の東京で今回を超えられるような結果を残したい」とチーム全体での成長を誓っていました。
バトンパスは100点
日本陸上競技連盟の苅部俊二短距離部長は、ことし3月から繰り返し行われた代表合宿の中で、日本独自のアンダーハンドパスを指導してきました。
苅部短距離部長は「みんな力どおりの走りだった。バトンパスは100点をあげてもいい。ミーティングで、選手の意見とこちらの意見を合わせて、予選より攻めたバトンパスをした。個人種目でも走り自体はみんな悪くなかったので、今回はメダルを狙って、取るべくして取ったメダルだった」と、男子のトラック種目で史上最高の成績に手応えを感じていました。
選手の地元からも声援
日本のアンカーを務めたケンブリッジ選手の地元、東京・江東区の深川スポーツセンターには、大型スクリーンが設けられ、およそ150人が集まりました。
レースがスタートし、バトンがアンカーを務めるケンブリッジ選手に渡ると、集まった人たちは2つの風船をたたきながら、「飛鳥」などと大きな声援を送りました。そして、ケンブリッジ選手が2着でゴールし、銀メダルを獲得すると、集まった人たちは立ち上がって喜んだり、風船をたたいたりして、ケンブリッジ選手の活躍をたたえていました。
30代の女性は「ケンブリッジ選手には子どもと写真を撮ってもらったこともあるので本当に感動しました。4年後の東京オリンピックではぜひ、金メダルを取ってほしい」と話していました。また、50代の女性は「銀メダルとはびっくりしました。ケンブリッジ選手は地元の星です。これからもずっと応援していきたい」と話していました。
桐生祥秀選手の出身地、滋賀県彦根市では、中学校の恩師や友人などおよそ150人がパブリック・ビューイングに集まり、レースを観戦しました。
第3走者の桐生選手がバトンを受け取ると、集まった人たちは「フレー!フレー!桐生!」と大声援を送りました。桐生選手は男子100メートルでは予選で敗退しましたが、リレーでは持ち前の加速力を発揮し、最終走者のケンブリッジ飛鳥選手にバトンを渡しました。日本が2着でゴールし、銀メダルを獲得すると、ひときわ大きな歓声や拍手が沸き起こりました。
桐生選手の祖母の俊江さんは「よく頑張ってくれた。とても感動しています。ただ、ただ、うれしいです」と涙を流しながら話していました。また、桐生選手が通っていた彦根市立南中学校の当時の校長だった田附弘和さんは「オリンピックに出場しただけでもすごいことですが、銀メダルは快挙です。後輩たちに大きな夢と希望を与えてくれたと思う」と目を潤ませながら話していました。
陸上でのメダル獲得 前回までに23個
陸上は日本が初めてオリンピックに参加した1912年のストックホルム大会で唯一、出場した競技です。
1928年のアムステルダム大会では、三段跳びで織田幹雄さんが、すべての競技を通じて日本選手として最初の金メダルを獲得しました。以後、日本の陸上界は三段跳びや走り幅跳び、棒高跳びなどのフィールド種目を得意とし、1936年のベルリン大会までの間に13のメダルを取りました。
その後、日本の陸上選手はしばらくメダルから遠ざかりましたが、1960年代以降はマラソンを中心としてメダルを増やし、前回、ロンドン大会までに合わせて23のメダルを獲得しています。しかし、男子のトラック種目は、これまでは北京大会の男子400メートルリレーの銅メダルが最高でした。
今回の男子400メートルリレーの銀メダルは、1928年のアムステルダム大会女子800メートルで銀メダルを獲得した人見絹枝さん以来、実に88年ぶり2回目の快挙で、男子では初めてです。
リオデジャネイロ大会では、男子50キロ競歩で荒井広宙選手が銅メダルを獲得し、オリンピックの陸上でこれまで日本が獲得したメダルは25となりました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160820/k10010643551000.html