よくこういう言説を見るよね。
「聖徳太子が独立宣言するまで、日本は中国の属国だったと。」
ええ、ここでの「属国」とは現代的な「vassal state 」という意味の属国ではなく、「冊封体制に組み込まれた国」という本来的な用語としての属国のことなんだろうけど、そこの所をバカ共が理解しているかどうかは知らない。おそらく、同一の概念と見ているような気がする。
それはさておき。
聖徳太子が隋の煬帝に国書を送り、「日出る処の天子~」とやったから独立した?ホント?
この主張が正しいとする条件は、それまでの日本の歴代天皇が中国皇帝の冊封を受けていることが条件になりますが、と。
33代 推古天皇(在位593~628)で独立ですか、と・・・・・
32代 崇峻天皇(在位587~592)
31代 用明天皇(在位585~587)
30代 敏達天皇(在位572~585)
29代 欽明天皇(在位539~571)
28代 宣化天皇(在位536~539)
27代 安閑天皇(在位531~536)
26代 継体天皇(在位507~531)
25代 武烈天皇(在位498~507)
24代 仁賢天皇(在位488~498)
23代 顕宗天皇(在位485~487)
22代 清寧天皇(在位480~484)
21代 雄略天皇(在位456~479) 宋・梁の冊封を受けた倭王武に比定される。
20代 安康天皇(在位454~456) 宋の冊封を受けた倭王興に比定される。
19代 允恭天皇(在位412~453) 宋の冊封を受けた倭王済に比定される。
18代 反正天皇(在位406~410) 宋の冊封を受けた倭王珍に比定される。
17代 履中天皇(在位400~405) 仁徳とともに宋の冊封を受けた倭王讃に比定される。
16代 仁徳天皇(在位313~399) 履中とともに宋の冊封を受けた倭王讃に比定される。
15代 応神天皇(在位270~310)
★ 景初二年(238年、三年とするテキストもあり)卑弥呼が冊封を受ける。その後、臺與と男王が冊封を受けた可能性。(いずれも天皇には比定されていない)
14代 仲哀天皇(在位192~200)
13代 成務天皇(在位131~190)
12代 景行天皇(在位71~131)
★ 永初元年(107年)、倭国王帥升が生口を献じ謁見を求める。(天皇には比定されていない)
11代 垂仁天皇(在位B.C29~71)
★ 中元二年(57年)、倭国の南にある倭奴国の大夫が冊封を受ける。(天皇には比定されていない)
10代 崇神天皇(在位B.C97~29)
9代 開化天皇(在位B.C158~B.C98)
8代 孝元天皇(在位B.C214~B.C158)
7代 孝霊天皇(在位B.C290~B.C215)
6代 孝安天皇(在位B.C392~B.C291)
5代 孝昭天皇(在位B.C475~B.C393)
4代 懿徳天皇(在位B.C510~B.C477)
3代 安寧天皇(在位B.C550~B.C510)
140年近く中国の冊封なんか受けてませんが?と。むしろ、中国との接触を断っていますが?どうしましょう?
ええ、5世紀末から6世紀って、日本は朝鮮半島くらいとしか交流していないのでしてね・・・。
俗に「空白の6世紀」なんて言われてまして。
何々?聖徳太子が国書を送るまでシナは日本を属国と思っていた?
中国皇帝が表文も上げず、朝貢もしない国の王を冊封してやるとでも?
中国は属国になることなんか強要しませんし、表文を上げて冊封を受けていない国を属国扱いになんてしてやりませんが?と。
ええ、中国の正史の中でも6世紀の倭国を属国扱いなんてしてませんことよ。( ´H`)y-~~
むしろ、聖徳太子が国書を送ったのは、「今まで朝鮮半島経由で入手していた中国の情報、直輸入でやっちゃいましょうよ」という話で、むしろ積極的に中国との接触を図ったものなのですが、と。
だから、史料に当たって物言えと。
大業三年其王多利思北孤遣使朝貢使者曰聞海西菩薩天子重興佛法故遣朝拜兼沙門數十人來學佛法其國書曰日出處天子致書日没處天子無恙云云帝覧之不悦謂鴻臚卿曰蠻夷書有無禮者勿復以聞
聖徳太子は、140年ぶりで朝貢してますが?
お願いベースで「仏教教えてください、頼みです~」と
やらかしていますの。
脱亜でもなんでもないの・・・
( ´H`)y-~~プハー