스이제이 덴노는 인간을 먹고 있던
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2대째 천황「스이제이 덴노」는 아침에 저녁에 인간을 7명 먹고 있었다.
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綏靖天皇は人間を食べていた
二代目天皇「綏靖天皇」は朝に夕に人間を7人食べていた。
古事記と日本書紀から削除された怪しげな天皇家の記録。
アンジェリーナ・ジョリー監督映画「アンブロークン」が、「クロ宗」という人肉食信仰の存在を隠蔽するために上映中止になった可能性についてお話しました。
で、この「クロ宗」がもともと悪魔崇拝であり、その名残が「クロ宗」という名前で残されているのではないかともお話ししたわけですが、このように日本の一部地域には、悪魔崇拝と関係が深いと思われる風習や信仰がいくつも残されています。
そもそも、日本のトップである天皇が「悪魔崇拝」を行っているわけですから、その下の民衆たちも同じように昔から悪魔崇拝を陰でコソコソと行ってきた可能性は高いと言わざるを得ません。
もっとも、このブログを初めてお読みになっている方には信じにくい話かも知れませんが、例えば天皇が行う「大嘗祭」は悪魔崇拝そのものと言っても過言ではない式典です。詳しくは以下のリンクを御覧ください。
○天皇が行う「大嘗祭」はまさに悪魔崇拝そのものです。
しかも、このリンク記事を見ればお分かりの通り、天皇はほぼ毎日のようにトランス状態になっているとの噂もありますから、この「大嘗祭」がただの風習や伝統として残され、形式的に行われているとは考えにくいです。
むしろ天皇が、確信犯的に悪魔を拝んでいる可能性はとても高いとさえ言えます。
しかし、それは何も近代の天皇だけに限った話ではありません。実は「古事記」「日本書紀」に登場する古代の天皇さえも、悪魔崇拝を行っていた可能性が高いと言えるのです。
もっとも、「古事記」「日本書紀」からはその記録はほとんど削除されてしまったようですが……。
実は「古事記」と「日本書紀」には、「欠史八代」と言って、第二次大戦後、何者かによって記録が削除された「八人の天皇」がいます。
○欠史八代 – Wikipedia
ウィキペディアによると、「欠史八代(けっしはちだい、かつては闕史八代または缺史八代とも書いた)とは、『古事記』・『日本書紀』において系譜(帝紀)
は存在するがその事績(旧辞)が記されない第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人の天皇のこと、あるいはその時代を指す」と説明されていますが、こ
れはもともと記されていなかったわけではなく、何者かによって人為的に記録が削除されてしまったのです。
では、なぜ「八人の天皇」の記述が削除されてしまったのか。これについては「アンサイクロペディア」に分かりやすく説明が書かれてありました。
■欠史八代抹殺事件
実在していた天皇を実在しないかのように見せかけるため、謎の黒幕が、2代目綏靖天皇から9代目開化天皇までの事績の記録を古事記および日本書紀から消してしまった。消えたが上に欠史であるが故、この欠史八代という呼称は事後的なものであるといわざるを得ない。
いかにして消し去ったのかは現在でもわかっておらず、現在は記録の復興作業中である。
それまでは欠史八代の実在は常識であったが、黒幕(GHQという説が最も有力)がその部分の事績を消去し、系譜だけにしてしまったため、あたかも創作された天皇のごとく情報操作されてしまったのである。
ちなみに、抹殺したときに、日本人の記憶まで操作したらしい。もしかしたら犯人は長門と言う名前の人かもしれない。
なお、この黒幕は継体天皇以前と血がつながってないとの情報操作をした人物と同一犯と見られているが、両事件とも残念ながら時効を迎えてしまった。
現在でも、この事件の影響は深く、万世一系というたかが単なる歴史的事実を否定してしまう人が学者にまで存在しているという状況である。
----------------(転載ここまで)
このように「古事記」「日本書紀」から彼らの記録が削除されたため、「2〜8代目の天皇」は実在しておらず、単なる創作に過ぎないという説さえ囁かれるようになってしまいました。
しかしながら、「2〜8代目の天皇」の系譜や陵墓はきちんと残されている上、皇后の名前さえもきちんと記録に残されています。なので、彼らの存在をそう易々と否定するわけにはいきません。
例えば、二代目天皇である「綏靖天皇(すいぜいてんのう)」の陵墓は最上の画像になります。
もし彼が実在していなかったのであれば、こんな墓がわざわざ作られ、残されている理由がよく分かりません。実在していない天皇のために誰がわざわざ墓なんか作るのか、という話になってしまいますから。
しかも、「綏靖天皇」に関する逸話もかなり詳しく残されています。
----------------(以下、アンサイクロペディアより転載)
■綏靖天皇
紀元前631-紀元前549。
抹殺事件による抹殺被害が最も少ない天皇。神武天皇崩御後、異母兄と権力争いを演じる、神武天皇の東征にも参加していたとされ、異母兄は神武天皇の皇后をめとり、その後綏靖天皇と同母兄を殺そうとしたが、それを阻止し、逆に討ち取る。
さて、同母兄は臆病だったため、弟である綏靖天皇に皇位を譲ることになる。
よく、古事記や日本書紀は、天皇の権威を高めるためのものという説があるが、こんなこと(近親相姦と近親殺戮)を書く必要はないだろう。なぜ書いたかって?そりゃあ、歴史を正しく伝えるためだよ。君。
別の資料集によれば食人の趣味があったことでも知られている。なんか、食べられそうになって逃げ出したとかワーワー騒いでたらしいねこれが。
83年の生涯であったとされているが、45歳で崩じたとの説もある。何でこんなに寿命の説が違うのかは不明。
この逸話を見てみると、これだけでこの天皇が悪魔崇拝と何かしら関わりがあったのではないかと疑いたくなりますね。
例えば「親近相姦」はまさに悪魔教の一つである「ゾロアスター教」で美徳とされ、推奨されている教えです。これは先日も記事にしましたね。(例えばこちら)
さらに、この「綏靖天皇」には食人の趣味があったとまで書かれてあります。もしこれが本当だとしたら、彼が悪魔崇拝者であった可能性は俄然高くなります。
悪魔崇拝では、人肉を食べる決まりになっているようですからね。(詳しくは以下のリンクを御覧下さい。)
○現ローマ法王フランシスコに幼児虐待および人身売買のかどで有罪判決。
しかも、「綏靖天皇」が人を食べたという話はネットを検索すればいくらでも出てきます。例えば以下の記事など。
----------------(以下、こちらから転載)
これはいずれの帝の御時であったかというと人皇第二代の綏靖(すいぜい)天皇の御時である。
綏靖天皇と申す帝は、朝に夕に人を7人食らいなさったので臣下の嘆きはこれにつきた。「誰と誰が生き残れるだろう」
悲しいことに、それは誰にもわからない。この帝は長生きをしたので、多くの人民がその間に滅びてしまいはせぬか、と心配してある臣下がこの暴君を滅ぼそうと提議した。
「この帝を戴いていたら、国土は乱れ、人民の嘆きは絶えない。祖父の鵜羽葺不合尊(ウガヤフキアワセズノミコト。あるいは、ウガヤフキアエズノミコト)は836412年を治めなさった。
人皇の代となってから、世も末になったのは悲しいことですが、それでも神武天皇は120年を治められました。この帝も100年、200年、300年と御在世なさると思うが、その間、多くの人の命が失われるだろう。
『何月何日に火の雨が降る』と偽りの発表をして、諸国に使いを廻らしなさい。いま命の惜しいものは、岩屋を作ってその中に籠り、難を避けよ」と告げられた。
人々はみな心を迷わして、各々に岩屋を作り構えた。諸国に塚が多くあるのはこのときの岩屋である。都では、その日を定め、内裏の岩屋を作った。
「国王もその日が過ぎるまで、お入りになってください」と、公卿3人、殿上人2人、女房2人を付け参らせて、摩利の柱(未詳)を立て、下から人が上がろう
のも上がれないようにしてその中に収めた。その後はどうなったともわからない。悪王と善王とを引き換えてしまったのである。
(「熊野権現の事」『神道集』より)
----------------(転載ここまで)
この記事を見てみると、「綏靖天皇」は朝と夕に毎日7人の人間を食べていたとのことです。
これだけを読むと、一人の人間がそんなにたくさんの人肉を食べられるわけがないと思ってしまいますが、別に七人の体の肉を全て平らげたと書かれてあるわけではありません。
毎日朝と夕に七人ずつ人を殺して、その一部の肉を食べていただけかも知れません。それこそ、どこか特定の部位の味をことさら気に入って、その部分だけを食べていたのかも知れません。
こんなことを言うと、それこそ私の妄想だと思われそうですが、実際に人肉を食べてその味に惚れ込み、人肉を貪り食べるようになった日本人がこの世には実際に存在しています。
最近では「佐川政一」なんかが有名ですね。
○「パリで人肉を食った男」佐川一政【閲覧注意】 – NAVER まとめ
彼以外にも、人肉を食べたという日本人はたくさんいます。気味が悪いので、心臓の弱い方は閲覧は控えた方がいいかと思いますが、一応、証拠を示すためにリンクを貼っておきます。
○日本で起きたカニバリズム(食人)事件まとめ – NAVER まとめ
また、ウィキペディアにはこんなことが書かれてありました。
----------------(以下、ウィキペディアより転載)
随筆『新著聞集』では、江戸時代の元禄年間に増上寺の僧が、葬儀にあたって死者の剃髪をした際、誤って頭皮をわずかに削り、過ちを隠すためにそれを自分の
口に含んだところ、非常に美味に感じられ、以来、頻繁に墓地に出かけては墓を掘り起こして死肉を貪り食ったという話がある。
----------------(転載ここまで)
「増上寺」とはもともと「真言宗」のお寺です。要するに、「密教」のお寺ですね。
で、この密教から「チベット仏教」が作られたわけですが、「チベット仏教」では秘密の儀式の中で「人肉」を食べる決まりになっています。
○〈閲覧注意〉チベットは悪魔崇拝の聖地です。
ということは、「密教」のお坊さんもまた秘密の儀式の中で「人肉」を食べていた(食べている)可能性がとても高いわけで、その儀式を繰り返し行っているうちに、人肉の味に惚れ込み、墓を掘り起こしてまで死肉を貪り食うようになった可能性はなきにしもあらずです。
しかし、表向きはお坊さんが儀式の中で人肉を食べているわけがない、ということになっていますので、「葬儀にあたって死者の剃髪をした際、誤って頭皮をわ
ずかに削り、過ちを隠すためにそれを自分の口に含んだ」などと、後から苦し紛れの言い訳をこじつけたのではないでしょうか。
このように、日本の過去にはこのような事例が幾つもあります。なので、人肉の味に取り憑かれ、貪り食べるようになった人がいたとしてもおかしくはないのです。
ですから、「綏靖天皇」が人肉を毎日のように貪り食べていたという可能性もあながち否定できません。
もしかしたら彼もまた普段から悪魔崇拝を行い、「人肉」を繰り返し食べているうちに、特定の部位の味に惚れ込み、毎日朝と夕に七人ずつの人間を殺して食べなければ気が済まなくなったのかも知れません。
そもそも、悪魔崇拝でも行っていない限り、どうして天皇のような「権力者」が人肉を食べるようになったのか、全く説明がつけられません。
一体、他にどんな理由があって、人肉を食べるようになったというのでしょうか。古代の人たちは当たり前のように人肉を食べていたとでもいうのでしょうか。
まさかのまさか。食べる物に事欠いて、飢えを凌ぐために人肉を食べたというのならまだ分かりますが、天皇のような「権力者」が食べ物に事欠くはずもなく、禁忌とされている人肉を何の理由もなく食べるわけがありません。
どこからどう考えても、悪魔崇拝を行っているうちに人肉に取り憑かれるようになったとしか考えようがありません。それ以外に何か思いあたる理由があるでしょうか。
ですから、GHQが「欠史八代」の記録を消したというのも実は真っ赤な嘘なのかも知れません。実際のところは、天皇家が自ら消してしまったのかも知れません。
二代目の天皇が人肉を食べていたなどという話が世間に広く知れ渡ったら、それこそ天皇家としてはかなり分が悪いですからね。
で、「欠史八代」は存在していなかった、などという説まで世間に流して、「綏靖天皇」にまつわる逸話さえも全てデタラメだと我々に思わせようとしているのではないでしょうか。
ということで、今日は天皇と悪魔崇拝の関係について、「人肉食」の観点から考察してみました。
気味の悪い話で大変失礼いたしました。
ちなみに、「古事記」「日本書紀」がどれほど原型を留めておらず、どれほど多くの箇所が削除されてしまっているのかについては、以下のリンクに詳しく書かれてあります。
○古事記・日本書紀の謎-その5-
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