記事入力 : 2013/09/19 09:12
東京五輪招致、音頭取ったのは石原慎太郎氏
2016年五輪候補都市に名乗り、
「アジアとの団結」訴えた福岡を破る
福岡側の応援演説を行った在日韓国人教授に暴言
石原氏の夢を安倍首相が受け継ぐ
2006年8月30日に東京プリンスホテルで行われた、日本オリンピック委員会(JOC)の国内候補地選定委員会は、東京オリンピック構想の「誕生秘話」といえるものだ。当時、2016年夏季五輪の国内候補都市として東京と福岡が名乗りを上げ、一本化を図るため、プレゼンテーションと選定委員による投票が行われた。だが、このプレゼンテーションは、単に両都市が長所をアピールするだけの単なるプレゼンテーションではなかった。東京が掲げた「日本の栄光」と、福岡が掲げた「アジアの団結」。両都市のスローガンを拡大解釈すると、「過去志向」と「未来志向」という、国家としての二つの進路が五輪をめぐってぶつかり合う大接戦となった。
両都市からはそれぞれ6人がスピーチを行った。最後のプレゼンテーションは票の流れに影響を与える最後の機会だけに、トップクラスの人物がスピーチを行うのが普通だ。東京側の人選は、プロ野球のスター選手や有名なコメディアンなど、オーソドックスなものだった。これに対し、福岡側のプレゼンテーションは異例なものだった。4番目と5番目に登壇したのが韓国人だったのだ。在日韓国人2世で東京大学教授(当時)の姜尚中(カン・サンジュン)氏(現・聖学院大学学長)と、ソウル市のハンヨン外国語高校2年生の崔多慧(チェ・タヘ)さんだ。
このような演出は、福岡が掲げた「アジアの団結」と関係があった。日本の西部・九州で最大の都市である福岡は、日本の大都市の中で韓国や中国に最も近く、とりわけ韓国の支援を受けた五輪を通じ「アジアの中の日本」という時代を早く実現させるという目標を掲げた。プレゼンテーションに登場した姜教授や崔さんは、このような目標の象徴としてふさわしかったのだ。
一方、福岡と争った東京の五輪開催計画は、骨の髄まで国粋主義者の石原慎太郎・東京都知事(当時)によって、白紙の状態で突然提唱されたものだった。2005年9月20日、石原氏が五輪招致を宣言した際に掲げた理由は「日本を覆う閉塞(へいそく)感を打ち破り、(1964年の)東京五輪の栄光を再現するため」というものだった。
日本の高度成長期だった1964年に開催された東京五輪は、戦後日本の復興を象徴する大会となった。一方、石原氏が東京五輪招致を宣言した2005年は、経済の低迷や、小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝によって、日本の経済や外交面での孤立が深刻化していた。このような孤立を、福岡は「アジアの団結」によって、東京は「過去の再現」を通じて打破しようとした。東京の五輪招致の趣旨は最初から「過去への回帰」だったというわけだ。
■「東京五輪は石原氏の花火」
福岡側のプレゼンに登場した姜尚中教授が強く批判したのは、東京オリンピック構想の過去志向的な性格だった。「1964年の東京オリンピックをもう一度やるというのですか。理想のないオリンピック構想で、世界の人々を説得できると思うのですか」。姜教授はさらに、東京オリンピック構想に対し「金持ちの、金持ちによる、金持ちのためのオリンピックになるだろう」と攻撃した。
結局、福岡は巨大都市・東京の資金力に押され、33対22で敗れた。福岡のプレゼンテーションは印象的だったが、形勢を覆すことはできず、票差を縮めるにとどまった。産経新聞は「東京の財政力が福岡の人間力に勝った」と評した。福岡の勝利、つまり石原氏を敗北させるため、各界の関係者たちが手を組んだが、東京の資金力に打ち勝つことができなかったというわけだ。その数年後、福岡に代わって2020年の五輪招致に名乗りを上げた、原爆の被爆地でもある広島もまた、当時は福岡招致を支援した。
東京が五輪の国内候補都市に決まるや、石原氏は本性を現した。福岡側の応援演説をした姜尚中教授に対し、記者たちの前で「生意気なやつだ」「怪しい外国人」などと悪口を浴びせた。当時、九州出身の自民党の国会議員だった山崎拓氏が「(石原氏の)代わりに謝罪する」というほど、公の場では到底あり得ない暴言だった。東京オリンピック構想は国粋主義者の石原氏による暴言とともに誕生したというわけだ。その石原氏は、2008年の北京五輪について「ヒトラーによるベルリン五輪(1936年)と似たようなものだ」と非難した。このため、朝日新聞系の週刊誌「AERA」は当時、東京オリンピック構想を「石原知事の花火」と表現した。
■消えた火を再び付けた石原氏
2016年の夏季五輪招致に向けた東京の取り組みは、09年10月2日の国際オリンピック委員会(IOC)総会での投票でブラジル・リオデジャネイロに敗れたことにより、水の泡と化した。日本の都市が夏季五輪招致合戦に敗れたのは、名古屋がソウルに敗れた1988年大会、大阪が北京に敗れた2008年大会に続き3回目となる。だが、石原氏は諦めなかった。
このとき、石原氏率いる東京に対抗すべく、広島が五輪招致に名乗りを上げた。広島は第2次大戦末期、長崎と共に米軍による原子爆弾投下で焦土と化した都市だ。日本にとって戦後最大の友好国となった米国の了解さえ得られれば「平和と復興」という未来志向的な精神を前面に出し、世界の国々を説得できたはずだった。ところが、2011年3月11日に発生した東日本巨大地震と、その直後の4月12日に行われた統一地方選挙が流れを変えた。大地震によって日本経済が打撃を被った中、五輪を招致できるだけの資金力を持つ都市はほとんどなかった。広島もそうだった。東京都知事選挙では石原氏が4選を果たしたが、広島市長選挙では五輪招致に反対する候補者が勝利した。広島市は市長選挙の2日後、五輪招致の撤回を表明した。これにより、石原氏率いる東京は戦わずして、2020年夏季オリンピックの候補都市に選ばれた。
2016年夏季五輪の招致合戦で、国民的な支持を得られず敗北した石原氏は、今度はまず東日本巨大地震の被災地から支持を取り付けた。ロンドン五輪直後の昨年8月20日には、東京都心でメダリストたちによるパレードを開催し、予想を上回る50万人もの観客を集め大成功を収めた。このパレードは東京五輪招致に向けた国民的な期待を大幅に高める上で大きく貢献した。
運も味方した。石原氏は昨年、東京都知事を任期途中で辞職し、野党・日本維新の会を率いて国政に進出したが、06年に石原氏のオリンピック構想を支援した安倍晋三官房長官(当時)が、昨年12月16日の衆議院議員総選挙で自民党を率いて政権を獲得し、2度目の首相の座に就いた。
安倍首相は今年1月8日、「東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会」の最高顧問に就任し、五輪招致を政府レベルの課題に掲げた。「国粋主義者」の石原氏が提唱したオリンピック構想を「保守主義者」の安倍首相が継承したというわけだ。ちなみに、安倍首相の母方の祖父であり、政治的な師匠である岸信介氏も、1964年の東京五輪招致に首相として臨み、招致委員会の最高顧問を務めた。
郭彰烈(クァク・チャンリョル)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
まだ、韓国人泣き叫んでるのか?www
愉快愉快www