키무라 기자 칼럼이대호가 통과한 범상하지 않는 시간
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木村 記者コラム 李大浩が通り過ぎた常凡ではない時間
李大浩の世界記録樹立を耳にしたとき、まず私の脳裏に浮かんだのは「その期間、彼はどんな心境で時間を過ごしていたのだろう」ということだった。試合中ではない。それ以外の時間でのことだ。例えば本拠地である釜山なら、自宅に戻った夜。遠征先ならホテルで。どんな気持ちでベッドに入り、どんなことを思って眠りに就いていたのか……。
試しにあなたが李大浩になったつもりで想像してみて欲しい。テレビで見ているのではなく、スタンドにいるのではなく、あのカクテルライトに照らされた打席に、あなたが立っているとしたら。
打者には、いかなる試合でも多くて5、6打席程度しか与えられていない。投げてくる球も無限ではない。最低で3球。ましてや4強入りを争っているチーム相手なら、易しい球など投げてくれるはずもない。彼がいかに優れた打者とはいえ、ボールをスタンドにまで運べる高さ、コースは限られているのだ。そしてすべての打席、すべての投球にスポーツマスコミとスタンドの観衆が注目している。それらがすべて呪縛となり、自らの肩にのし掛かってくる。いずれをとっても「尋常な時間」ではない。並みの選手なら、想像するだけで眠ることなどできないだろう。「もし打てなかったら……」そんなマイナス思考が働いて、食事さえのどを通るかどうか。
勿論、肝心の試合でも筋肉は硬直し、本来のスイングなど出来ると思う方が不思議だ。これがヒットならまだ……いやいや、ヒットでもおそらくは同じ重圧に苛まれることだろう。通算のホームラン記録なら、今日打てなくても、次の試合にチャンスは残る。しかし連続試合では、その余地も許されない。
にもかかわらず、李大浩はやってのけた。
私は李大浩という選手が、どんな性格の人物かは詳しくない。また、前述のような想像は、あくまでも日本人の考え、発想でもある。だから代弁するような表現をすることも出来ない。それでも、異国人が見ても明らかだったのは、彼の打席での「間」の良さだった。
打席に入り、構える。投手が投げてくる。その瞬間、打者はバットを繰り出す直前に、タイミングを取るため0コンマの「間」を取る。これはいかなる打者にも共通した動作だ。もともと、李大浩はこの間の取り方に優れた打者ではあった。そのためストレートに差し込まれることなく、タイミングを外してくる変化球にも対応できた。今季、その間が例年になく安定してきていたことは聞いていたが、それがこの「尋常ではない期間」でさえ、決して狂っていなかったのだ。それだけを取っても、彼が並外れた精神力を持っている選手であると想像できる。
ホームランはまぐれでは打てない。投球に対するタイミングと、高さやコースにバットをピッタリと合わせる対応力、そしてスイングスピード。この3点が一致しなければ、打球は飛ばない。つけ加えるなら、打球をライナーではなく上げるため、ボールの下三分の一の部分にバットを出せる動体視力(というより、反射能力といった方が正しいと思うが)。パワーを挙げる人もいるが、パワーはその次、「あるに越したことはない利点」に過ぎないというのが日本での定説だ。
おそらくは、李大浩の9本のホームランは、その集大成と言ってもいい。そしてその積み重ねが、世界記録を樹立したのだ。
ただ李大浩の素晴らしい記録も、他国には素直に通じないという現実もある。「球場の広さが違う」「対する投手のレベルが違う」など、悲しいかな「異見」がまかり通っているのが野球というものの宿命だ。かつて王貞治が生涯最多ホームランの世界記録を作ったときも、アメリカでは正当な評価をしないメディアや関係者が少なくなかった。事実、日本での李大浩報道も、事実を簡潔に伝えているだけというのが多い。
そんな報道を見て、私は素朴にこんなことを思った。
「李大浩選手、悔しいかい?」
そして、こう思った。
「もし悔しいと感じるなら、日本でもアメリカでもいい。やって来て無理解な奴らの前で、10試合連続ホームランを見せつけてやれ!」と。
今のバッティングなら、間違いなく海外でも十分な成績を残せるはずだ。それはプロ野球経験のないスポーツ記者の思い込みだけではない。おそらくは日本の12球団、そしてメジャーも、この尋常ではない時間のスイングを見ている限りは、同じ結論に至っているだろう。
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