死ぬ瞬間にあなたの心に浮かび上がってくるものは、たった二つしかありません。その一つが、人生で起きた波風です。もう一つは喜びの瞬間、あなたが満たされた瞬間です。満たされた瞬間は、ほとんどの人の場合、あまりにも少なすぎます。「いい成績をとれば愛してあげる」とか、「いい大学に入れば愛してあげる」とか、「高校を卒業できたら誇りに思うよ」とか「『息子は医者』って言えたらどんなに鼻が高いだろう」などと言わなかった人、無条件に愛してくれた人と心がつながった時の記憶、それが満たされた瞬間です。この「何かをすれば」という言葉は、原爆以上に多くの生命を消し去ってきました。ゆっくりじわじわと死んでいくプロセスです。「愛しているよ、何々をすれば」という条件つきの愛で育った人は、死ぬまで愛を買おうとするからです。でも愛を手に入れることは絶対にできません。どんな形であれ、愛は買うことができないのですから。
中略
私の夢は、AIDSにかかっている三歳児の収容施設を始めることです。でも、それでは問題の解決になりません。ここ六か月ほどで私が学んだ最大の教訓は、AIDSに対する自分自身の恐怖を超えて、AIDSのワークショップを開くことでした。
痛みと苦しみと悲劇の渦中にいる三十五人の若い男性。みんなAIDSの様々な段階にいる人たちでしたが、その中の一人が完全に光り輝いていたのです。表面的にではなくて、心の底から光り輝いていたのです。私はワークショップが終わってから聞いてみました。「どうやってそんなに光り輝いていられるの?」って。すると、その人は、このひどい病気にかかって、はじめて無条件の愛がどういうものかをやっと知ることができたというのです。彼はとても懲罰的で、批判的なアメリカ南部のキリスト教ファンダメンタリストの家庭に生まれ、家族は彼のライフスタイルに物凄く反対していたと話してくれました。彼は家族を責めていたし、家族も彼を責めていました。家を出る時にはいいこと一ついえる状態ではありませんでした。
家を出た後も彼はますます酷くなり、ついには、若くしてサンフランシスコ市立病院でAIDSで死にかかるはめになりました。だけど最後に、彼は人間みんなが最後にすることをしたのです。何の違いもありません。生きていく下準備となる自分の人生で起きた波風、その波風のことを思い出しました。彼の人生にも波風はたくさんありました。父親が時間を割いて、彼を釣りに連れて行ってくれた時のこと。母親にお尻を叩かれそうになった時、おばあちゃんが静かに抱き上げてくれた時のこと。こういうことが人生の満たされた瞬間なのです。彼は突然気がつきました。自分の人生にも満たされた瞬間がたくさんあったことを。
そして、すでに時間の問題となっていましたが、死ぬ前に週末の帰宅許可がもらえないかと担当医に頼んでみました。どうしたことか、その医者には帰宅許可を出すだけの勇気があったのです。青年は何年も会ってないノース・カロライナの両親に電話をかけて言いました。「おかあさん、ぼくガンで死にそうなんだ」(これが唯一のウソでした)「うちに帰って“さよなら”が言いたいんだ」。母親はヒステリーを起こしませんでした。とても落ち着いて「最後にもう一度会えるの、たのしみにしてるわ」と言ったのです。
それから彼は話してくれました。野原を横切って、素晴らしい縁側にあるログ・キャビンに向かった様子。まず、お母さんが縁側に出てきて、少し後ろからお父さんが出てきました(いつも少し後ろなんだ)。お母さんは昔と同じエプロンをかけ、両腕をひろげて彼のほうに近づいてきました。そこで彼は恐怖に震えました。「どうしよう。頬のアバタ、紫色の鼻、この拒絶反応を起こしそうな醜い顔を見ると、お母さんは立ち止まり、僕に触ることができないかもしれない」。
でも、青年はさまざまな人生の波風を通して、人生を脅威としてではなく、チャレンジとして受け止めることを知っていました。彼は母親に歩み寄り、母親も彼に歩み寄りました。彼女は息子を抱きしめ、頬を擦り寄せながら耳もとで囁きました。「あなたがAIDSなのは知ってるのよ。大丈夫よ」。