ボーナス、退職金認めず 格差「不合理でない」―非正規訴訟判決・最高裁 より
正社員と非正規社員の待遇格差をめぐり、ボーナスや退職金支給の是非が争われた2件の訴訟の判決が13日、最高裁第3小法廷であった。同小法廷は一部支払いを命じた二審判決を変更し、いずれも支給を認めない判断をした。
「同一労働同一賃金」を定めた働き方改革関連法が4月に一部で施行されて以降、初の最高裁判決。企業などの給与制度の在り方に一定の影響を与えそうだ。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020101300528&g=soc
AIなどの技術革新などの大きな流れの中では従来の正社員というものは必要なくなっていく。労働市場全般を俯瞰すれば非正規社員というもので十分なのだ。
まぁこれって春原の見立てな。要するに労働市場における非正規社員の割合は今後も増えていくのだ。
今回の判決はその非正規社員のモチベーションを下げる判決。彼らのやる気を萎えさせてしまうのは政府としてもよろしくない。
で、このニュースだ。
加藤官房長官「同一賃金を推進」
アルバイト職員に対するボーナス支給を認めないとした最高裁判決について、加藤勝信官房長官は13日の記者会見で「民と民の訴訟にかかる判決だ。賞与についてはいろいろな形態、性格、趣旨がある」と述べ、論評を避けた。その上で「政府としては引き続き、同一労働同一賃金の実現に向けた取り組みを進めていきたい」と語った。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020101300777&g=soc
ここからが本題。
「同一労働同一賃金」というのは
賃金は労働の対価として支払われるべきもの
というのが前提になっている考えだと思うのだがそもそもこれって正しいのか。
例えば春原は深夜勤のバイト、だ。
同じ時間帯には同じ職場で働いている正社員もいる。仕事の内容は違うが彼らの職務内容がバイトよりも高度で高賃金にふさわしいというほどのものだとは思えない。
同じようなことは多くの職場でもあるのではないかな。
仕事の中身がそう違わないのに待遇に差がある場合、な。
春原はこれ言うほど「不合理な制度」とは思わないんだよな。
勿論長年「こういうもんだ」という風土の中で過ごしてきた、という事情もあるのだろうけれど春原は基本的には元々「賃金は労働の対価として支払われるるべきもの」と考えていないんだよな。
賃金って基本的には責任の対価なんだと思う。
低賃金の者は仕事っぷりが無責任で良い、と言っているのではない。
だが高い賃金を貰っている者はそれだけ高い次元の責任を求められる、ということな。
不満がある、とすればこの高待遇労働者がそれに見合った責任を果たしていない(ように感じる)ことへの不満、なんじゃないかな。
勿論「同一労働」には既に「職務上の責任」という概念は内包されているのだろう。しかしそれが広く浸透しているとは思えない。
待遇に見合った責任、という合理性を失うと韓国や中国のような社会になってしまうんじゃないかな。
春原はそっちが心配。
閑話休題
冒頭
AIなどの技術革新などの大きな流れの中では従来の正社員というものは必要なくなっていく。
とサラっと書いたがこの見立てが正しいとして春原はこの流れがそれほど悪いものだとは思っていない。
この流れが進む過程において格差は広がっていくだろうが進めば進むほど富裕層の絶対数自体が小さくなっていく。極端な金持ちというのも居なくなるけど暮らせないほど貧乏という人も少なくなるのだ。富が平準化されれば人同士の争いも減る。
争いに向けるエネルギーを自分の趣味に向ければ今よりずっと楽しく暮らせる社会になるだろう。
まぁ春原はテクノロジーの進化についてかなり楽観的に考えている、というのもあるんだろうけどな。