参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
以下、基本的に、2012年の10月の中旬に行った投稿の再掲で(投稿文は、2012年の10月の中旬の投稿を前提としています)、2012年の10月の上旬に、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)と、東京の北西部近郊の、高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)に、彼岸花を見に行って来た時(以下、この日と書きます)の物です。ちなみに、私も彼女も、今も、痩せの大食い体質ですが(大食いと言っても、標準よりも、若干(ほんの、少しだけ)、多く食べる程度です)、この時の方が、食欲旺盛でした(よく食べていました)。
ちなみに、当時、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)と付き合い始めの頃で、彼女は、まだ10代の大学生で、私も、まだ、30代の半ばの終わり頃でしたが、私は、20代の初めまでは、実年齢よりも上に見られ、20代の後半頃からは、実年齢よりも、下に見られるようになり、それが、今も続いている事もあって、当時から、傍から見て、特に違和感のあるcoupleに見られませんでした。ちなみに、下で、「この日、新宿に帰って来た後、新宿のバー(bar)で、ちょっと飲んでから、タクシー(taxi)で我が家に帰りました」とありますが、(彼女は、この時、まだ、未成年でしたが)、彼女は、この時、バー(bar)で、お酒(アルコール
(alcoholic)飲料)以外の飲み物を飲みました(ちなみに、彼女は、そもそも、お酒が体質的に弱いので、今でも、基本的に、外では(外食時には)、お酒は、飲みません)。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、両親とも、酒に強くて酒飲みでw、遺伝により、酒は強いです(私は、酒が強く、酒をいくら飲んでも、顔色が、全く、変わらないタイプです)。酒は、基本、どんなに飲んでも酒に飲まれる事はありませんw
それは、ウイスキーをストレートでボトル1本を超えて、比較的短時間で飲めば、時間差で後から腰は抜けますが(学生の頃の話w)、どんなに飲んでも、性格は、普段よりも陽気で上機嫌になる位で、大きくは変わりません。
日本酒、ワイン、ウイスキー、ビール、焼酎なんでも行けますが、私は、お酒の飲み方は、本来的には、ウイスキーの様な、濃いお酒を、ロックで、チビリチビリと飲むのが好きです。
ちなみに、彼女は、お酒が弱いです。」
以下、「以下の(すぐ下でリンクを付けた)投稿の続きです。」と言う文までは、前回の投稿と重複します。
高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)は、飯能(hannou)(東京の北西部近郊(東京都心部から遠い、東京の北西部郊外。埼玉(saitama)県(東京圏の北部に位置する県)の、南端部の中西部)に位置する、人口8万人程の小都市)の、北部近郊に位置する地域です。高麗(koma)郷は、高句麗(Goguryeo。紀元前37年から668年)が滅亡した際に、日本に移住して来た、(おそらく、高句麗(Goguryeo)の上流階級に属していた)人々が、朝廷(日本の中央政府)の命令により、この地に、716年に移住し、(当時の、高句麗(Goguryeo)の進んだ技術により)開拓した地域です。高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)には、高麗(koma)神社(shrine)があります。高麗(koma)神社(shrine)は、高麗(koma)郷の開拓で指導的な役割を果たした高句麗(Goguryeo)人、高麗
若光(komano jyako)を祀る為に、高麗(goryeo)郷の、高句麗(Goguryeo)系の人々が、高麗 若光(komano
jyako)が亡くなった後に、創建した、神道(Shinto)の神社(shrine)です。高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)の人々(高句麗(Goguryeo)からの移民の子孫)は、祖先が日本に移住してから、1300年以上も経ち、既に、完全に、「日本人」となっていますが、現在でも、高句麗(Goguryeo)からの移民の子孫である事を誇りに思い、また、祖先の母国である、韓国に対し、通常の日本人よりも、親しみを感じている様です。
この日、高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)には、通勤電車(電車)を利用して行きました。行きは、新宿で、西武(seibu)新宿線(西武(seibu)鉄道(下の補足説明を参照)の、通勤電車(電車)路線の一つ)に乗り換えて、さらに、所沢(tokorozawa)駅で、西武(seibu)池袋(ikebukuro)線(西武(seibu)鉄道の、通勤電車(電車)路線の一つ)に乗り換えて、行きました。
西武(seibu)鉄道:東京圏の9つの、大手(大規模)私営鉄道会社(ちなみに、これには、JR東日本(元、日本国有鉄道)は、含まれていません)の一つで、東京の都心部と、東京の、北西部郊外・北西部近郊を結ぶ、通勤電車(電車)路線・近郊電車路線を運営する、私営鉄道会社(1894年に最初の路線が開業)。保有(運営)する路線の、総距離は、179.8km。
以下、以下の(すぐ下でリンクを付けた)投稿の続きです。西武(seibu)鉄道及び、高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)に関しては、以下の(すぐ下でリンクを付けた)投稿を参照して下さい。
高麗(goryeo)郷他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/4050914?&sfl=membername&stx=nnemon2
写真以下36枚。高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)の、巾着田の、彼岸花。高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)には、今まで、結構、彼岸花を見に訪れており、高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)に、彼岸花を見に訪れたのは、今回で、4回目でした(何れも、女性と2人での、デート(date)で訪れています)。元々、高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)の、この地(巾着田)には、彼岸花が自生していたのですが、(おそらく)、地元の人々が整備し、これだけ、彼岸花を増やしました(これだけの、彼岸花の花園にしました)。




































写真以下2枚。彼岸花の開花期間中に出る、彼岸花の花園周辺の、簡易店舗(屋台の様な物)で、おやつを買って食べました。

この時、飲んだ飲み物の一つ、高麗(koma)神社(shrine・jinjya・ginjya)エール(ale)。ジンジャーエール(ginger ale)製品です。韓国の方には、分かり難いと思いますが、商品名は、神社(shrine)(日本語で、jinjya・ginjyaと言います)と、ジンジャーエール(ginger ale)の、ジンジャー(ginger)を掛けた、「jinjya・ginjya ale」となっています。

この時、食べた食べ物の一つ。味噌付き、焼き饅頭。中に、甘い、小豆の餡が入っていました。
高麗(koma)駅周辺には、あまり飲食店がないので、この日の夕食は、高麗(koma)駅から、東京都心部への帰りの方面に、電車で、一駅移動し、(高麗(koma)駅周辺よりかは、飲食店があるであろう)、高麗(koma)駅の隣駅の、東飯能(東hannou)駅周辺で食べました(東飯能(東hannou)駅では、今まで電車を降りた事がなかったので、ちょっと降りて見ようと言う事で、降りてみました)。
写真以下12枚。この日の夕食は、東飯能(東hannou)駅周辺で、適当に目に付いた、お好み焼き(okonomiyaki)食堂で食べました。お好み焼き(okonomiyaki)は、小麦粉を生地とした食べ物で、日本の代表的な大衆食の一つです。韓国のjeon・buchimgae(日本では、チジミと呼ばれている)に近い食べ物ですが、jeon・buchimgaeよりも、一般的に、具が多く、生地も厚いです。また、jeon・buchimgaeは、おそらく、韓国では、居酒屋の、おつまみとして、又は、付け合せ(side
dish)として、食べられる事が、一般的だと思いますが、お好み焼き(okonomiyaki)は、(ビール等を飲みながら食べられる事が、一般的であるものの)一般的に、食事として食べられます(したがって、日本には、お好み焼き(okonomiyaki)を専門とする、お好み焼き(okonomiyaki)食堂が、たくさん有ります)。お好み焼き(okonomiyaki)は、日本料理の中では、安い食べ物の位置にあります(韓国料理における粉食(プンシク・ブンシク)の地位に近い感じ?。。。もっとも、お好み焼き(okonomiyaki)食堂が、居酒屋代りに使われる事もある等、韓国料理における粉食(プンシク・ブンシク)の位置とも、若干違う点も有る?と思いますが。。。)。
お好み焼き(okonomiyaki)食堂は、テーブル(table)の上の鉄板で、客が、自分で、お好み焼き(okonomiyaki)等を、好きな加減に焼く(調理する)形式の店と、店員が、お好み焼き(okonomiyaki)等を焼く形式の店に分かれますが、この店は、客が、自分で、お好み焼き(okonomiyaki)等を、好きな加減に焼く(調理する)形式の店でした。

この、お好み焼き(okonomiyaki)食堂で、この時、私が飲んだ飲み物の一つ。Jinroのマッコリ(makgeolli)。この他、この時、私は、飲み物は、ビールを飲みました。
写真以下11枚。この時、この、お好み焼き(okonomiyaki)食堂で食べた物。全て、二人で分けて食べました。この店の、お好み焼き(okonomiyaki)は、一個の、大きさが、小さ目だったので、結構、たくさん食べてしまいました。

豚肉、魚介類(seafood)等、色々な具が入った、お好み焼き(okonomiyaki)(調理前)。

手前、豚肉、魚介類(seafood)等、色々な具が入った、お好み焼き(okonomiyaki)(調理中)。奥、牛スジ(牛の、アキレス腱(Achilles tendon)の部分及び、その周辺の肉)お好み焼き(okonomiyaki)(調理中)。奥の、牛スジ(牛の、アキレス腱(Achilles tendon)の部分及び、その周辺の肉)お好み焼き(okonomiyaki)は、彼女が、ハートの形に作って焼いて、丁度、ひっくり返すと、私から見て、ハートの形になるようにしたのですが、あまり、ハートに見えないかな?w

餅・チーズ(cheese)・明太子(唐辛子を使用して味を付けた、鱈の卵。日本で、よく食べられていますが、韓国から来た食べ物かな。。。)、もんじゃ焼き(monjyayaki)(調理前)。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)で、古くから食べられている、庶民的な食べ物です。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、「小麦粉を溶かす水の量がお好み焼き(okonomiyaki)に比べてはるかに多く、汁にソース(sauce)などの調味料を一緒に混ぜ込んでしまうのが特徴」です(「」内、wikiより抜粋)。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、日本全国で、広く一般的に食べられている食べ物では無く、日本の極一部の限られた地域で、よく食べられてきた食べ物で、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)等で、よく食べられて来た食べ物ですが(かつては、同じ東京でも、山の手(yamanote。新市街。東京中心部(東京23区)の西部)や郊外では、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、基本的に、一般的ではありませんでした)、現在は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)以外にも、広まりつつあります。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、特に、第2次世界大戦後、間も無くから1960年代半ば頃までの間(戦後の、日本が、貧しかった時代から経済復興期の間)、だがし(ここだけ漢字で書くとkjのバグにより投稿文の全てが翻訳されなくなる様なので平仮名で書きます)(dagashi)屋(下の説明参照)で、提供される、おやつとして、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)の庶民の子供達の間で、とても、よく食べられていました。
駄菓子(dagashi)屋:庶民の子供達でも、気軽に買えるようにと、cheapな材料で作られ、cheapな値段で販売され、第2次世界大戦前から1970年代において、日本の庶民の子供達の間で、よく食べられていた、子供向けの菓子(駄菓子・dagashi)を売る店。1950年代から1960年代半ば位の時期には、日本には、駄菓子(dagashi)屋が、無数に存在していた様ですが、日本の庶民の購買力が上昇した事、アメリカ式のマートが急速に普及した事等から、そうしたマートで販売される、大規模な菓子会社の種類豊富な、より質の高い菓子に、駄菓子(dagashi)は、圧倒され、駄菓子(dagashi)及び、駄菓子(dagashi)を販売する駄菓子(dagashi)屋は、徐々に衰退して行きました。駄菓子(dagashi)屋の衰退と共に、子供達の、おやつとしての、もんじゃ焼き(monjyayaki)は衰退しましたが、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)では、現在でも、根強い人気の大衆食として、飲食店(お好み焼き(okonomiyaki)食堂・もんじゃ焼き(monjyayaki)食堂)で、よく食べられていますし、現在は、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)以外にも、広まりつつあります。

餅・チーズ(cheese)・明太子、もんじゃ焼き(monjyayaki)(調理中)。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、具だけを鉄板で炒める→具で、ドーナツ(doughnut)型の土手(堤防)を作る→具で作った土手(堤防)の内側に、汁を流し込む→ある程度固まって来たら、具と汁を混ぜ合わす(上の写真は、この状態の物)→もんじゃ焼き(monjyayaki)専用の小さな金属製のヘラ(spatula)を使って、お焦げを味わいながら、外側から食べて行く、と言う様に食べます。ちなみに、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、見掛けが、(酒を飲み過ぎた時等に)人間の体から出る、ある物に似ている為、日本で、見掛けが悪い食べ物として、よく馬鹿にされる(冗談に使われる)食べ物ですw。

鶏肉の焼き物(調理前)。
写真以下3枚。豚肉、広島(hiroshima)風(広島(hiroshima)式)、お好み焼き(okonomiyaki)(調理前)。広島(hiroshima)風(広島(hiroshima)式)、お好み焼き(okonomiyaki)は、中に、焼き蕎麦等が入っている事等が特徴です。



写真右側は、生地。

豚肉、お好み焼き(okonomiyaki)(調理前)。

豚肉、お好み焼き(okonomiyaki)(完成)。

牛肉の焼き物(調理中)。
帰りは、行きと逆で、所沢(tokorozawa)駅で、西武(seibu)池袋(ikebukuro)線から、西武(seibu)新宿線に乗り換えて、西武(seibu)新宿駅に戻って来ました。

西武(seibu)新宿駅にて。。。写真に写っているのは、特急(express)、「小江戸(koedo)」。西武(seibu)新宿線の、特急料金(特別料金)が必要な、特急(express)で、東京の都心(新宿)と川越(kawagoe)(東京の北西部郊外最大の繁華街となっていると共に、旧市街は、古い建物が多く残り、趣のある街並となっている事から、東京郊外(東京圏)の主要な観光地の一つとなっている)を結んでいます。観光客だけでなく、ビジネス(商用)、通勤で利用する人々も、非常に多い特急(express)です(観光客よりも、むしろ、通勤客が、主な利用客となっている特急(express)です)。
この日、新宿に帰って来た後、新宿のバー(bar)で、ちょっと飲んでから、タクシー(taxi)で我が家に帰りました(新宿から、我が家は、近いので、タクシー(taxi)でも、あまり金がかかりません)。