
「仲村家住宅」は興正寺別院の南に進んだ場所にあり、旧杉山家と同じく酒造業を営んだ名家である。

興正寺別院の北側にある「杉田家住宅」は、油屋を経営していた。
それ以外にも、材木商の越井家、奥谷家、味醂を作っていたという佐藤家、
木綿屋の田守家、木口家、樽屋・油屋の杉田家、煙草屋の葛原家などが現存する。
妙法院から「六波羅蜜寺」まで走ってきた。
六波羅蜜寺は、空也上人の創建と伝えられるお寺で、平家一門との関わりが深い。
平安時代末期には、この周辺は平家一門の家が5000棟以上存在したという。
平家滅亡後は民衆の支持を得て、江戸時代まで巨大伽藍を誇ったが、明治の廃仏毀釈で
伽藍は大幅に縮小し、現在は街のどこにでもありそうな小さなお寺といった感じになっている。
ここからもう少し北側には、以前に行った「建仁寺」がある。
京都に4年間住んでいたものの、この辺りは無攻略地帯で、この寺は初めての訪問となった。
![]()
正面にあるのは「弁財天堂」、都七福神の一人である六波羅弁財天が祀られている。

「本堂」は1363年の再建で、重要文化財。
桁行7間・梁行6間の和様七間堂。
室町時代初期の建築だが、板戸はかなり古風な感じである。
向拝部分に極彩色模様を施している。
本堂の外陣の様子。蔀戸が立派でした。
内陣には、12年に1度(辰年)しか公開されないという秘仏「十一面観音立像」(国宝)が安置される。
平安時代の作品で、高さ約2.6mに達する大きな一木造の秘仏という。
本堂の側面から宝物館へと通路が繋がっている。
「宝物館」は、拝観料600円。
「木造・空也上人立像」(重要文化財)が、入って左奥にある。
鎌倉時代の作品で、運慶の四男・康勝の制作。
教科書に出てくるので、日本人にとっては馴染みが深い木像。
実際に見ても、その出来は素晴らしいの一言。これが国宝でないのが不思議だ。

「木造・平清盛坐像」にも会えました。これも鎌倉時代の作品で、重要文化財。
それ以外の像は、こちらを見て下され。
http://www.rokuhara.or.jp/icp/
運慶・湛慶坐像(重要文化財)は、湛慶自身が作ったとされる。
湛慶は自分の像を作ったのである。
運慶坐像と視線を合わせてみたが、こちらの心の中を見通されてるような感じを受けた。
一方、湛慶坐像は視線を合わせてくれないw
ややうつむき加減で、こちらもしゃがんだのだが、なぜか視線が合わないのだ。
因みに、湛慶の代表作の1つは、三十三間堂の本尊「千手観音像」である。
三十三間堂には、湛慶の作品が多い。
四天王像(重要文化財)は、増長天以外は平安時代の作品で、空也が作ったとされる。
170cmほどの一木造の像で、中々見応えがあった。
増長天だけは鎌倉時代の作品で、寄木造。
ここの四天王像はみな、邪鬼を踏みつけていない。
それ以外にも、見応えのある作品(ほとんど重要文化財)が多い。
六波羅蜜寺は、小さくても中身の濃いお寺であった。
おしまい。