夏目
漱石(natsume
souseki)(1867年生まれ、1916年に亡くなる)は、1900年代中期から1910年代中期にかけて(1916年に、病気により49歳で亡くなる近くまで)活躍していた、日本の小説家で、近代の日本を(近代の、日本の文学を)、代表する小説家の一人です。
夏目 漱石(natsume souseki)の、「それから」(1909年の、日本の小説)は、夏目 漱石(natsume souseki)の前期における、代表的な作品の一つとなっています。
「それから」(1909年の、日本の小説)は、個人的に、読んでいます。
「それから」(1985年の日本の映画)は、夏目 漱石(natsume souseki)の、「それから」(1909年の、日本の小説)を原作とした映画です。
松田
優作(matsuda
yusaku)(1949年生まれ。1989年に、病気(癌)により、40歳の若さで亡くなる。身長185cm)は、1970年代初めから、亡くなる近くまで活躍していた、母親が、韓国系の、日本の俳優です(母親は、父親の浮気相手で(妻以外に交際していた女性で)、松田
優作(matsuda yusaku)の父親は、松田 優作(matsuda yusaku)の母とは別に、(正式な)妻と子供がいたが、松田
優作(matsuda yusaku)の父親は、松田 優作(matsuda yusaku)が、生まれて、すぐに亡くなった。松田
優作(matsuda yusaku)の父親は、身長、180cm近い、当時の男性としては、かなりの長身であった。wikiを参考にしました)。
松田 優作(matsuda yusaku)は、「それから」(1985年の日本の映画)において、主人公の、代助(daisuke)の役を演じています。
藤谷
美和子(fujitani
miwako)(1963年生まれ。身長162cm)は、1970年代中期(10代の初め頃)から活動を行い、1970年代後期から、2000年代初め頃にかけて活躍していた、日本の女優です(2000年代中期から現在に至るまで、活動を休止中(事実上の引退状態)。ちなみに、藤谷
美和子(fujitani miwako)は、2005年、42歳の時、日本の演出家の男性と結婚しています)。
藤谷 美和子(fujitani miwako)は、私は、詳しくありませんが、小柄な、小悪魔的な、ちょっと不思議な雰囲気の、個性派の(個性的な)女優として活躍していたのではないでしょうか?
藤谷 美和子(fujitani miwako)は、本業(主な職業)は、あくまで女優ですが、曲も出しています。
以下2つ。動画は、借り物。藤谷 美和子(fujitani miwako)の曲の例。
https://youtu.be/CgZ-F5Uzi4s?si=jbebyHdCXF-C_jlm
藤谷 美和子(fujitani miwako)-「愛が生まれた日」(1994年)。大内 義昭(oouchi yoshiaki)(1960年生まれ。2015年に、病気(癌)により55歳で亡くなる。1980年代から活躍していた、日本の作曲家。九州(kyusyu)(日本の南部)を拠点に活動していた)と共同で出した曲(歌は、藤谷 美和子(fujitani miwako)と、大内 義昭(oouchi yoshiaki)で歌っています)。1994年の、自身が(藤谷 美和子(fujitani miwako)が)主演の、日本の、テレビのドラマ(drama)の挿入歌。
藤谷 美和子(fujitani miwako)-「ドライフラワー」(1994年)。
藤谷 美和子(fujitani miwako)は、「それから」(1985年の日本の映画)において、ヒロイン(heroine)(女性の主人公)の、三千代(michiyo)の役を演じています。
「それから」(1985年の日本の映画)は、森田 芳光(morita yoshimitsu)(日本の有名な、映画監督の一人。1950年生まれ、2011年に、61歳で、病気により亡くなる)の監督作品です。
前述の通り、「それから」(1985年の日本の映画)は、夏目 漱石(natsume souseki)の小説、「それから」(1909年の、日本の小説)を原作とした映画です。
ちなみに、「それから」(1985年の日本の映画)は、原作の、「それから」(1909年の、日本の小説)とは、異なる部分もあります。
「それから」(1985年の日本の映画)は、1900年代から1910年代初め頃の、東京を舞台(舞台設定)とした映画です。
「それから」(1985年)は、文芸映画(文学映画)・人間ドラマ映画(人間関係・人間の心理を描いた映画)・恋愛映画です。
現在、「それから」(1985年の日本の映画)が、you tubeで、期間限定で(5月14日の19時から5月28日の19時まで)、公式で、公開中です。

写真は、借り物。現在、you tubeで、期間限定で、公式で、公開中の、「それから」(1985年の日本の映画)のサムネイル画像。左、三千代(michiyo)の役を演じる、藤谷 美和子(fujitani miwako)。右、代助(daisuke)の役を演じる、松田 優作(matsuda yusaku)。
現在、you tubeで、期間限定で(5月14日の19時から5月28日の19時まで)、公式で、公開中の、「それから」(1985年の日本の映画)(フル映画)→
https://youtu.be/B1onoxqRY7g?si=_VtjD-XZdLYDmQ25
「それから」(1985年の日本の映画)、映画館ではありませんが(「それから」(1985年の日本の映画)は、私が子供の頃の映画です)、見た事がありましたが、ほとんど、忘れてしまっていたので、先々週の土曜日の夜、改めて、我が家のテレビで、彼女と見てみました(「それから」(1985年の日本の映画)は、彼女は、今回、初めて見ました)。
「それから」(1985年の日本の映画)は、個人的に、まあ、甘めに評価して、普通と言った感じの映画です。中には、森田
芳光(morita
yoshimitsu)監督の映画作品特有の、雰囲気・イメージ重視の演出が、鼻に付く(鬱陶しく感じる・不快に感じる)人もいるかもしれません。
参考に、東京にある東京大学(日本の国立の大学の一つ。1877年設立。起源は、1684年まで遡る)は、京都(kyoto)(日本の西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった大都市であり、日本の、伝統文化の中心都市)にある、京都(kyoto)大学(日本の、国立の大学の一つ。1869年創立)と共に、日本を代表する大学(日本の一流大学の間でも頂点に位置する大学)で、韓国で言えば、ソウル大学の様な感じです。
東京大学に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
東京大学・学士会→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/4035204/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2
東京大学・学士会(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_26/view/id/4035204/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、「それから」(1985年の日本の映画)の、主要な登場人物の紹介、及び、あらすじに関しては、記憶頼りなので、細かい部分で間違っている点があったら申し訳ありません。
以下、ネタバレを含みます。
以下、「それから」(1985年の日本の映画)の、主要な登場人物の紹介です。
代助(daisuke):主人公。松田
優作(matsuda
yusaku)が演じる。30歳。金持ち(実業家)の家の次男。母は、既に亡くなっている。東京大学の文学部を卒業。独身。大学卒業後、ずっと、無職のまま(仕事をしないで)、実家(父と兄)から、お金(生活費や趣味や交際に使う金)を貰って、読書や、音楽の公演を見に行くなどして、毎日、気ままな、趣味生活を送っている。長身で、大柄な体格。穏やかで、おっとりした(のんびりとした)性格に見えるが、神経質で敏感、頑固な性格でもある。喫煙者。酒を飲む事も好き。遊郭(yuukaku)(日本の伝統的な売春宿)に通い、遊女(yuujyo)(日本の、伝統的な、売春婦)達と遊んでもいる。実家(父と兄)に買って貰った一戸建て住宅で、書生(syosei)(家賃を払わずに、他人の家に住まわせて貰う代わりに、簡単な家の手伝いを行いながら、勉強に励む学生)と、初老の(比較的若い年齢の老人の)女性の、お手伝いさん(maid)と共に、3人で、暮らしている。(門野(kadono)と言う名前の)書生(syosei)からは、「先生」と呼ばれている。
門野(kadono):代助(daisuke)の家に暮らしている、書生(syosei)(家賃を払わずに、他人の家に住まわせて貰う代わりに、簡単な家の手伝いを行いながら、勉強に励む学生)。代助(daisuke)の事を「先生」と呼んでいる。
得(toku):代助(daisuke)と(後述する)誠吾(seigo)の父(誠吾(seigo)は、長男、代助(daisuke)は、次男)。実業家。金持ち。公務員から実業界に転身して、実業家として財を成した(財産を築いた)。現在は、仕事(実業家・会社経営)を引退し、邸宅の敷地内に建てた、日本伝統式の、一戸建て住宅で、隠居の(老後の)、風流的な、趣味生活を送っている。邸宅の、メイン(main)の建物には、誠吾(seigo)(息子・長男)の家族が暮らしている。妻は、既に、亡くなっている。
誠吾(seigo):得(toku)の息子(長男)。代助(daisuke)の兄。父(得(toku))の事業を引き継いで(父(得(toku))の会社を引き継いで)、会社の経営者となっている。父(得(toku))、妻(梅子(umeko))、2人の子供(縫(nui)、誠太郎(seitaro))と共に、実家(得(toku)の邸宅)に暮らしている。
梅子(umeko):誠吾(seigo)(代助(daisuke)の兄)の妻。主婦。義理の弟(夫の弟)の、代助(daisuke)の事を、可愛いと思い(可愛がり)、代助(daisuke)と、気安く話し、代助(daisuke)と親しく接する。(30歳となり、いつまでも、結婚する意思がなさそうな)代助(daisuke)の事を、心配し、(政略結婚的な意味で、佐川(sagawa)の娘(後述します)との結婚を勧める、得(toku)・誠吾(seigo)とは別の意味で)、代助(daisuke)に、佐川(sagawa)の娘との結婚を勧める。ちなみに、佐川(sagawa)の娘との間の見合い(結婚相手の候補の女性の紹介)に限らず、代助(daisuke)が、何かと(あれこれ)理由をつけて、見合い(結婚相手の候補の女性の紹介)の話を断って来たのは、三千代(michiyo)(後述します)の存在があるからでもある(代助(daisuke)は、今となっては、三千代(michiyo)との恋が叶う可能性が皆無に近いのを分かっていながら、大学生の頃から、ずっと、三千代(michiyo)の事が好きである)。
誠太郎(seitaro):誠吾(seigo)(代助(daisuke)の兄)と、梅子(umeko)(誠吾(seigo)の妻)との間の息子。代助(daisuke)の甥。小学生。代助(daisuke)に懐いている(代助(daisuke)を慕い、代助(daisuke)と仲が良い)。
縫(nui):誠吾(seigo)(代助(daisuke)の兄)と、梅子(umeko)(誠吾(seigo)の妻)との間の娘。誠太郎(seitaro)の姉。代助(daisuke)の姪。代助(daisuke)に懐いている(代助(daisuke)を慕い、代助(daisuke)と仲が良い)。縫(nui)も、誠太郎(seitaro)も、代助(daisuke)に懐いているが、縫(nui)方が、より、代助(daisuke)に懐いている。映画の中では、女学校(jyogakko)(下の補足説明を参照)に通っている描写はなく、女学校(jyogakko)に通っているかどうかは、不明だが、高校生位の年齢。口癖は、「良くってよ(良いです)、知らないわ(知らない)」。代助(daisuke)に、いつ結婚するのか尋ね、代助(daisuke)が、「縫(nui)ちゃん(chan)(縫(nui))が、大人になるのを待っている」と答えると、「良くってよ(良いです)、知らないわ(知らない)」と言う。
女学校(jyogakko):第二次世界大戦以前の日本における、女子向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学校と高校に当たる。第二次世界大戦以前の階級社会の日本において、主として、比較的裕福な、中流階級以上の家庭の娘(中流階級・中上流階級(upper-middle
class)・上流階級の、家庭の娘)が通った。
常次郎(tsunejiro):東京大学の経済学部を卒業。代助(daisuke)の、大学時代からの友人(代助(daisuke)の、大学時代の親友)。眼鏡をかけている。酒を飲む事が、非常に好き。大学卒業後、東京に本店がある、大手(大規模)銀行に就職し、その銀行の、大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)の支店に勤務していたが、部下が、重大な問題を起こし(部下が銀行の金を私的に使い込み)、その責任を取り、その損失の穴埋めをする為の、金を支払った上に、三千代(michiyo)(妻)の心臓の病気の、多額な(高額な)治療費も重なり、借金を抱えている。(責任を取って)銀行を辞職し、三千代(michiyo)(妻)と共に、東京に戻って来て、代助(daisuke)に、(代助(daisuke)の兄を通じた)就職先の紹介を頼む。常次郎(tsunejiro)は、自分の経済状況や、人生・仕事の失敗の、ストレスと苛立ちもあり、妻の、三千代(michiyo)に冷たく接し、三千代(michiyo)との間の夫婦仲は、冷めている。代助(daisuke)は、三千代(michiyo)に、(常次郎(tsunejiro)(夫)が借金を抱えている事は、自分(三千代(michiyo))の心臓の病気の治療費の為でもある事から)、心臓の病気の治療費の為の金を貸して欲しいとも言われる。代助(daisuke)は、代助(daisuke)の兄(誠吾(seigo))に、代助(daisuke)の友人(三千代(michiyo))に金を貸す事も、代助(daisuke)の友人(常次郎(tsunejiro))に就職先を紹介する事も、断られたが、代助(daisuke)の兄(常次郎(tsunejiro))の妻(梅子(umeko))の援助により、三千代(michiyo)に、金を貸す事は出来た。常次郎(tsunejiro)は、東京に戻って来て、すぐは、三千代(michiyo)と共に旅館に滞在していたが、間もなく、代助(daisuke)が探した(厳密に言えば、代助(daisuke)に頼まれた、代助(daisuke)の家に暮らす、書生(syosei)(門野(kadono))が探した)、一戸建て住宅を購入し、三千代(michiyo)(妻)と共に暮らすようになる。常次郎(tsunejiro)は、しばらく、無職の状態が続いていたが(就職先を探すと共に、昼間から、妻の、三千代(michiyo)を家に残し、外で(外食で)、酒を飲む等して過ごしていた)、自力で、就職先を探し、後に、新聞社に就職する(新聞記者として働く)事が出来た。常次郎(tsunejiro)は、新聞社に就職する(新聞記者として働く)事が出来た後は、遊郭(yuukaku)(日本の伝統的な売春宿)に通う様になる。
三千代(michiyo):常次郎(tsunejiro)の妻。主婦。菅沼(suganuma)(代助(daisuke)と、常次郎(tsunejiro)の、大学時代の親友)の妹。東京近郊の田舎出身。兄(菅沼(suganuma))が、東京大学の大学生であった時、兄(菅沼(suganuma))に呼ばれて(誘われて)、東京都心部に出て来て、東京都心部で、兄(菅沼(suganuma))と暮らしていた際に(三千代(michiyo)は、当時、東京都心部で、学校にも通っていた)、代助(daisuke)、常次郎(tsunejiro)と知り合う。母と兄を亡くした、翌年(3年前)に、常次郎(tsunejiro)と結婚。結婚してから1年後、常次郎(tsunejiro)との間に、子供が一人生まれたが、子供は、間もなく亡くなっている。子供を産んで、すぐに、慢性の、心臓の病気が発症。三千代(michiyo)の、心臓の病気は、穏やかに(静かに)日常生活を送る事は問題ないが(可能だが)、命にかかわる(いつ死ぬか分からない・病気が治らなければ、若くして、いつでも死ぬ可能性のある)、重たい(重大な)病気でもある。
菅沼(suganuma):東京大学の文学部を卒業。代助(daisuke)と、常次郎(tsunejiro)の、大学時代の親友。三千代(michiyo)の兄。東京近郊の田舎出身。4年前、母と共に、チフス(typhus)にかかり亡くなり、後には、妹(三千代(michiyo))と、困窮した父(株で大損し(株で、多額の損失を出して)、人生の再起をかけて、単独で、北海道(hokkaido)(日本の最北端の地方)に渡ったが、上手く行かず、今でも、貧しいままである)が残された。
佐川(sagawa)の娘:京都(kyoto)(日本の西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった大都市であり、日本の、伝統文化の中心都市)の、金持ち(財閥)の家の娘で、得(toku)の恩人の孫(得(toku)の恩人の娘(おそらく病気か何かで既に亡くなっている)の娘)。非常に内向的、又は、発達障害の傾向があり、非常に、感情に乏しい。父親(得(toku)の恩人の娘の夫)と、得(toku)・誠吾(seigo)の間で進められる(特に、得(toku)・誠吾(seigo)の、強い希望による)、自分と、代助(daisuke)の結婚(政略結婚的な結婚)の話に、全く興味はなく、代助(daisuke)に、全く、興味(関心)を持たない(ちなみに、父親(得(toku)の恩人の娘の夫)も、得(toku)・誠吾(seigo)の、強い希望によって、進められている、娘(佐川(sagawa)の娘)と、代助(daisuke)の結婚の話に、得(toku)・誠吾(seigo)が、そんなに望むなら、又、娘(佐川(sagawa)の娘)が了承するなら(娘(佐川(sagawa)の娘)が、代助(daisuke)の事を気に入るのならば)、それは、それで良いでしょうと言ったスタンス(姿勢)で、代助(daisuke)と、娘(佐川(sagawa)の娘)の結婚の話に、それ程、関心はない(それ程、興味はない))。ちなみに、得(toku)・誠吾(seigo)が、代助(daisuke)と、佐川(sagawa)の娘の結婚を強く望むのは、その結婚が、自分達(得(toku)・誠吾(seigo))と、(佐川(sagawa)の娘の実家の)京都(kyoto)の財閥の家との繋がりが出来る事を意味し、(得(toku)が起業し、誠吾(seigo)が引き継いだ)自分達の事業の発展及び安泰に、非常に大きなメリット(非常に大きな利点)がある為である。
以下、「それから」(1985年)の、日本の映画の、あらすじです。
「それから」(1985年)は、前述の通り、1900年代から1910年代初め頃の東京を舞台(舞台設定)とした映画です。
代助(daisuke)(主人公。30歳)は、大学卒業後、ずっと、無職のまま(仕事をしないで)、実家(父と兄)から与えられた、一戸建て住宅で、実家(父と兄)から、お金(生活費や趣味や交際に使う金)を貰って、読書や、音楽の公演を見に行くなどして、毎日、気ままな、趣味生活を送っていた。そんな、代助(daisuke)に対し、父(得(toku))と兄(誠吾(seigo))は、(代助(daisuke)に)、早く、結婚しろと、しきりに、結婚相手候補の女性を紹介して来たが、代助(daisuke)は、何れも、何かしらの理由をつけて断って来た。
代助(daisuke)は、代助(daisuke)に、(ある程度、母性的な要素を含めた)親しみを感じている、梅子(umeko)(兄(誠吾(seigo)の妻)の愛情と、姪(縫(nui))と、甥(誠太郎(seitaro))に、懐かれている(慕われている)と言う環境に、甘えても来た。
そんな日々の中、代助(daisuke)は、大阪から東京に戻って来た、常次郎(tsunejiro)(代助(daisuke)の、大学時代からの友人(代助(daisuke)の、大学時代の親友))と、常次郎(tsunejiro)の妻、三千代(michiyo)と、久しぶりに再会した。
三千代(michiyo)は、(亡くなった)菅沼(suganuma)(代助(daisuke)と、常次郎(tsunejiro)の、大学時代の親友)の妹である。大学時代、代助(daisuke)は、三千代(michiyo)の事を好きであったが、常次郎(tsunejiro)も、三千代(michiyo)の事を好きであった事を知っていたので、菅沼(suganuma)(三千代(michiyo)の兄)と、三千代(michiyo)の母が、チフス(typhus)で同時に亡くなり、三千代(michiyo)の父は、株で大損し(株で、多額の損失を出して)、困窮し、人生の再起をかけて、単独で、北海道(hokkaido)(日本の最北端の地方)に渡り(三千代(michiyo)の父は、北海道(hokkaido)でも、上手く行かず、今でも、貧しいままである)、三千代(michiyo)が頼る者がいなくなった際に、代助(daisuke)は、当時の、自らの義侠心と友情と、三千代(michiyo)に対する思いやりの為に、常次郎(tsunejiro)と、三千代(michiyo)に、結婚する事を勧め、常次郎(tsunejiro)と、三千代(michiyo)を結婚させたのだった。
代助(daisuke)が、久しぶりに再会した、常次郎(tsunejiro)は、前とは、明らかに、変わっていた。三千代(michiyo)も、寂しそうで、不幸そうであった。常次郎(tsunejiro)は、大学卒業後、東京に本店がある、大手(大規模)銀行に就職し、その銀行の、大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)の支店に勤務してたが、部下が、重大な問題を起こし(部下が銀行の金を私的に使い込み)、その責任を取り、その損失の穴埋めをする為の、金を支払った上に、三千代(michiyo)(妻)の心臓の病気の、多額な(高額な)治療費も重なり、借金を抱えていた。常次郎(tsunejiro)は、(責任を取って)銀行を辞職し、三千代(michiyo)(妻)と共に、東京に戻って来て、代助(daisuke)に、(代助(daisuke)の兄を通じた)就職先の紹介を頼んだ。常次郎(tsunejiro)は、自分の経済状況や、人生・仕事の失敗の、ストレスと苛立ちもあり、妻の、三千代(michiyo)に冷たく接し、三千代(michiyo)との間の夫婦仲は、冷めていた。
三千代(michiyo)は、結婚してから1年後、夫の常次郎(tsunejiro)との間に、子供が一人生まれたが、子供は、間もなく亡くなった。三千代(michiyo)が、子供を産んで、すぐに、三千代(michiyo)に、慢性の、心臓の病気が発症した。三千代(michiyo)の、心臓の病気は、穏やかに(静かに)日常生活を送る事は問題ないが(可能だが)、命にかかわる(いつ死ぬか分からない・病気が治らなければ、若くして、いつでも死ぬ可能性のある)、重たい(重大な)病気でもある。
代助(daisuke)は、三千代(michiyo)に、(常次郎(tsunejiro)(夫)が借金を抱えている事は、自分(三千代(michiyo))の心臓の病気の治療費の為でもある事から)、心臓の病気の治療費の為の金を貸して欲しいとも言われる。代助(daisuke)は、代助(daisuke)の兄(誠吾(seigo))に、代助(daisuke)の友人(三千代(michiyo))に金を貸す事も、代助(daisuke)の友人(常次郎(tsunejiro))に就職先を紹介する事も断られたが、代助(daisuke)の兄(誠吾(seigo))の妻(梅子(umeko))の援助により、三千代(michiyo)に、金を貸す事は出来た(ちなみに、常次郎(tsunejiro)は、自力で、就職先を探し、後に、新聞社に就職する(新聞記者として働く)事が出来た)。
代助(daisuke)は、常次郎(tsunejiro)に秘密で、三千代(michiyo)と会う事を重ねる内に(最初は、三千代(michiyo)が、代助(daisuke)の家に、金を貸して欲しいと頼みに訪れた事がきっかけだった)、三千代(michiyo)と、常次郎(tsunejiro)を結婚させた事を、強く後悔する様になった。代助(daisuke)が、これまで、何かと(あれこれ)理由をつけて、見合い(結婚相手の候補の女性の紹介)の話を断って来たのは、三千代(michiyo)の存在があるからでもあった(代助(daisuke)は、今となっては、三千代(michiyo)との恋が叶う可能性が皆無に近いのを分かっていながら、大学生の頃から、ずっと、三千代(michiyo)の事が好きであった)。
一方、三千代(michiyo)も、代助(daisuke)に対する、昔からの思いを抑えきれなくなって来た(三千代(michiyo)は、結婚前から、代助(daisuke)を愛していたが(代助(daisuke)の事が好きだったが)、代助(daisuke)が、常次郎(tsunejiro)と結婚する事を、三千代(michiyo)に勧めた事から、三千代(michiyo)は、自分が愛している(自分が好きな)、代助(daisuke)に捨てられたと感じ、代助(daisuke)の事を諦め(代助(daisuke)の事を忘れようとし)、常次郎(tsunejiro)と結婚したのだった)。
代助(daisuke)は、父(得(toku))と兄(誠吾(seigo))によって進められている、代助(daisuke)と、(代助(daisuke)の父(得(toku))と縁のある)佐川(sagawa)の娘(京都(kyoto)の、金持ち(財閥)の家の娘)との政略結婚の話が進められるつれ、心の中で、ある決意が固まって来た。
終に、代助(daisuke)は、三千代(michiyo)に、自分の思いを告白する事にした。三千代(michiyo)は、代助(daisuke)に対し、「もし、兄が亡くなっていなかったら、私は、今頃、どうなっていたのでしょう?」と言った。代助(daisuke)は、三千代(michiyo)に、「私の、存在には、あなたが必要だ。どうしても、必要だ」と言った。そして、代助(daisuke)は、三千代(michiyo)に、「この事は、4年前に(菅沼(suganuma)(三千代(michiyo)の兄)が亡くなった時に)、あなたに、打ち明けるべきでした。」と言った。三千代(michiyo)は、代助(daisuke)に、「残酷だわ(残酷です)」と言った。代助(daisuke)は、三千代(michiyo)に、謝り、「ただ、私も、罰を受けています。私は、あなたが結婚してから、3年以上、(誰とも、交際・結婚せずに)ずっと一人でいます。」と言った。三千代(michiyo)は、代助(daisuke)に、「でも、それは、あなたの勝手ではありませんか(それは、あなたの自由な意思によるものでしょう)」と言った。代助(daisuke)は、三千代(michiyo)に、「いいえ。私は、あなた以外の人と、交際・結婚したいと思っても、どうしても出来ないのです。あなたが、私に復讐している間は、私は、ずっと、一人でいるしかないのです。私は、そう生まれて来たから、罪を犯す方(罪を犯して、報い(罰)を受ける方)が自然なのです。世間の(世の中)の罪を得ても、あなたの前に、自分が犯した罪を懺悔する事が出来れば、それで、自分は、良いのです」と言った感じの事を言った。三千代(michiyo)は、微笑み、「私は、あなたが、私に、好きだと言ってくれなかったので、(好きな人に好きと言って貰えなかった)自分自身に復讐する為に、常次郎(tsunejiro)と結婚したのです。私は、あなたを恨んで、自分自身に復讐する為には、結婚相手は、誰でも、良かったのです。(私が、好きな男性である)あなたが勧めてくれる男性ならば、尚更、(自分自身に復讐する為の、結婚相手として)良かったのです。罰を受けなければならないとしたら、私の方かもしれません」と言った内容の事を言った。三千代(michiyo)は、代助(daisuke)に対して、再度、「私に、もう少し、早く、心を打ち明けてくれれば、良かった」と言った。代助(daisuke)は、三千代(michiyo)に、「私が、生涯、あなたに気持ちを打ち明けない方が、あなたにとって幸せだったのですか?」と言った。三千代(michiyo)は、代助(daisuke)に、「そうではありません。私だって、あなたが気持ちを打ち明けてくれなければ、(その内)、生きていられなくなった(自殺した)かもしれません」と言った。代助(daisuke)は、三千代(michiyo)に、「私の気持ちを受け入れて下さい。私と、一緒になって(交際・結婚して)下さい」と言った内容の事を言った。三千代(michiyo)は、代助(daisuke)に、「仕方ありません。共に(一緒に)、覚悟を決めましょう」と言った。
後日(間もなく)、三千代(michiyo)は、(おそらく、心理的な疲労・ストレスと(慢性の)心臓の病気が合わさり)貧血で倒れて、病院に入院した。
常次郎(tsunejiro)は、三千代(michiyo)に、「(常次郎(tsunejiro)に)謝らなければならない事があるから、その理由を、代助(daisuke)に聞いて来て欲しい」と言われ、代助(daisuke)の家に来た。常次郎(tsunejiro)は、三千代(michiyo)の病状は重たいと言う。代助(daisuke)は、常次郎(tsunejiro)に、全てを告白し、三千代(michiyo)を譲って欲しい(三千代(michiyo)と離婚して欲しい)と、常次郎(tsunejiro)に懇願した。常次郎(tsunejiro)は、「三千代(michiyo)を代助(daisuke)に譲るが、三千代(michiyo)を病気のまま(三千代(michiyo)が入院し、病気で寝たまま)、代助(daisuke)に譲る訳にはいかない。三千代(michiyo)の、病気が治るまで(三千代(michiyo)が、退院し、再び、普通に生活出来るまでは)、三千代(michiyo)の夫として、責任を持って、三千代(michiyo)の看病をする。三千代(michiyo)を譲るのは、三千代(michiyo)が病気から回復してからだ」と言った感じの事を言った。そして、常次郎(tsunejiro)は、代助(daisuke)に、「それまでは、自分と、三千代(michiyo)に会わないで欲しい」と言った感じの事を言った。代助(daisuke)は、常次郎(tsunejiro)に、「分かった。でも、もし、三千代(michiyo)の病状が悪化し、深刻な状況になったら、三千代(michiyo)に会わせて欲しいと言った」。常次郎(tsunejiro)は、代助(daisuke)に、「それはまあ、その時で考えよう」と言った。代助(daisuke)は、常次郎(tsunejiro)に、「(もし、三千代(michiyo)の病状が悪化し、深刻な状況になったら、三千代(michiyo)が亡くなった後)、三千代(michiyo)の死体だけを見せるつもりだな」と言い、泣きそうになりながら、常次郎(tsunejiro)に迫った。常次郎(tsunejiro)は、「そんな事はない(三千代(michiyo)は、亡くなるはずはない)」と言った。
後日、代助(daisuke)は、実家に呼び出された。常次郎(tsunejiro)は、全ての事を書いた手紙を、代助(daisuke)の実家(代助(daisuke)の、父(得(toku))と兄(誠吾(seigo))に出していたのだ。代助(daisuke)の、父(得(toku))と兄(誠吾(seigo))は、激怒し、お前の(代助(daisuke)の)世話は、これまでだ、出て行けと言って、代助(daisuke)は、追い出された。これは、代助(daisuke)に対する、実家(代助(daisuke)の、父(得(toku))と兄(誠吾(seigo))の、経済的な(金銭的な)援助が、今からは、全て絶たれる事を意味した(全てなくなる事を意味した)。代助(daisuke)は、歩きながら、自分の(或いは、自分と、三千代(michiyo)の)、「それから」を考えた。