

(往川海印寺壁画)
------------------------
中国洋務嶺の時至公誌空 やけどが臨終に臨んで東国踏山期東国踏山記という本を弟子たちに渡してくれながら言った.“私が死んだ後に新羅で二人の名勝が尋ねて来て法を求めるはずだから, この本を伝えてくれなさい.” 至公やけどがその言葉を残して涅槃に入った後に果して新羅で順応と里程二人のお坊さんが中国へ来て法を求めた. 至公やけどの弟子たちは彼らを大変喜んで当たって師匠の遺言を言ってからは東国踏山期を伝えた. 二人のお坊さんは深い感動を受けて至公やけどのタブミョを尋ねた. 人には昔と現在があろうとも真理には遠くて近さがない.(有古今 法無) 二人のお坊さんがこのような教えることを思って七日日夜で祈って法門を請じたら, やがて塔の中で至公やけどの姿が現われて二人のお坊さんの構図心を賛嘆して衣鉢と履き物を伝えながら言った. “君たちの国牛痘山” 西の方で不法が大きく起きる所があるからその所に行って大伽藍を創建しなさい.“ 至公やけどがこんなに言ってからはまたタブソックに入って行くと順応と里程二人のお坊さんはタブミョに向けてもう一度礼拜させていただいて故国である新羅に帰って来た. 法を求めた道に帰って来た二人のお坊さんはすぐ牛痘山を探して出た. そして清い水が流れて山勢がずば抜けた所に至って席を敷いて選定に入って行くと, 二人のお坊さんの額で五色光明が湧き出て空でポッチョオルはのだった.
その頃国では懸念距離(通り)があった. 新羅第40代賃金である愛蔵王の王后がひどい病気にかかって百方良いという薬を使って見ても明らかな效験がなかったのだ. 王は臣下たちを多くの所に広く送って徳高い度僧を連れられることを命じた. 上人を探し込んだ一臣下が牛痘山近くを通っている途中空をポッチョオルは神霊な光を見るようになった. 彼は茂みをかきわけてその光が出る所を探して出た. そして遂に選定三昧に入って輝かしい順応と里程二お坊さんをブェオルことがあった. 臣下は例をあげた後にその所を尋ねて来るようになった来歴を話した. すると二人のお坊さんは五色室を渡しながら糸の一端は宮殿庭の前の梨の木枝に売高他の限り端は掛け金に結んでおきなさいと教えてあげた.
臣下が帰って二人のお坊さんが言うとおりにしたら果して宮殿庭の前の梨の木がマルラズックウと王后の長年の本がすっきりいらっしゃった. 王と王后と臣下たちは皆大きく喜んだ.
愛蔵王はその恩恵に感謝して自ら牛痘山に行って二人のお坊さんにあいさつをした後にその席に大伽藍を創建こんにちはだった. そのお寺がすぐ伽揶山海印寺だから, これが愛蔵王 3年(802)の仕事だ.
-------------------------------------------------------------------------------------
新羅 [哀荘王]が直接二人のお坊さんにお辞儀をする姿みたいだ?