新羅三郎義光は、
寛徳二年(1045)鎮守府将軍伊豫守源朝臣頼義を父に、上野介平直方の女を母として生まれた。義光は、近江国(滋賀県)円城寺(三井寺)の新羅明神の前で元服し、新羅三郎を名乗った。知謀に富み、弓術をよくし、笙(しょう)の名手だったと伝えられる。
結局のところ、新羅三郎義光の新羅は近江園城寺(三井寺)の新羅明神の前で元服したことから呼称される。その他の兄弟も元服した場所に因んで八幡太郎義家、賀茂次郎義綱と呼ばれている。
新羅三郎は、源氏の子孫、即ち皇族の子孫であり単に、元服の場所が新羅大明神を祭った神社であったということだ。 さて、この新羅明神というのは何かと言えば、遣唐使の一員として唐に渡った留学僧が、朝鮮沖で嵐に遭ったときに、船の中に現れて、船を沈没から救った神様の事で朝鮮半島沖で現れたという伝説から、新羅明神と呼んだ由来がある。 この様に韓国人の妄想とは大きく違い、朝鮮とは直接には関係はありません。新羅明神も新羅人は一切係わっていない。w