
伊豆半島
つまり日本の太平洋側
ワカメを食べる国は
日韓のみ
世界では日本と韓国だけが、昔から、若布を
食べる国でした。近年になり、1932年に日本軍が関わって、満州国が成立し、大連に関東州水産試験場ができました。宮城県出身の大槻洋四郎氏が満州国の
殖産興業の一環として海藻の養殖を企画し、日本からわかめと昆布の種苗(おそらく芽株と成熟昆布でしょう)を持って行き、中国で昆布やワカメの養殖が広ま
りました。ワカメを食べなかった中国人も日本への輸出用に養殖していたワカメを次第に食べるようになってきました。しかし現在でも主要な消費国は日本と韓
国で、中でも韓国人は日本の3倍わかめを食べる、世界一のわかめ生産国であり、消費国です。(色々な海藻類を含めると一番食べる国は相変わらず日本のようです)。
何故ワカメが韓国で多く食べられるようになったのかと言うと、韓国では、養殖によって生産数量が安定するまで、わかめはたいへんな貴重品でした。
そのため、韓国の人達にとって、わかめは「出産」「誕生日」などを意味する「特別な日のごちそう」だったのです。それが養殖技術によって、流通が安定した
事で大量に消費されるようになりました。そのような事情から天然のワカメは現在の韓国では高級な価格で取引され、天然ワカメが取れる磯や海域は畑や田と同
じ不動産扱いされ、厳しい管理のもとで一族に代々相続されています。
若布の起源は太平洋側の日本近海と見られており、日本におけるワカメの食文化の痕跡は、縄文時代の遺跡までさかのぼります。
青森県亀ヶ岡の泥炭遺跡では縄文式土器の中からワカメのような海藻が束になったまま発見されており、この時代から日本人が海藻を食べていたことが実証的に 明らかになっています。塩を作る術を知らなかった時代には、海藻は魚介類やその臓物とともに塩分補給源として大変に有用な物でした。そのままでもよいので すが、何度も海水をかけて乾せば、非常に貴重な品となり、物資交換用としても利用されました。大宝元年(701年)に制定された日本初の税制(大宝律令) には、7種の海藻名が漢字によって記されています。その中に海藻(にぎめ)・海藻根(まなかし)の記載があり、1300年前にすでにワカメやメカブが貢納 されていたことがわかります。
また、厳しい冬に海中に初々しく芽吹くワカメは、神への捧げものとしても重用されており、福岡県にある和布刈(めかり)神社では、和銅3年(710年)に 「和布刈神事(めかりしんじ)」で刈り取ったワカメを朝廷に献上したとの記録があり、奈良時代から行われていました。「和布刈神事」は、毎年旧暦大晦日の 深夜から元旦にかけての干潮時に行われ、3人の神職がそれぞれ松明(たいまつ)、手桶、鎌を持って海へ入り、ワカメを刈り取って神前に供えます。和布刈神 事は、山口県の住吉神社、島根県の日御崎(ひのみさき)神社摂社熊野神社でも行われています。そんなワカメは、ノリやコンブのような希少価値は持たなかっ たものの、普遍的で盛んに売買され、上下の差を問わずよく食べられていました。飛鳥、奈良朝時代の代表的文学作品である万葉集には、「和布」や「塩焼く 藻」、「玉藻」などの海藻が詠まれており、古代人が食糧、糊料、肥料等々広い範囲にわたって、生活用品としていたことがうかがえます。
わかめは日帝の呪いか!!
わかめの故郷はどこか。昔から食べているのは日本と韓国(北朝鮮も含めて)ですが、中国沿岸などには 1940年ころまでわかめがなかった事実から察すると、故郷は日本である可能性が強いのです。では日本のどこか。現在天然のわかめは日本では北は北海道 (太平洋側は室蘭まで、日本海側は礼文島まで)、南は鹿児島(薩摩半島の山川町が南限)まで生育しています。地方品種としてワカメ(Undaria pinnatifida f. typica)とナンブワカメ (Undaria pinnatifida f.distans)、ナルトワカメ (Undaria pinnatifida f. narutensis:ほぼ絶滅) がありますが、もともと温帯性の海藻であること、太平洋側が発祥と考えられており、神奈川から伊豆半島辺りが、わかめの故郷ではないかと考えられます。実際に伊豆半島辺りでは通常私達が食べているわかめとは全く違った形のわかめが生育しています。
日韓併合前の1890年代に朝鮮を旅行した英国婦人イザベラ・バードは、朝鮮半島東岸で良質の海藻を大量に産し、ソウルに馬や船で運ぶ様子を記しています(朝鮮紀行、講談社学術文庫)。更に時代をさかのぼった、高麗・李氏朝鮮時代以来の伝統料理には、朝鮮半島西岸ではワカメ料理がないのに、南岸や東岸には数種類ある(韓国料理文化史、李盛雨、平凡社)。食習慣、殊に食材は保守的で、外からの刺激がなければあまり変化しないだろうから、古代でも、南岸の任那(みまな)や東岸の新羅ではワカメをよく食べたようです。
日本列島の太平洋側から日本海側に伝わり、その後、恐らく4世紀に、新羅や任那に近い北九州近辺で強い勢力を誇っていた一族により。北九州、新羅・任那・ 出雲さらに北陸地方までは、環日本海文化圏を形成していて、ワカメの食習慣はこれらの地方に共通する古い食文化だったと思われます。『広開土王碑』や日本列島独特の墓制である前方後円墳、そして新羅・百済・伽耶の勢力圏内で日本産のヒスイ製勾玉が大量に出土したこと等による任那日本府説と、ワカメの韓国食文化への侵略とは、不思議と一致しているのです。