大久保長安事件
そして長安の屋敷を調べた結果、多数の金銀が発見された。長安は横領していたわけではないが、本多親子はこれを横領と決めつけ、さらに家康も長安が豊臣氏恩顧の大名と親しかったことを苦々しく感じており、長安の横領を認めたのである。
かくして長安は「奸賊」となってしまった。『徳川実紀』では長安の罪状について、「長安が生涯寝所の下に石室を設け、その中に黒き箱有りしといふ。依て其箱をめしよせて査検あれば、其中に長安この年頃朝鮮に交通し。私に財宝をかの国に贈りし文書ども入置しが。中には大不敬の事共。又は連座の諸大名も多くあり」「長安常に寝所の下に黒櫃を置て。其中に朝鮮へ交通せし往復の書をかくし置。又庫中に常に毒酒を数十樽蓄置。又武田の系図。武田の紋幕旗等を蔵せり」と記している。