「方々の国で出会った旅行者は、みな感激
した面持ちで日本について語ってくれた」
■転送歓迎■ H19.02.18 ■ 34,639 Copies ■ 2,395,803 Views■ ■1.「彼らはみな感激した面持ちで日本について語ってくれた」■ ドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマンは、1871(明
治4)年にギリシャ神話上のトロイアの遺跡の発掘に成功して、
世界的に有名になるが、その6年前、1865(慶応元)年に日本を
訪れている。 日本で最初の、小さな岩ばかりの島が見える地点に到達
した。私は心躍る思いでこの島に挨拶した。これまで方々
の国でいろいろな旅行者に出会ったが、彼らはみな感激し
た面持ちで日本について語ってくれた。私はかねてから、
この国を訪れたいという思いに身を焦がしていたのである。
[1,p101] シュリーマンの期待は裏切られなかった。入国の際、税関で
荷物を解くのが面倒なので、金を渡して免除して貰おうとした
ら、断られた。「日本男児たるもの、心づけにつられて義務を
ないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである」と、そ
の役人の高潔さをシュリーマンは讃えた。 また、当時は過激志士が外国人を襲う危険があったので、警
護の武士がついてくれたが、「役人たちが欲得づくでこのげん
なりするまでの警備に励んでいるのではないことは承知してい
る。だからなおさらのこと、その精勤ぶりに驚かされるのだ。
彼らに対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現
金を贈ることであり、また彼らのほうも現金を受け取るくらい
なら『切腹』を選ぶのである」と感心する。
■2.「英国夫人が一人旅をしても絶対大丈夫だろう」■ シュリーマンからやや遅れて明治11(1878)年に来日したイ
ギリスの女性旅行家イザベラ・バード[a]。女性の身でありな
がら、アメリカ、カナダ、ハワイ、日本、マレー半島、チベッ
ト、ペルシャ、朝鮮、中国、モロッコと、通算30年に渡って
世界中を旅した。その体験をまとめて『日本奥地紀行』『ロッ
キー山脈踏破行』『朝鮮奥地紀行』『中国奥地紀行』などの著
作を残している。 これだけ広く世界を旅して、詳細な旅行記を残しているとい
う点で、当時の日本を客観的に語って貰うには、好適な旅行者
である。 バード女史から東北・北海道への旅行計画を聞いた英国代理
領事は、その時、「英国夫人が一人旅をしても絶対大丈夫だろ
う」と太鼓判を押している。それは正しかった。 奥地や北海道を1200マイルにわたって旅をしたが、
まったく安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほ
ど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全
に旅行できる国はないと私は信じている。[1,p187] ヨーロッパの多くの国や、わがイギリスでも地方によっ
ては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受
けるまではいかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、
お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も
失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとら
れた例もない。群集にとり囲まれても、失礼なことをされ
ることはない。[1,p188] ■3.「それは美しいものであった」■ バード女史は、実際の旅での見聞をこんな風に語っている。 私達は三等車で旅行した。「平民」のふるまいをぜひ見
てみたかったからである。客車の仕切りは肩の高さしかな
くて、たちまち最も貧しい日本人で一杯になった。 三時間の旅であったが、他人や私達に対する人びとの礼
儀正しい態度、そしてすべてのふるまいに私はただただ感
心するばかりだった。それは美しいものであった。とても
礼儀正しくてしかも親切。イギリスの大きな港町で多分目
にするふるまいと較べて何という違いだろう。 さらに日本人は、アメリカ人と同様、自分やまわりの人
への気配りから清潔で見苦しくない服装で旅行している。
老人や盲人に対する日本人の気配りもこの旅で見聞した。
私達の最も良いマナーも日本人のマナーの気品、親切さに
は及ばない。[1,p184] ものを紛失した時に、馬子は一里も戻って探してくれ、バー
ド女史が骨折り賃として何銭かあげようとしたが、「旅の終わ
りまで無事届けるのが当然の責任だ」と言って、どうしてもお
金を受け取らなかった。 「どこでも警察は人々に対して非常に親切である」し、かなら
ず助力してくれるので、「困ったときはいつも警官に頼む」。 こうした日本人の振る舞いに触れて、バード女史はこう述べ
ている。 この国民と比較しても常に英国民が劣らぬように
----残念ながら実際にはそうではない!---- ■4.「日本人にすべてを教える気でいたのであるが」■ バード女史と同時期、明治10(1877)年から13(1880)年ま
で東京大学で生物学を教えたエドワード・S・モースの談を聞
いてみよう。東京で大森貝塚を発見した事で知られている人物
である。 外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなこと
に気がつき始める。即ち彼は、日本人にすべてを教える気
でいたのであるが、驚くべきことには、また残念ながら、
自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になってい
る善悪や品性を、日本人は生まれながらにして持っている
らしいことである。 衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべて
の自然物に対する愛、あっさりしていて魅力に富む芸術、
挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり・・・
これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人
々も持っている特質である。[1,p36] 机の上に小銭を置いたままにしても召使いは一切手を触れな
い。街中の店では、時折店主が店を開けっ放しにして出ていく
ので、モースは逆に盗みに入られないかと心配するほどだった。
「盗み」などの犯罪が皆無であることに驚嘆し、「人々が正直
である国にいることは実に気持ちがよい」。 モースの母国アメリカでは、盗難防止のために、戸外の寒暖
計はねじくぎで壁に留められ、噴水のひしゃくは鎖で結びつけ
られていた。 正直、節倹、丁寧、清潔、その他わが国に於いて「キリ
スト教的」とも呼ばれる道徳のすべてに関しては、一冊の
本を書くことも出来るくらいである。[1,p39] ■5.「礼儀という点で、日本人にまさるものはない」■ さらに時代を遡ってみよう。元禄3(1690)年に来日してオラ
ンダ商館付の医師として、約2年間、長崎の出島に滞在したド
イツ人・エンゲルベルト・ケンペル。オランダ商館長に随行し
て、二回、江戸に上り、将軍にも拝謁している。日本の動植物、
風俗、地理、歴史、宗教などに関心を示し、帰国後、ロンドン
で出版した「日本誌」はフランス語、ドイツ語にも訳され、ゲ
ーテやモンテスキューなども愛読したと言われている。 江戸への道すがら、ケンペルはこんな感想をもらしている。 旅館の主人らの礼儀正しい応対から、日本人の礼儀正し
さが推定される。旅行中、突然の訪問の折りにわれわれが
気がついたのであるが、世界中のいかなる国民でも、礼儀
という点で、日本人にまさるものはない。 のみならず彼らの行状は、身分の低い百姓から最も身分
の高い大名に至るまで大へん礼儀正しいので、われわれは
国全体を礼儀作法を教える高等学校と呼んでもよかろう。
[1,p178] 当時の日本は、キリスト教国の侵略から国を守るために、オ
ランダと中国以外の国とは貿易を禁止していた。ケンペルはこ
の「鎖国」政策に賛成している。当時の日本は自給自足ができ
ており、外国から物資を輸入する必要はなかった。そして、国
内は戦争もなく、生活水準が非常に高かった、という理由から
である。 ■6.「貧しいことを不名誉と思っていません」■ 江戸幕府が鎖国政策を採った理由は、キリスト教宣教師を尖
兵とするスペインやポルトガルの侵略から身を守るためであっ
た[b]が、戦国時代に来日して、初めてキリスト教を伝えた宣
教師フランシスコ・ザビエルは、純粋に布教を目的としていた
ようだ。 ザビエルは、日本人アンジロウとインドのゴアで出会った。
アンジロウは8ヶ月のうちにポルトガル語の読み書きも会話も
完全にマスターし、「知識に飢えていて、真理のことなどすば
やく学びます」。他の日本人もアンジロウと同様であるとした
ら、布教は成功するに違いない。ザビエルは「日本へ行く夢を
あきらめることはどうしてもできません」と思うようになった。 ザビエルは1549年にアンジロウとともに日本に到着した。そ
して日本での布教の成功を確信した。「日本の国民が、この地
域にいるほかのどの国民より、明らかに優秀だからです」。ザ
ビエルは日本人をこう評している。 この国の人々は今までに発見された国民のなかで最高で
あり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだで
は見つけられないでしょう。 彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。
驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を
重んじます。大部分の人は貧しいのですが、武士も、そう
でない人びとも、貧しいことを不名誉と思っていません。
[1,26] ■7.「性質直にして雅風あり」■ ザビエルから、さらに遡って、西暦636年頃に成立したとさ
れている「隋書倭国伝」には次のような一節がある。日本では
聖徳太子が亡くなられた直後の時代にあたる。 人すこぶる恬静(てんせい)にして、争訟まれに、盗賊
すくなし。・・・性質直にして雅風あり。[1,p80]
(人はすこぶる物静かにして、争い事は少なく、盗賊も少
ない。・・・人々の性質は素直で雅やかである。 同様の記述は、西暦280~290年に書かれたとされる「魏志倭
人伝」にも見られる。 婦人淫せず、妬忌(とき)せず。
盗窃(とうせつ)せず、諍訟(そうしょう)少なし[1,p74] (婦人の貞操観念は堅く、ねたんだりしない。
盗みをする者はいない、訴え事も少ない) 戦乱の絶える間が無く、騙し騙されが日常であったシナ大陸
から見れば、犯罪や争いの少ない、純朴な人々の住む日本は別
天地のように見えたであろう。 「美しい国、日本」とは安倍首相の政権構想の中心であるが、
それが「国民が美しい心根を持っている国」という意味では、
日本は有史以来「美しい国」として、外国人から賛美されてき
たのである。
■8.「この幸福な情景がいまや終りを迎えようとしており」■ しかし、今に至って改めて「美しい国、日本」を掲げなけれ
ばならないのは、現代の我々が、過去の先人達の美しい心根を
忘れてしまったという認識からであろう。 この事態は、幕末から明治初期にかけて日本にやってきた西
洋人たちによって、すでに予見されていた。幕末において、ア
メリカ公使館通訳として活躍したオランダ人・ヘンリー・ヒュ
ースケンは、こう語っている。 いま私がいとしさを覚えはじめている国よ、この進歩は
ほんとうに進歩なのか? この文明はほんとうにあなたの
ための文明なのか? この国の人々の質朴な習俗とともに、その飾り気のなさ
を私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところ
に満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、どこにも悲
惨なものを見いだすことができなかった私には、おお、神
よ、この幸福な情景がいまや終りを迎えようとしており、
西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているよ
うに思われてならないのである。[1,p268] ■9.「美しい国」を復活させる道■ 日本に帰化して小泉八雲と名乗ったラフカディオ・ハーンも
日本人の美しい心根について数々の著書で賛美しつつ[c,d]、
同時にこんな警告を発している。 日本の場合は危険がある。古くからの質素で健全な、自
然で節度ある誠実な生活様式を捨て去る危険性である。質
素さを保つ限りは日本は強いだろう。 しかし贅沢な思考を取り入れたら、弱くなっていくと考
える。 ハーンは明治時代の欧米文明導入から生ずる危機を予言した
が、その後の共産主義思想の侵入や、敗戦後の占領軍による
過去の断罪と社会改造、さらには経済大国化やグローバル化に
より、「古くからの質素で健全な、自然で節度ある誠実な生活
様式を捨て去る危険性」はますます現実となりつつある。それ
は抵抗する術もない、歴史の必然なのだろうか? ハーンとの交流が深く、万葉集などの詩歌を研究して、東京
大学で日本語学教授にもなったイギリス人のバジル・ホール・
テェンバレンは、こう述べている。 過去にしっかりと根をはっている国民のみが、将来にお
いて花を咲かせ、果実を結ぶことを期待できるのである。
[1,p193] 我々の先祖が大切にしてきたものを共感を持って受け継ぎ、
それを現代文明の中で新しい形として生かしていく。これが
「美しい国」を復活させる道であろう。
(文責:伊勢雅臣) http://melma.com/backnumber_115_3552213/ 韓国人の自画自賛とは違うところ・・・。